Sun Set Days
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2003年01月25日(土) 無意識な執着

 僕はテレビをほとんど見ない。
 以前も書いたけれど、部屋に帰ってきたらまず音楽をかける。
 そして、音楽を聴きながら、食事をしたり、持ち帰りの仕事をしたり、本を読んだり、あるいはネットをしたりする。
 音楽はその間も常にかかっていて、それは新しく買ったCDのこともあるし、頻繁に聴き返すいわゆるお気に入りのCDであることもあるし、ものすごくひさしぶりにラックから取り出したCDであることもある。自分で好きな曲を集め編集したMDを聴くこともある。いずれにせよ音楽は部屋の中で、街から消えることのないかすかなざわめきにように常にそこにあり、よっぽど集中して何かをやるとき以外は、消されることはない。

 音楽の効用はよいものであれときにわるいものであれ様々だと思うけれど、個人的には当たり前のようにそこにあるものとなってしまっているので、とりたててこれという効能のようなものを挙げることができないような気がする。もちろん、気持ちを揺り動かされることはあるし、激しかったり美しかったりするメロディーに昂ぶったりしんとした気持ちにさせられることはあるけれど、それよりはやっぱり常にそこにあるものという感覚の方が強い。中高生くらいの頃から少しずつ音楽を聴くようになっていって、それから何年かが過ぎて、音楽を聴くということにすっかり慣れてしまっているのだ。スイッチを押すと部屋の明かりがつくことに疑問を抱かないように、音楽がそこにあることにもう疑問は抱いていないような感覚とでも言うのだろうか?

 もちろん、音楽がなくても日々は続くし、たいていの思い入れのようなものはそれがなくても実はなんでもなかったりすることも少なくない。執着だとか拘泥だとか、そういうものは意外と意識的に自分を向けさせているだけに過ぎないこともあるのだ。
 けれども、それでももし音楽を聴かなくなるのなら、やっぱり少しずつ何かが足りないような、キャンバスの絵の一部が真っ白のままであるような、奇妙な欠落感を得るようになるような気もする。音楽が好きだということ(あるいは他の何かが好きだということ。たとえばある作家とか、ある種類の映画とか)は随分と意識的な思い込みのようなもので、そういうものがなくても実はなんでもない。そう思うのに、それでも実際にそれがなくなってしまったら、そこから離れてしまったら思いがけない寂しさを感じることもあるような気がする。

 そういうのって、なんだか不思議なものだ。
 けれども、そういう意識的な執着を超えた、無意識的な拘泥のようなもの、そういうものが(自分でも気がつかないうちに)生まれてくるからこそ、やるせなくもおもしろい部分、物悲しい部分が生まれてくるのだと思う。すべてを意識的に割り切ることができないことが、その人の声にならない声のような部分、表面には出てこない部分を構成していて、それが個性のようなものに繋がってくる部分もあるのかもしれない。

 それがなんであれ、無意識的に執着してしまうものが、たくさんあることは結構幸せなことのような気がする(どうなのだろう?)。


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 お知らせ

 職場で風邪が流行りはじめています。気をつけなければ。


2003年01月24日(金) ファミリーレストラン

 今日は仕事が終わった後(22時過ぎ)、ファミリーレストランで後輩2人と一緒にご飯を食べる。
 そしていろいろと話し、部屋に帰ってきたのは0時30分過ぎ。明日は8時30分からミーティングがあるので、早く眠ろうと思う。
 今日一緒にご飯を食べた2人は昨年の春に入った新入社員だったのだけれど、もう少ししたら後輩が入ってくるということに大丈夫だろうかと話していた(また、この1年はあっという間だったと口を揃えて言っていた)。

 いまは自分たちが一番の新人のため、様々なことを教えてもらったりわからなかったりすることも大目に見られたりすることもあるけれど、今度は先輩になり、後輩に訊かれることも多くなってくるのだ。教わる立場から(部分的には)教える立場になるのだ。

 自分もかつて同じようなことを思ったなと思いながら話を聞いていた。
 そして、2年目に先輩となり、後輩に訊かれることによって答えるために必死に調べたりするために、もう一度成長するチャンスがあったのだったなということを思い出していた。
 それから、2年目は、職場の先輩や後輩たちと毎日のようにファミリーレストランに行っていたのだと、そういうことも思い出した。
 だったら、あんまりいまと変わっていないような気もするけれど。


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 お知らせ

『日経ビジネス』1.27号の中で、過去12ヵ月で1度でもアマゾンジャパンで買い物をしたことのある「アクティブメンバー」の数は150万人で、リピート率は80%以上と高い数値が書かれていました。確かに、自分も利用するまでは結構時間がかかったけれど、実際に利用した後は(近くに大きな書店がないこともあるけれど)繰り返し利用しているし。


2003年01月23日(木) 記憶の海

 社内の研修に参加するために、1泊2日で出張に行ってきた。基本的にはいまの部署では出張はないので、珍しいといえば珍しい。
 そして、今回宿泊したビジネスホテルが、随分前に出張生活をしていた頃に2度ほど宿泊したホテルと同じところだった。
 正直な話、まさかそこに再び宿泊するときが来るなんて思ってもみなかったから、不思議な感じだった。今回は同僚数人と一緒にいたのだけれど、その駅で降りるのがはじめての同僚2人をホテルまで案内しながら、「よくこんな細い道知ってる」と言われながら、かつてそのビジネスホテルまでの細い道を歩いていたことをぼんやりと思い出していた。はじめて訪れたときには、自分だって少しだけ迷ったことも。

 ホテルの部屋も、懐かしい感じがした。もちろん、ビジネスホテルなのだからそう変わり映えはしないのだけれど、それでも「ああ確かここはこんな感じの部屋だった」という感覚が蘇ってくる。カーテンを少し開けて窓の外を見ても、「ああ確かにこんな感じの景色だった」ともしかしたら錯覚かもしれない感覚を抱く。けれどもたぶんそれは錯覚じゃないと思い直す。かつて数日間に過ぎなくても、やっぱりその建物の窓の外の景色を眺めていたことがあったのだ。

 記憶は随分と都合のよいもので、気がつくと夜に降る雪みたいに、いろいろなことを覆い隠してしまう。けれども、かつて起こった(見てきた)すべての出来事は雪の下にちゃんとあってなくなりはしないのだということを、ときどき実感するときがある。あるいは、記憶は大きく深い海のようなもので、過去はすべてその水の中に深く暗く溶け込んでいるようなものなのかもしれないと思う。そして、ときどき月の光が深いところまでを一筋の光で照らすように、ある種のきっかけで深いところに眠る記憶も照らされるのだ。そういうものなのだと考えてみる。だって、そうじゃないとその窓からの景色を見て懐かしさを感じることなんてありえないような気がするし。

 それとも、それもすべて錯覚なのだろうか?
 都合よく目の前の景色に感傷のフィルターをかけて、かつて知っていたはずの景色というフェイクの感覚を抱かせているのだろうか?

