Sun Set Days
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2003年03月30日(日) 春の気配

 仕事帰りに後輩2人とラーメンを食べに行く。
 後輩の1人が気に入っている、いつもとてもよく混んでいる店(今日も23時少し過ぎだったのに満席だった)。
 入り口で食券を買って、麺の堅さとスープの濃さを選ぶ。かため、ふつうで。
 今日はお腹が空いていたこともあって、かなりおいしく感じた。
 帰り道はちょっと遠回りをして30分くらい歩いて帰る。
 朝方は、コートを着なくてもいいような陽気になってきていることもあって、早速今日からコートを着ないでいる。夜でもそれほど寒くはなかった。小さな橋を渡るときにも、橋沿いの木々がすでに春めいたものになりつつあるのが夜の影の中に見えてもいた。
 気がつくと3月も明日で終わりだし、もう4月になるのだ。
 早いなあと思う。
 早い早い。


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 お知らせ

 帰ってきたら「アマゾン」様からのご不在連絡表がまた入っていました。いつも思うけれど、アマゾン様って誰だよ、って思います。


2003年03月29日(土) プレイス

 生まれ育った街と学校のあった場所が違うのと、会社に入ってからの度重なる転勤のために、昔からの友人やかつて付き合っていたことのある人たちのなかに、これからまず会うことはないだろうなという人が何人かいる。もちろん、誰だってそうなのだとは思うのだけれど、ずっと同じ街に暮らしているいるよりは少しは多いような気がする。
 ときどき、そういう友人や恋人だった人がいま何をしているのだろうとか、元気なのかな? とか考えたりすることがある。環境はどんどん変わってしまうものだから、仲良くなる人もいれば疎遠になってしまう人もいるのはまあどうしようもないし、実際問題それはとても当たり前のことだ。
 けれどもやっぱり、いまどうしているのかな? と考えてしまう。
 もう結構いい年なので、結婚している人は多いのだろうし、子供がいたりする人なんかもいたりするのだろう。
 そう思うとなんだか不思議な感じはする。
 そんなときには、ちょっとした同窓会のような感じで、お酒でも飲みながら(まあ、僕は飲めないのだけれど)、空白の数年間のことを聞いてみたいものだと思う。かつて知っていた人の知らない時間を、その人の言葉で語ってもらうのってきっと面白いのだろうなと思う。場合によっては、へたな映画を見るよりもずっと興味深い話を聞くことができるのかもしれない。
 まあもちろん、中には連絡を取ろうと思っても現実的に番号もわからなくなっているし、消息を辿ることすらできない人もいて、そういうときにはなおさらどうなんだろうとちょっとだけ面白く思えたりもする。これから偶然でもどこかでばったり出逢ったりすることはあるのだろうかとかちょっとだけ考えてみたりもする。また、いまでも連絡先がわかっている人でも(連絡を取ることはないけれど)、どうしているかなともちろんときどき思うことはある。

 いずれにしても、これまで過ごしてきたすべての街や町に同じように夜は訪れているわけだし、同じように春が近づいているわけだし、それぞれの街や町でみんなそれぞれの人生を頑張っているのだろうとは思うのだけれど。


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 お知らせ

 関東でも桜がそろそろ、です。


2003年03月28日(金) 吹雪

 以前からこのDaysでも何度か取り上げているライブカメラのひとつ「小清水原生花園」

 http://www.stv.ne.jp/webcam/koshimizu/index.html

 の画像はいつも夕方になるととまってしまい、普段なら真っ暗な画面のことが多い。
 けれども、今日は17:31にとまっていて、それが雪の画像だった。
 昨日までは道東とはいえ、少しずつ雪も溶けかかってきている様子が見えていたのに。
 一日で一気に冬に戻ってしまったかのような画像に驚いてしばし見入ってしまう。
 もちろん、一度そういう雪が降った後に、逆に春はより強く引き寄せられているものなのだけれど。季節の変化はそういうちょっとした抵抗を超える力で、力強く巡るものなのだけれど、それでもやっぱり驚いてしまう。季節は生き物のようだとあらためて思う。

 それにしても、吹雪の風景のなかをヘッドライトをつけて走る車に乗っている人のことを、僕はきっと一生知らないままでいるはずなのに、その人の車を見ているのだからライブカメラは不思議なものだとも思う。