 同僚たちと駅前の居酒屋で飲んでから(出張の夜にお酒を飲むのは定番と言えば定番)、ふたたびその部屋に帰ってきて、妙に大きなクーラーの暖房の音を聴きながら、やっぱりぼんやりと窓の外を見ていた。深夜0時を少しだけ回っていて、外は随分と暗く、静かだった。かつてこのホテルに泊まったときのことを、昨日までは思い出すことはなかったのに、そのときには結構クリアに思い返すことができた。それなのでやっぱり、記憶はなくなってしまうわけじゃないのだと、ただ意識されないところにしまわれているだけなのだと、そういうことをあらためて考えていた。
 それから、翌日の朝に研修先で行われるテストの勉強をしながら、文章を暗記できたかどうか確かめている内に、いつの間にか眠りに落ちてしまった。

 実際のところ、記憶がすべてなくなるわけではないのか、かつて見てきたような記憶を合成してつくりあげてしまうのかはよくわからない。
 けれども、記憶は夜の暗い海のようなものなのだとあらためて考えてみる。その海の水のすべては、これまで体験してきた様々な出来事が溶け込んでいるのだと考えてみる。
 その水はときに甘く、そしてしょっぱく、それから、少しだけ苦かったりするのだろうか?


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 お知らせ

 そのビジネスホテルに泊まっていた頃には、よく椎名林檎を聴いていました。


2003年01月15日(水) 空想の距離

 今日は休日出勤をする。それはもちろんあんまりよいことではないのだけれど、どうしても手をつけたい仕事があったので行ってきたのだ。その仕事は日々の業務とは別にある程度時間をかけなければならないことのため(だからいままで放置されてきたらしい)、そういう定形外の時間の中でやってしまおうと思っていたのだ。たとえば、何でもそうだと思うのだけれど、一度仕組みなどが確立されて流れはじめてしまえば後はスムーズにいくようなことは、その最初のお膳立ての部分ではやっぱりある程度のパワーがいるような気がする。もちろん、本来であればそれを時間内にするためにどうすればいいのかを考えていくべきなのだということはわかっているのだけれど、それでも短期的に状況を好転させたいと思えばそこはやっぱり頑張りどころなのだろうし。

 やり終えてみて、面倒に見える仕事も、手をつけ始めたら後はやり終えるしかないので、四の五の言う前にまずはやりはじめてみるということは重要だと改めて思う(何度も何度もいつもそれは実感する)。終了後、小さいかもしれないけれど達成感も得ることができて、とりあえず満足。日々の仕事の中で、そういう小さなメリハリをバランスよくつけていくことが、モチベーションを維持する秘訣だよなと自己満足に過ぎなくても、ちょっとだけ思ってみたり。

 次は、あれをやろうとかあれをやってみたいとかいろいろあって、(自分を)どんどん追い込んでいるような気もするけれど。


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 そして、現在は仕事にかなりの時間を割いているため(結構持ち帰っている仕事もあるし)、行き帰りの歩いている時間(15分ほど)は趣味に使っている。具体的に言うと、小説のことを考えるようにしている。歩きながら、いま推敲している『N43゜』のことや、新しい【Fragments】の内容なんかを考えているのだ。そういうのって、なんだか中学生の頃に戻ったみたいで変に懐かしい。

 というのも、中学生の頃、学校までの行きの15分ほど、いつも何らかの物語を考えながら歩いていたのだ。空想していたというか、妄想していたというか。まだ中学生だったこともあって、それらの話はとても拙くて、たとえばSF風だったり(未来の話で、アンドロイドと少年の友情物語とか)、歴史物語風だったりした(三國志に影響されていたのだ)。そういうやたらと長い物語を、毎朝毎朝晴れの日も、雨の日も、札幌だったから吹雪の日も、当たり前のように考えていたのだ(帰りは友達と一緒に帰っていたため、そういう空想はできなかった)。

 それがまた、全然飽きなかった。
 そして、自分のことながら気恥ずかしいのだけれど、たとえばそのSFの話では、人間の心を持ってしまったアンドロイドが、レーザーで打たれそうになる少年の命を助けるというクライマックスのシーンがあって、そのシーンを空想しながら、いつも自分で感動していた(ベタだなあ)。空想に入り込みやすいというか、根が単純なのだ、きっと(そして三つ子の魂百までという言葉の正しさを実感する今日この頃)。

 もちろん、そういういくつもの朝に考えていた物語の断片はいまはどこにも形となって残ってはいないけれど、それでもたとえばいま自分で文章を書くときに、何かを空想するときに、そのときのトーンのようなものが目立たなくても織り込まれているのだとは思う。

 偶然、いま歩いている時間も15分ほどで、あの頃とほとんど変わらない。習慣というものがもし身体に染み付いているのなら、歩いて15分という距離は、個人的には空想するのには適しているということになるのかもしれない。


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 お知らせ

 ちなみに、次の【Fragments】のお題「ミルクティー」は、タイトルは「Over」という、人妻と大学生の話です。←予告。近日公開(?)。


2003年01月12日(日) タイムスリップ

 今日は23時少し前に仕事が終わり、それから新入社員たちとファミレスでご飯を食べた。
 話の途中で早生まれで80年生まれだという話が出てきて、80年代かーと感慨深く思う。きっと、もう少ししたら平成生まれとかが入社してくるようになってくるのだ。そういうことを考えると、さすがに自分も年をとったのかもしれないと実感する。まあ、そんなことを言いつつも、まだまだ全然若造でしかないのだけれど。

 帰り道、飲み物が切れているのを思い出して、今日は少し遠いコンビニに寄ろうと思ってちょっと歩いた。そんなに寒くなく、散歩するにはいいかなと思ったのだ。
 ジュースを買った後、帰り道には歩いてきた比較的大きな通りではなく、細い路地を通って行くことにした。大体の方向感覚はついてきたし、いつもと違う道を開拓することもやっぱりまだまだ必要だとか思いながら。

 そうしたら、70年代がそのまま取り残されてしまってでもいるような古い商店街に出た。びっくりした。車がすれ違うことすらできないような細い路地の左右に、どうやって建てたのだろうと思えるくらい近くに肩を寄せ合うようにして建物が並んでいる。すべての建物はシャッターを下ろしているのだけれど、洋菓子屋とか、床屋とか、障子屋とかクリーニング屋とか、たくさんの店が並んでいた。中には、軒先に空っぽのもうずっと使用されていないアイスクリームの陳列台が置かれたままになっている店まであった。かつてはたくさんの子供たちがその前で思案顔でアイスクリームを選んだのだろう陳列台。いまは何も入っていなくて、ただ店先に何かの記念碑のようにただ置かれている。

 深夜だったから、人気はぜんぜんなくて(いくつかの店の二階の窓の明かりはついていた)、その商店街が昼間開いているのかどうかすらよくわからなかった。ただ、その閑散とした様子は、すでに店をたたんでしまって昼でもシャッターが下ろされていることを連想させた。不思議な話、歩いている間に時間が歪んでしまって、20年も、あるいは30年も前の同じ細い路地に迷い込んでしまったみたいだった。

 もちろん、そんなことはないのだけれど。
 随分と物珍しくて、僕はその一本路地に入ったところにある古い商店街を、いろいろと見回しながら歩いて帰った。その商店街を抜ける手前にファミリーマートがあって、そこだけがやけに明るい照明に照らされていた。そのファミリーマートは、僕がいつも歩いていた通りからは看板の明かりが見えないところに建てられていて、今日までそこにコンビニがあることに気がつかなかった。

 違った道を歩いてみるものだと、そんなことを思っていた。
 いつもと道を一本変えるだけで、そういう古い商店街を見つけることが出来たわけだし、そういうのはやっぱり新鮮だったし。


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 お知らせ

 今度は昼間に見てみたいものです。


2003年01月11日(土) ゲーム?

 中学生くらいの男子って、よくいろんなゲームのようなことをして、負けたら罰ゲームとかをしたりする。
 そしてそういう罰ゲームって、結構バカなことというか、恥ずかしいことだったりすることが多い。
 たとえば、「ヘイ、タクシー」って言ってタクシーを止めるとか、バスで次ぎ降りますボタンを押してそ知らぬふりをしているとか、そういうこと。もちろん、それはあんまり褒められたことではないけれど、そういうちょっとした罰ゲームがあるからこそ逆に盛り上がるということもあるのだろう。

 そして、今日はそんな中高生たちにちょっとした新しい罰ゲームを提案してみようと思う。
 特に、関東近郊など電車通学をしている人たちにお勧めしてみたいやつを。

 昔の中高生といまの中高生の間で大きな違いといえば、やはり携帯電話を当たり前のように持っているということになるだろう。ということは、罰ゲームもそれを利用したものであるほうが新鮮味があるものになるということになる。ということで、罰ゲームは携帯電話を使用する。

 ルールはいたって簡単。電車に乗っているときに(そこそこ混雑していることが望ましい)、罰ゲームを受けている人の携帯電話の着信音が鳴る。もちろん、電車内で携帯電話を使用するのはマナー違反だから、周囲の人たちは一斉にそいつを見るだろう。そして、そいつはおもむろに携帯電話を取り出して、それを耳に当ててこう言うのだ。


「ペケポォーン」


 たぶん、その瞬間に周囲の人たちは一瞬動きが止まると思う。本人もすごく恥ずかしいと思う。けれどもそれは罰ゲームなのだから、嫌でも続けなければならない。


「……ポケ、ポケ、ピピンパ? ホー! ペッケペケペー。ププッピルリル!」


 頷きながら、携帯電話に向かってそう言うのだ。一通り言い終える頃には周囲の人たちが少し輪を描くように離れていることと思う。そして、次の駅に着くと同時に走り出すようにして電車を降りて行くのだ。たぶん顔を真っ赤にしながら。

 これは結構効くかも。

 もちろん、これは携帯電話で本人が恥ずかしくなる会話をするという罰ゲームだから、他のパターンでももちろんありだ。たとえば、こういうのでも。


(携帯電話の着信音が鳴る)

「あー、もしもし? キュウリ? キュウリかよ! 久しぶりじゃん。元気してた? なすは最近どうしてんの? へぇー、あいつも頑張ってんだー。熟してんだー」


(携帯電話の着信音が鳴る)

「あー、ママン。いま帰りの電車に乗ってるところだよ。うん、うん、わかった。今日はママンの得意なビーフシチューって朝言ってたよね。うん、楽しみにしてるよ」


(携帯電話の着信音が鳴る)

「あー、ドラえもん? ちゃんとドラ焼は買ってるって。心配性だなぁ」


(携帯電話の着信音が鳴る)

「あー、もしもし? またお前その話かよ。だからそれはおすぎだって。何回言ったらわかんだよ。ピーコじゃないって。おすぎ。ったく、そんなことくらいで電話かけてくんなよ。だから、ファッションチェックはおすぎだって」

(↑間違ってる)


 でもまあ、そういう電話をするという罰ゲームを、聞く側に回るのは愉しいだろうなと思う。絶対みんなに今日の電車にすげーやついたよって話してしまうと思うし。


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 お知らせ

 携帯電話って、考えてみると結構不思議です。ときにやけに生々しい会話を街中でしている人がいたり。


2003年01月10日(金) 『バースデイ・ストーリーズ』

『バースデイ・ストーリーズ』読了。村上春樹編訳。中央公論新社。
 帯には「奇妙な話、せつない話、心がほんのり暖かくなる話 村上春樹が選んだ誕生日をめぐる11の物語」と書かれている。これは、村上春樹が誕生日をテーマにした短篇を集めて自ら訳したアンソロジーだ。集められた作品は「本棚の置くから引っぱり出されてきたような古典じゃなくて、この十年くらいのあいだに発表された、活きのいいコンテンポラリーなもの(訳者あとがきより)」となっている。