(ちなみに、ライブカメラは朝になると再びリアルタイムの画像を映し出すので、Daysに書いてあるのと同じ画像を見ることができる人は、夜中の間にDaysを見て、上のURLで確かめた人だけになってしまうのです)


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 サッカー、惜しい同点……川口のあのファンブルは痛恨……


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 お知らせ

 今日は昔の同僚とちょっとお茶をしてきました。あんみつも食べました。


2003年03月27日(木) 焼肉祭り

 今日は久しぶりに5人で焼き肉を食べに行く。
 肉ニクにくとやたらとうるさい5人。
 様々な話でかなり笑う。中ジョッキも一杯だけ飲んで、結構赤くなる。4つ下の後輩に僕よりも酒が弱いやつがいて、中ジョッキ一杯を飲まないうちに赤から青くなっていた。

 今日のDaysのタイトルに深い意味はないのだけれど、最近語尾に「〜祭り」とつけるのが周囲でちょっとだけ流行っているので。

 部屋から一番近いところにあるコンビニまで送ってもらい、部屋に着いたのは午前0時30分過ぎ。


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 小説を郵便局に出してきた。まずはひとつ。
 もうひとつ(『Spica』の中篇バージョン。タイトル未定)も月末までには送る予定。


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 お知らせ

 睡眠不足祭り?  


2003年03月25日(火) 夜のファミリーレストラン

 職場を出たのは23時で、外はまだ雨が降っていた。
 音のない静かな小雨。傘を差して、国道沿いの道路をぼんやりと歩いていたときに、なんとなくファミリーレストランに入ろうと思って、すぐ近くにあったバーミヤンに入ることにした。すかいらーくグループの中華レストラン。
 平日の23時過ぎという時間のせいか店内はそれほど混んではいなくて、手前側の喫煙席に客のほとんどが集中していた。
 僕は煙草を吸わないので(お酒も飲めない、パチンコもやらないならお金貯まるでしょうと言われるけれど、物欲がすごいので実際にはなかなか貯まらない……)、奥の方のほとんど客のいない禁煙席の方に座る。コートを脱いで、カバンを隣の席の上に置いて、メニューを開く。
 といっても、バーミヤンに行ったときには必ずチャーハンを頼むのだけれど。

 チャーハンを食べ終わった後、カバンの中からプリントアウトした『N43゜』を取り出して左手に赤ペンを持って読みはじめる(左利きなのだ)。ペンはファミリーマートで売っている無印良品の「中性(ゲルインキ)ボールペン赤」。むかしからこのシリーズのペンが好きで、推敲するときには大体この赤か青のペンを使う。

 読んでみると問題はもちろん多々あるのだけれど(恥ずかしいなあ)、それでも明日(26日)の休日でとりあえず終わりにしようかなというところ。

 ドリンクバイキング(ドリンクバー)でアイスウーロン茶やらコーヒーやらを飲みながら、黙々と読んでいく。語尾を変えたり、漢字の
変換ミスをチェックしたりする。

 深夜のバーミヤンはそれほど混んではいなくて、やたらとあちこちで携帯電話の着信音が鳴っているのが聞こえていた。

 結局、1時30分過ぎまでバーミヤンにいた。

 それから部屋に帰ってきて、パソコンを開く。いくつかのページを巡回し、それから赤ペンを入れたところを修正しようとする。CDはCharaの『夜明けまえ』とMYAの『FEAR OF FLYING』。

 僕の住んでいる3階建てのマンションはペット可の物件で、かなり多くの部屋で犬や猫を飼っているようなのだけれど、深夜2時過ぎから30分くらい、ずっと猫のさかる声が聞こえていた。かなり大きな声で繰り返し繰り返し。

 そして気がつくと3時を過ぎている。
 これから眠って、起きてから一日部屋にこもってまだ変更していない推敲箇所を直して、プリントアウトして、送る準備をしよう。

 最近はこのネタが多いねえ。


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 お知らせ

 MYAの「No tears on my pillow」は名曲!! だと思うのです。


2003年03月23日(日) あたたかい夜

 今日も23時過ぎに帰ってくる。
 帰り道は随分と暖かくて、建物から外に出たときに「あったかい」と言うと、「その台詞は北海道出身だからだ」と言われる。そういうもの?