 収録されている作家の多くはまったく知らない、あるいは名前は知っているけれど読んだことはないと圧倒的に未読の作者が多かったのだけれど、それぞれの話には一筋縄ではいかない落としどころのようなものがあって、新鮮に感じることができた。ちょっとばかりやれやれと思ってしまうのだけれど、いずれも誕生日=ハッピーバースデイ! というようなシンプルな物語ではないのだ。ハッピーでキャッチーな世界を切り取ってみましたというような作品が入っていてもいいような気はしたのだけれど。

 特に惹かれたのはラッセル・バンクスの『ムーア人』とアンドレア・リーの『バースディ・プレゼント』。レイモンド・カーヴァーの『風呂』。そして、最後に収録されている村上春樹の(やはり誕生日をテーマにした)短篇『バースデイ・ガール』。

『風呂』に関しては、カーヴァーの作品の中でも結構有名な方だと思う『ささやかだけれど、役に立つこと』のショート・バージョンで、村上春樹が冒頭で解説しているように(それぞれの短篇のスタートの前に、訳者である村上春樹がその作家とその短篇のちょっとした紹介を1ページずつ行っているのだ)、ロング・バージョンの方が「小説の出来としてはずっと上で、内容も深くなっている」とはやっぱり思う。
 ただ、もちろん、ショート・バージョンの方にも「なかなか捨てがたい味わいがある」ということで収録されてはいるのだけれど、短い分無駄な説明や修飾がなく、どこか突き放したような読後感は好みの別れるところかもしれない。いずれにしても、同じモチーフの作品がその長さや焦点のあわせ方によって、深みを増すのだというひとつの例みたいだ。

『バースデイ・ガール』は、20歳の誕生日の日に不思議な老人からあるプレゼントをもらう女の子の話なのだけれど、短くてもどんどん読ませてしまう文章はさすがだし、内容に関しても読後にいろいろと考えてしまうようなものだ。それにしても、どうして、どこからあんな比喩を思いついてくるのだろうと本当に思う。まったく関係のなさそうなものをひょいっとふたつ持ってきて、それを組み合わせるだけでとても効果的な暗喩を作り出すことができてしまうのって、やっぱりとてもすごいことなのだろう。


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 一昨日は仕事が終わってから、ガストで今月中旬に社内の試験を受ける後輩の論述文の添削をする。試験の中に、A4用紙1枚ほどで現状の問題点について(自分なりの)分析をする問題が出るのだ。この間西日本にいる別の後輩の添削もしたので、最近はちょっとした赤ペン先生だ。ガストの店内で、後輩の書いた文章を読みながら、その内容についていろいろと話し、ノートにいくつかの文章と簡単な図を描く。
 文章や図にしてみることで問題点が明らかになり、それについて言葉を交わすことでさらに認識が精確にあるいは深くなるというのは、いまさらあらためて書くようなことでもないのかもしれない。けれど、日々の仕事の中でぼんやりと問題だよなと思っていることはきっと多くて、まだまだ文章化してもいないことはきっと山積みなのだと思う。
 そういうこともまずは文章にしてみることで、クリアにするためのとっかかりになるのだろう。


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 お知らせ

 表紙と裏表紙がかなりしっかりとしたノートを買いました。いつものカバンの中に入れておくのです。


2003年01月07日(火) パラレルワールド

 パラレルワールドっていうのがある。
 よくSFなんかに出てくる、自分が住んでいる世界と平行なところにある、何かがちょっとだけ、あるいは大きく違う世界のことだ。
 いわゆる「もしも……だったら」という設定を描くための道具として使われていることも多い。
 書店にたくさんある歴史のイフを描いた小説(もし第二次世界大戦で日本が勝利していたらとか、本能寺の変を織田信長が生き延びていたらとか)も、ある種のパラレルワールドを取り扱っているということができるだろう。

 さて、ということで今日はいくつかのパラレルワールドについて言及してみようと思う。
 ほんのちょっとだけ何かが、あるいは大きく異なっているいくつもの世界。
 できるだけ誰もが知っている題材を選んでみたので、その違いを比べてみてはどうだろう。




「パラレルワールド もしもサザエさん」




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 サザエさん一家は都心近郊のマンションに暮らす核家族だ。500世帯もが住んでいるマンションは都会の常なのか隣にどんな人が住んでいるのかもわからない。よく鍵やサイフを忘れて買い物に出かけてしまうサザエさんは、完全オートロックのマンションの中に入れずに立ち往生してしまうことも少なくない。父親の波平の住む家までは電車を乗り継いで50分ほどかかり、出かけるにはなかなか腰が重くなってしまっている。最近はマンションの敷地内で不謹慎な落書きが多発する事件が起こっているので、タラちゃんを外で遊ばせておくのもちょっと心配だわと思っている。

 主な登場人物

 サザエさん……専業主婦。マスオの稼ぎだけでは家計が苦しいので、パートに出ようかと考えている。

 マスオさん……サザエの夫。勤務先が二年連続赤字を出しており、社内の雰囲気が淀んでいる。

 タラちゃん……2人の子供。したくもないお受験の勉強でいっぱいいっぱい。


 ワールド�◆嵳瀚召陵羸�」

 花沢不動産はバブル期の無謀な投資が嵩み、不良債権にあえいでいた。花沢家の一人娘花沢さんは、都内の一等地に土地を持つ磯野家の息子カツオに色仕掛けで近付き、土地の権利書を奪おうと画策する。
 しかし、それに気がついたカツオの妹ワカメは、自分こそが土地の権利を奪うのだと、さらに罠をかけようとする。
 業の深い面々が繰り広げる、騙し合い、そして奪い合いが始まろうとしていた……

 主な登場人物

 カツオ……波平から土地を引き継いだ磯野家の長男。小学校時代の親友中島の興したベンチャー企業の平社員。

 ワカメ……アメリカ留学経験ありの才女で、カツオの手にある権利書は自分にこそふさわしいと思っている。かつての、いつもスカートからパンツを出していた面影はもうない。

 花沢さん……なぜか妖艶な美女に成長した。父親の背負った多額の不良債権を処理するために手段を選ばない女。声は相変わらず低い。


 ワールド��「……あれ?」

 磯野家は昔ながらの日本の大家族だ。いつも笑いが絶えず、相変わらず年に一度は泥棒に入られている(無用心)。波平も老いてますます元気だし、サザエさんは相変わらずおっちょこちょい。そして、ネコのタマまで相変わらずだ。
 さて、そんな磯野家の面々を確認してみよう。

 波平……磯野家主人。

 ふね……波平の妻。

 サザエ……磯野家長女。フグタ家に嫁いだ。

 マスオ……サザエの夫。磯野家に住んでいる。

 カツオ……磯野家長男。

 ワカメ……磯野家長女。

 タラ……マスオとサザエの子供。

 キノコ……マスオとサザエの子供。


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 お知らせ

 Sunさんが小説担当、SetさんがおちゃらけDays担当というわけではありません(たまにSun Setさんって、何人のユニットなんですかって訊かれてみたり。冗談ですけど)。


2003年01月05日(日) 同じ通り

 今は6日の午前2時と少し過ぎ。ついさっき帰ってきたところで、今日は仕事が終わってから(22時過ぎ)6人で飲みに行って来た。世間的には年末年始の連休の最終の夜ということもあって、普段はそれなりに賑わう繁華街も人通りは少なく、どこか閑散として、街路樹のネオンばかりが明るく輝いていた。
 居酒屋ではいつものようにビールを1杯だけ飲んで、あとはウーロン茶を飲んでいた。新しい職場も1ヶ月が経ち、少しずつではあるけれどだんだん慣れてきている。これからも2ヶ月目、3ヶ月目と覚えていることとできることと、したいことが増えていくようであればいいなと思う。

 帰りは、部屋が近い後輩と一緒にタクシーで帰ってくる(終電もない時間だったのだ)。近くのコンビニの前でおろしてもらい、そこから部屋までの短い距離を歩く。深夜の人気のない道路の空気は随分と冷え込んでいて、ぼんやりといまたとえば昔半年間だけ住んでいた函館のあの通りはどれくらい寒いのだろう? とか考えながら歩いていた。不思議なのは、いまこの瞬間にも日本中の様々な通りや路地が、同じような夜に包まれているということだ。見上げれば同じ星が見えているということだ。

 体調が良くても悪くても、気分が乗っていても乗らなくても、それでも夜は等しく訪れるし、朝もやっぱり訪れる。そういうのを目の当たりにすると、変わらない(ように見える)ものもあるのだよなとぼんやりと思う。

 そして、そうやって歩きながらぼんやりといろいろなことを考えたりするので、散歩はきっとやめることができないのだろうなと思う。


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 お知らせ

 人生であと何回の飲み会(ビール1杯+ウーロン茶)があるのか、誰かに教えてもらいたいものです。


2003年01月04日(土) Souvenir

 今日の日経MJ(流通新聞)で、おもしろい特集を組んでいた。「発見みやげパワー」と題して、各地の土産品を対象に初めての全国調査を実施し、その結果を掲載していたのだ。複数面での特集だったのだけれど、1面には、日本のみやげトップ30という売上高のランキングも掲載されていた。

 1位 赤福餅・赤福(三重)
 2位 白い恋人・石屋製菓(北海道)
 3位 辛子明太子・福さ屋(福岡)
 4位 辛子明太子・やまやコミュニケーションズ(福岡)
 5位 マルセイバターサンド・六花亭(北海道)
 6位 カステラ・福砂屋(長崎)
 7位 東京ばな奈みぃつけたっ・グレープストーン(東京)
 8位 ひよ子・ひよ子(福岡・東京)
 9位 生チョコレート・ロイズコンフェクト(北海道)
 10位 シウマイ・崎陽軒(神奈川)
 11位 笹かまぼこ・鐘崎(宮城)

 ランキングの上位はこんな感じで、日本中のお土産を売上高で比較してみるという切り口がとても面白かった。お土産自体が各地の特産物であるわけだから、他の地方の土産と比較することにはそれほど大きな意味はないかもしれない。けれど、一消費者、あるいは一観光客としてはとても興味深いランキングだ。
 上位の土産のほとんどが販路をいたずらに広げずに、特定地域でしか販売していないものばかりで、土産物がいわゆる非日常的な「ハレの消費」であることがうかがい知れる。売上げと入手に際する希少性とが比例関係にあるのだ。

 ただ、個人的には1位の赤福は、結構多くのところで見かけるよなと思っていたのだけれど、実際には三重県、愛知県、大阪府が中心で、他には京都府と兵庫県のごく一部でしか販売していないのだそうだ。確かに、それはよく出張で訪れていた地域と重なるので、そのためよく見かけているような気がしていたのだろう。
 また、北海道土産の定番「白い恋人」「マルセイバターサンド」「生チョコレート」は揃ってベスト10入りしている。福岡の辛子明太子とひよ子もそうだけれど、多くの人が旅行に訪れる土地の土産がやっぱり強い。
 ちなみに、日本で一番類似品が多いような気がする仙台の銘菓「萩の月」は11位だった。
 あと、面白かったのは京都の生八ツ橋。ランキングにはベスト30に3社入っているのだけれど、順位が上の方から「夕子」「おたべ」「聖」というようになっている。これは京都に行くたびに「元祖」とか「本家」とか由緒を競うようなのぼりなどが混乱を誘うよなあと思っていたのだけれど、売上高的には「夕子」が一番上だということがわかったので、今度買うときには参考にしようと思う。
 ランキングを眺めてみても基本的には歴史のある、ブランドの定着した土産物の順位が高いのだけれど、その中で比較的新しいのが7位の「東京ばな奈みぃつけたっ」。
 発音しにくい……小さいひらがなを二つも使っているし(「ぃ」と「っ」)。この商品名を考えた人は、どういう意図でつけたのだろうとちょっとだけ思う。