 でもそれほど寒くなくて、帰り道は歩いていて気持ちがよかった。

 あとどれくらいでコートを脱ぐことができるのだろう?


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 そう言えば、先日の休日のときに、チャイムが鳴り、出てみると新聞の勧誘員(しつこそうなおじさん)だった。

 そのときの会話(実話)。


「○○新聞なんだけど」

「日経とってますから」

(実際には日経MJをとっているのだけれど、説明が面倒なのでそう言う。普通のニュースはネットで見ているし、職場で休憩時間に新聞を読むので必要なし)

「日経じゃなきゃだめ?」

「はい」

「……お兄さん一人で住んでるの?」

「ええ」

「学生さん?」

「社会人です(力強く)」


 ……ちなみに、僕の住んでいるところは、結構赤ちゃんのいる3人家族なんかが住んでいるので、一人暮らし自体が珍しい。いちおう2DKあるので、学生は住めないだろーと思ってみたり。これはもしかしたら私服にも問題がある?

 ちぇ。


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 お知らせ

 フラッシング・イヤリングというのがあって、それは付けている人の心臓の鼓動に合わせてピカピカ光るイヤリングなのだそうです。好きな人の前にそれをつけていったりしたら、わかりやすいですよね。


2003年03月22日(土) 3月4月

 23時に帰宅。夜ご飯を食べていたら気がつくと23時30分過ぎになる。
 明日は8時30分からミーティングがあるので、普段より早めに部屋を出る予定。

 4月になったら、とぼんやりと思う。
 いま手直ししている小説2つは今月中に応募してしまう予定なので、そして最近の休日はその手直しに向けているので、4月になったら観たい映画に出かけようと思う。読みたい本を読んで、散歩をして、それから新しい小説を書きはじめようと思う。部屋の掃除も(徹底的に)したいし、鎌倉の写真を撮りに出かけたいとも思う。

 計画倒れにならないように、マイペースで。

 それに、4月は、散歩にはいい季節だろうし。


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 お知らせ

【Fragments】もどんどんアップ予定(4月〜6月アップ予定)

ミルクティー→『Over』

水曜日→『Sweet Wednesday』

薄氷→『GARDEN』1

鈴掛の木→『GARDEN』2

天秤→『GARDEN』3

(『GARDEN』は短期集中連載です)

東京タワー→『One Hundred Summer,One Hundred Winter』

最近ずっとアップしていなかった【Fragments】の残りのお題は、実はもうほとんどどういう話かは決まっているのです。

たまには本当のお知らせでした。


2003年03月20日(木) 推敲

 今日も休日で、応募しようと思っている小説(ふたつ)を黙々と手直ししていた。
 好きでやっていることなので、基本的には楽しいのだけれど、そのときどきの体調やらなんやらで推敲する箇所がきっと変わってくるのだと思う。そしてだからこそ、どこかできりをつけないとならないのだろうなとも思う。きりとかけりとかはきっととても大切なことなのだ。
 だから、どこかできりをつけて、次の別の話をまた考えよう。
 ひとつ書くと、そこでうまく形にできなかったものを形にできるようにという気持ちがやっぱり強く出てくるものだし。


 今日は、『N43゜』(仮称)のプロローグ部分を。


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 プロローグ


 もし、人工衛星の小さな窓から地球を見ることができても、その小さな海辺の町を見つけることはできないかもしれない。けれども、たとえばその窓の傍らには小さなボタンがついていて、それを押すと見たい場所を拡大して映し出すことができるとしたらどうだろう。そうしたら、僕はボタンを押して(それはきっと赤いボタンだ)、ゆっくりとその小さな町を目指す。
 きっと、町はいつもと変わらずにただそこにあって、古い家々はこれからもずっとあり続けるのだというような表情をして立ち並び、弓状に細く伸びる白い砂浜は繰り返し冷たい波を受けていることだろう。
 バンは、まだ散歩をしているだろうか?
 誰が、バンを散歩に連れて行ってくれているのだろうか?
 そこに誰の姿を見つけたら、僕は安心してそのズームのボタンを離すことができるのだろう。
 山と海とに挟まれている狭い土地にしがみつくようにしている小さな(けれども良質の)温泉街、町自体が観光地であるのに全国各地の観光ポスターばかりが貼られている古い駅舎、車で五分もしないうちに通り過ぎてしまう商店街、ほとんどすべての子供たちが通うことになる小学校や中学校、細く長い石段を登らなくてはならない神社、欄干のすっかり錆び付いた長い橋。そんな町をかたどるたくさんの光景を、僕は順に見ていくことだろう。
 そして、最後にはやっぱり砂浜に戻るような気がする。
 何度も訪れたあの砂浜に、ユウコと言葉を交わし、バンを散歩に連れて行った、あのびゅうびゅうとただ風だけが強く吹く砂浜に。
 これは、僕の物語で、いまではもう閉じられてしまっている。
 その年、僕は十六歳だった。