 紙面では、他にも様々な土産物にまつわる記事を載せていて、東名高速の海老名SAののぼりとくだりで土産の種類が違うこととか(くだりは東京土産中心、のぼりは東京に帰る人のための伊豆や箱根、遠くは富山などの特産品)、なまはげキティ、静岡みかんキティなどの「ご当地キティ」がいまでは300種類以上に及ぶことなども知ることができた。もちろん、だからと言ってこれと言って役に立つわけではないのだけれど。
 そうそう、ジャイアントポッキー(大きな箱に入った1000円位するご当地物)は「夕張メロン」など5種類なのだそうだ。全部言える人っているのだろうか? 結構通だ。

 また、圧巻なのは全国の都道府県別に売れ行きベスト5ランキングを掲載していることで、各土地での人気も知ることができるのだ。見ていると、行ったことのない地域の聞いたことのない土産が結構たくさんあって、たとえば愛媛県1位の「一六タルト」や、大分県2位の「ざびえる」とかは、結構本気で食べてみたいなと思う。似たような味のものも多いのだろうけれど、それでもその全国のランキングの載っているページを眺めていると、なんだか楽しくなってくるし旅行に行きたくなってきさえする。不思議なもので。

 ちなみに、日経MJは、私鉄のキオスクでは販売していることが多いので、興味のある方はぜひどうぞ。週3回、火、木、土発行なので、月曜日までは発売しているはずだし。
 僕は引越しを期にこの新聞をとることを再開したので、いまでは週3回部屋に届けられて非常に重宝している。昨年までは出張が結構あったので、リアルタイムに読むために駅で購入していたのだ。いまはそうする必要はないので。

 これはもう何度もDaysに書いているし、別に回し者というわけでもないのだけれど、これは僕が流通業にいるからという以上に面白い新聞で、学生さんとか、流通業以外の企業の人にとっても、楽しんで読むことができると思うのだけれど。


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 お知らせ

「東京ばな奈みぃつけたっ」……一度も食べたことない。今度買ってみようかな?


2003年01月03日(金) ミルク

 冬になるとマグカップに牛乳を入れて電子レンジで温めるのがマイブームになる。毎年、かならず。
 いま僕の部屋にある電子レンジはシルバーのいかにも男の部屋という感じのやつなのだけれど、ちゃんと牛乳のためのボタンがついていて、電源を入れてそのボタンを押すだけで結構いい感じにホット・ミルクができる。それを朝や夜、寒いと思ったときに飲むのだ。そうすると内側から暖かくなるような気がして、心強い気持ちになる。ちゃんと味方がここにいるんだというような気持ちになぜかなる(一緒に寒さに耐えてくれる小人か何かのような感じ)。

 牛乳つながりというわけではないけれど、最近凝っているのが森永の「牛乳プリン」で、2日に1度は食べている(※Sun Setさんは28歳です)。これは、白いパッケージのホモちゃんというちょっとあれなネーミングのキャラクターのイラストが描かれたやつで、たいていのコンビニには置いているので、おそらくは定番商品ないしは人気商品なのだろうと思う。

 これを、先日たまたま食べたのだけれど、おいしくて、ついつい続けて購入してしまっている。もともと、牛乳関連の飲み物や食べ物は好きなので、ツボにはまったのだと思う(※Sun Setさんは28歳です)。

 ちなみに、このホモちゃんにはホームページまであって、そこではホモちゃんに関する得てもあんまりというか全然役に立たないであろう情報を得ることができる。


 www.homochan.com   ←微妙なURL


 そのページによると、なんでも蓋のところに描かれているホモちゃんのイラストには様々な表情をしたバージョンがあり、それぞれに一口コメントがついているのだそうだ。興味のある方はどうぞ。


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 お知らせ

 微妙シリーズ��

 アルファベットビスケットに「ね」のビスケットが混ざっている。


2003年01月02日(木) 自炊2003

 今日は仕事。
 部屋に帰ってきたのは22時半過ぎで、それから昨日冷凍庫に保管しておいたご飯をレンジで温め直し、じゃがいもと玉ねぎのみそ汁を火にかける。今日から6連続出勤なので、ご飯をちゃんと食べないとと思う。朝は時間がなくてパンとベーコンエッグと牛乳を食べただけなのだけれど、今年の目標の一つはできるだけ自炊をしようというものなのだ。実は。

 学生時代は結構まめに自炊をしていたのだけれど、社会に出てから帰りの遅さや忙しさを口実にほとんど自炊をしなくなってしまっていた。また、出張時代は自炊ができるはずもなかったし(ビジネスホテルの部屋でご飯を炊くなんて現実的じゃないし)、その後の転勤でも近くにコンビニがたくさんあったからついそこを利用してしまうことが少なくなかった(徒歩5分圏内に4軒あった)。
 けれども、今年は自炊をしよう! というのを引っ越してきてすぐくらいから目標として温めていたのだ(ささやかな目標だけれどさ)。
 まずはリハビリとして、「1人暮らし、これだけできれば大丈夫」的な料理の本を購入しておいたので、その中から惹かれるメニューを順番に作っていこうと思う。
 本当は昨日歩いて10分ほどのところにある結構品揃えのよいスーパーに出かけて行ったのだけれど、元日でしまっていた(幸先わるい)。そして今日からは前述の通り6連続出勤でスーパーに行く時間がなくなってしまった。最近増えてきている24時間営業のスーパーが近くにもできればいいのに。
 ということで、ここ数日はいまある食材とコンビニに売っているくらいの食材を利用した簡単な献立でいくことになるのだけれど、それでもまあ自炊は自炊だ。ご飯とみそ汁は作るわけだし。

 それにまあ、最初から飛ばすとか無理をするとかすると、きっとおそらく続かなくなるだろうから、そういうスタートの方がいいような気がする。なんだかかんとかのクリームソースとか、鶏肉のソテーバルサミコソースとかを最初に作っていたら、ハイペースでマラソンを走り出してしまう人のように途中で脱落してしまうだろうから、肉じゃがとか親子丼とか、そういう基本的なところからはじめようと思う(基本的? 偏ってる?)。
 まあ、マイペースで、できるだけ自炊をしていこうと思う。
 仕事のある日は帰りが遅いので(だいたい最近は23時前後)、手早くできるものにして、休日には少し手間がかかるようなものを作りたいなと思う。
 基本的に自分が作ったものなら、あんまりうまくいかなくてもまあそういうこともあるさと食べることができるわけだし。


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 お知らせ

 仕事でつい02年と書きかけて、ふと「そうだ。もう違うんだ。2003年なんだ」と思い直しました。
 毎年、1月10日くらいまではついつい間違えてしまいそうになるような気がします。
 そしていつの間にか2003年と書くことになんの躊躇もなくなるのです。
 それが当たり前のことになっていくにつれて。


2003年01月01日(水) 今年の目標+『お客さまがまた来たくなるブーメランの法則』

 新年明けましておめでとうございます!
 2003年がみなさんにとってよりよい1年になりますように。

 そして、本年度もText Sun Setをよろしくお願い致します。


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 今年の目標は仕事でも趣味でもいくつかあるのだけれど、趣味の方ではひとつ、小説の賞に応募してみようと思っている。
 きっとおそらくいま推敲している原稿用紙200枚程度の中篇『N43゜』を送ることになると思うのだけれど、余力があればもうひとついけるかもしれない。


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 ADSLが開通して数日が過ぎ、まだブロードバンドならではのサービスをそれほど活用しているとは言えないのだけれど、それでも切り替えて正解だとは感じている。
 とりわけ、一番大きなメリットが、常時接続というところだ。
 これまではダイヤルアップだったために、接続時間=電話代の比例関係が出来上がっていたのだけれど、いまは繋ぎ放題なため、仕事でEXCELをしながらもネットには繋いでいて、息抜きにニュースサイトの最新ニュースを見たりすることもできるようになった。
 また、このDaysの更新も、一度オフラインで文章を書いてからオンラインにしてアップするという手順を踏んでいたのだけれど、いまではネットに繋いだまま、書きあがったらすぐアップすることもできる。
 後輩の話では、1話いくらか払って昔のガンダムとかを見ることのできるサイトというのもあるらしく(バンダイのサイト)、ガンダム世代としては結構心惹かれるものがあったり。
 他にも、映画の予告編やミュージッククリップなど、ブロードバンドを活用したサービスは結構たくさんあるみたいだ。
 かつて、常時接続になるとネットに繋ぐ時間が約3倍ほどになるという何かのアンケート結果が出ていたけれど、そこまではいかなくても、でも確かに増えるだろうなと思う。
 
 そしてこうなってしまったら、もうダイヤルアップのスピードには耐えられないのだろうなと思ってしまう。
 どんどん便利になって、けれども便利になった瞬間からすでにそれが基準となってしまうので、こういう進化を受容する欲求については、本当に果てがない。たとえばかつて航空機が実用化されたら船でアメリカまで行くことが道楽のようなものになってしまったように、一度便利になってしまったら、それ以前のものの意味合いは変わってきてしまうのだ。そしてもっと便利な何かを求めるようになるのだ。
 考えてみると、Amazonを利用し始めたのもそうだけれど、ネットを活用することの種類が増えれば増えるほど、依存の度合いが高まれば高まるほど、それがなくなったときの不便さや不都合さのようなものはかなり大きくなってしまうのだろうなと思う。いまでは本当に当たり前のように生活の中にネットが組み込まれているので、それがなかった頃の生活をイメージすることは随分と遠い過去の記憶をたどるようにすら感じられるし。

 そう言えば、かつて似たようなことがあったなと思う。コンビニエンスストアだ。
 まだずっと小さかった頃、元旦にはどこのお店もしまっていることなんて当たり前のことだった。けれども、いまではコンビニが開いていて、ショッピングセンターのいくつかも開いていて、元旦から何かを買うことができるということはそれほど珍しいことではなくなってしまっている。もし、いまかつてのように元旦にはコンビニさえもしまってしまうのならば、それがたった1日のことであっても、やっぱりかなり不便な気持ちを抱くのだろうなと思う。また、別にお正月期間に限った話じゃなくても、昔は24時間営業をしている店舗なんてまずほとんどなかった。けれども、いまでは10分も車を走らせれば、たいていの場合コンビニの明かりを見つけることができるようになっている。
 もうそれがないことを想像することは難しくなっている。
 もしいま仮に日本中からコンビニエンスストアが1軒残らず姿を消してしまったとしたら、いまの生活だとかなり困ってしまうだろうなと思う。

 便利になることはもちろんきっとよいことだ。
 けれども、あんまり便利になりすぎると、損なわれてしまうものもたぶんあるのだろうなと思う。
 それと引き換えに便利さを享受することを望んでいるわけではあるのだけれど。

 いずれにしても、選択肢はたくさんあるし、それは個々の人たちの価値観に拠るものでしかない。ファストフードとスローフードの対比を引き合いに出すまでもなく、それぞれの端に立っている人もいるし、その中間のどちらかよりに立っている人もいるというだけのことだ。
 そして、選択肢の前提が世代によって異なるのも事実なので、今年生まれる子供たちが成人を迎える頃には、どれだけ便利になって、何が前提になっているのだろうとぼんやりと思う。
 その新しい前提の環境の中から、いまでは想像もつかないような新しい何かが生み出されるときが来るのかもしれない。
 それとも感情は昔もいまも変わらないだろうから、新しい何かでも想像がつくようなものなのかもしれない。


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『お客さまがまた来たくなるブーメランの法則』読了。ファーガル・クイン著。太田美和子訳。かんき出版。Amazon.co.jpで購入。
 帯には「…全米全欧を代表する企業のトップたちは、なぜアイルランドのこの小さなスーパーに注目するのか!?」と書かれている。これは、アイルランドで展開されているスーパーマーケット「スーパークイン」の創業者自らによる、自社で顧客志向をどのように捉え、実践しているのかを書いている本になる。
 書かれていることは、とりたてて独創性があることでも、目新しいことでもないのかもしれない。より多くのビジネス書やハウツー物が多かれ少なかれ共通する内容に溢れているように、ここでも書かれていることは確かにその通りなのだろうなと納得することができるものばかりだ。
 けれども、理論として「こうあるべき〜」という話と、実際にそれらを活用し日々実行しているということとの間には大きな深い溝が、あるいは高い壁がある。
 本書の場合、クイン氏自身が会社が大きくなっていくにしたがって創業当時のある種の空気のようなものが薄まっていくのを感じ、それを再度会社のDNAのようなものとして重要視してもらうためにと作成し配布しているテキストが元になっているだけあって、その内容には現実味がある。規模としてはショッピングセンター9軒とスーパーマーケット19軒を展開している中規模なチェーンなのだけれど、それでもそこで運営され実現されている内容には参考にすべきところが少なくないのだ。

 たとえば、クイン氏は従業員たちは全員が現場(店舗)で、お客様の声をきくための努力をしなければならないと説く。普通の企業であれば、地位が上がるにつれて現場との距離は遠ざかっていきがちだ。けれども、そうし続けることによって、何がお客様にとって問題となっているのかということに気がつくことができる。たとえば、多くのお客様は小さな子供を連れての買い物にストレスを感じ、また子供を連れていないお客様も店内を走り回っている子供たちにやはりストレスを感じていた。そういうことを現場で見聞きし、スーパークインはまずレジ前のお菓子を撤去し、それからすべての店内に遊技場を設けた。レジ前のお菓子がなくなり、子供たちがレジ前で騒がなくなったし、さらに遊技場ではお客様はそこに子供を預け、遊ばせ、自分は買い物に集中することができるようになったのだ。
 また、不振だったソーセージ売り場を立て直すために、お客様の声を聞いて、種類を増やし、最終的には店内でソーセージを作って売るようになり好調部門へと変化させてもいる。そのときにも、対面式で販売する部分と、セルフサービスで最初からパッケージングされたものの両方を用意し、選択肢を片方だけに統一するのではなく、両方を好むお客様に対応できるようにしたというところがらしいのかもしれない。
 お客様の中には、目の前でサイズを言って新鮮なものを作ったり切り分けてくれるのを好む人もいれば、そうではなくたくさんのパッケージの中から安いものを選ぶことに関心を注いでいる人もいるのだ。
 そして、様々なことについて、お客様の声を聞きながら、ひとつずつ改善していっているのだ。

 タイトルにもあるように人であれ企業であれ、顧客志向を目指すのであれば継続的にそのお客様がリピーターになってくれるようにしなければならないと本書では繰り返し説いている。そのためにはやはりお客様の方へ近付いていき、その問題を聞き、苦情を聞き、それについてのフォローを繰り返していくことが重要になってくる。さらには、楽しく買い物をしてもらえるようなちょっとした工夫をしなければならないし、最終的にはお客様の方から気軽にいろいろなことを言えるような環境にしていくべきなのだとまで書いている。

 確かに、もし目の前のお客様が一度きりのお客様でもう二度と関係を結ばなくてはいいのであれば、やがては自社の顧客は世界中のどこからもいなくなってしまうだろう。それは牧草地を喰らい尽くして他の草原を目指す牛飼いにも似ているのかもしれない。やがては、緑豊かな牧草地は探すのは困難に、そして数は少なくなってしまう。
 そうではなくて、一人一人のお客様に繰り返し自社のファン、リピーターとなってもらうことが、継続的な発展、あるいはより高い満足の提供へと繋がって行くのだろう。牧草を食べる量を把握して、その牧草地を毎年利用し続けられるようにしておく必要があるのだ。
 そういうのは確かにそのとおりだ。けれども、自らを振り返って考えてみても忙しさがそういう顧客の方に目を向けることよりも、自社の都合であるとか、ルールにお客様の方を当てはめてしまいがちなこともやっぱり現実で、そこの部分をどれだけ顧客志向の方に意識付け、動機付けをしていくことができるのかというところが(自分自身と周囲にとって)やっぱり重要なのだろう。

 いまはお客様と直接接するところにいるので、こういう本に書いてあることもすぐに試してみることができるし、それをアレンジすることができるのもやっぱり嬉しいことだと思う。
 いろいろ考えるべきことはたくさんあり、試してみるべきこともたくさんあるのだ。


 興味深い点をいくつか引用。


 実際、「いまは我々の利益に注意を払おう。リピートビジネスはたいてい結果としてついてくる」といわれます。
 若いころの経験から、私はこれとまったく逆のことを学びました。「リピートビジネスに注意を払っていれば、おおよそ利益は自ずとついてくる」と。これが、顧客志向になるための最初のそして大きな教訓です。

      ※

「お客さまに戻ってきてもらうことを最大の任務と考えよう」
 これが「ブーメランの法則」です。お客さまが帰ってくることからブーメランと名づけました。これを深く理解していくと、この法則はアナタのビジネスのやり方を根本的に変えてしまいます。(22-23ページ)


 時間や資源が必要とされるビジネス上の決断をしなくてはいけない局面では、「この決断でお客さまが再び戻ってくることになるだろうか」と自問する習慣をつけましょう。(37ページ)


 最近、ある調査結果を目にしました。そこには、不満足なお客さまは満足しているお客さまの二十倍多く買い物でのできごとを他人に話す傾向にあるそうです。

 不満なお客さま五人それぞれが二十人に買い物中に起きた出来事を話す⇒一○○人があなたの会社についての悪い情報を聞く

 満足している九十五人のお客さまがそれぞれ一人ずつに買い物でのよい体験を話す⇒九五人があなたの膾炙についてのよい情報を聞く(104ページ)


 このアプローチのバリエーションに、とても高度な要求をする役柄をお客さまに与えることがあります。実際にお客さまが求めていると思うことよりも、ずっと高い基準を求めているように役柄を設定します。
 たとえば、私の場合、こちらに歩いてくるお客さまを国際的に有名な料理評論家、エゴン・ロネイであると想定します。彼に奉仕しているかのようにふるまいます。すると突然、お客さまに最高の接客態度で奉仕することが難しいことではなくなります。
 これらはトリックですが、不正直なことでも、ペテンでもありません。お客さまに接するときに、自分の意識を自動操縦から引き戻すことを目的とした単純なテクニックです。
 ひとつの次元でお客さまと接することを阻止する助けになります。(127-128ページ)


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 お知らせ

 今年があと364日もあると思うと、楽しみな感じです。


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