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 お知らせ

 今日のBGMはほぼずっとCharaの『夜明けまえ』でした。


2003年03月19日(水) ただの散歩

 今日はお昼に起きて、とりあえず近くのバス停からバスに乗って、しばらくしてから降りた全然関係ない停留所の周辺をのんびりと散歩していた。
 別にこれといって名所のようなものも、大きなショッピングセンターなんかもない、駅の周辺にたくさんのマンションや団地が建ち並んでいるようなところ。
 少し歩くと、工場があって、バスの大きな車庫があって、片側二車線の道路にはたくさんの車が走っている。
 そんな、なんてことのない通りをただ黙々と歩いていた。
 いつものようにカバンを肩から斜めがけして、運動靴で、気持ち的にはのんびりとでも実際にはやや早歩きで、結構長い時間を。

 最近はちょっと忙しかったということもあって、のんびりと散歩をしたりもしていなかった。だから、今日はとりあえず少しでいいから散歩をしようと思っていたのだ。場所は別にどこでもよくて(朝早く起きることができたら鎌倉に行きたかったのだけれど、さすがに睡眠が必要だったし……)、それでまずはバスに乗ってみたのだ。横浜市のバスは210円支払えばどこでもいけるのでそういうときにはとても重宝する。それで思い立った停留所でバスを降りて、その周辺をただ歩く。それだけ。目的もなく、気が向いたところで降りるのって、気楽で都合がいい。
 
 朝から何も食べていなかったので(正確に書くのなら深夜に帰ってきて午前中はずっと眠っていたので)、歩いているうちにとてもお腹が空いてきて、目についた家系のラーメン店に入ってラーメンを食べた(横浜のラーメン店には家系という流派? に属する店が多い)。
 たまたま入ったのだけれど店内に入ってみると結構有名な店らしく、ラーメン店のランキングなんかが壁に貼られていた。味は個人的には普通。

 それからまた歩く。
 もうじき3月も終わるというのに風はまだ冷たくて、歩いていると耳が随分とつめたくなった。歩いているうちに確かにあたたかくなってはくるのだけれど、それでもやっぱり寒さの方がまだ少し勝っていた。歩いているときにはいろいろなことをぼんやりと考えたり、あるいは何も考えずにただ周囲の様子だけを眺めていたりした。そして考えていたことも他愛のないことばかりなので、すぐに忘れてしまうし、現に部屋に帰ってきたいまはもう覚えていない。

 ちょうど毎日少しずつ読み直しては調整を続けている『Spica』中篇バージョン(タイトルは未定)の主人公夫婦も、散歩をよくすることになっているので、どういう感じなのかということを改めて再認しているようなものだったのかもしれない。

 そういうただの散歩は、たまには必要だよなとあらためて実感。

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 それから16時を過ぎてから電車で関内に行き、Charaの『夜明けまえ』を購入。有隣堂で本を買い、伊勢佐木町モールのスターバックスコーヒーでカフェモカ(トール)を飲みながらその本を少し読む。
 その間に窓の外はどんどん暗くなっていって、店を出たときにはすっかり夜になってしまった。

 電車とバスを乗り継いで帰る。

『夜明けまえ』はレイク・タホの撮った写真のCharaがとても魅力的なニューアルバムだ。
 ジャケットや歌詞カードの中にある手書き風の文字もとてもよい感じ。
 このアルバムは、初の全曲Charaの作詞作曲だそうで、アコースティック風の曲も多くて、親密な感じのアルバムという印象。

 まだ一度しか聴いてはいないけれど、『夜明けまえ』っていいタイトル。


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 お知らせ

 久しぶりのDays更新ですが、元気でやっています。


2003年03月07日(金) Word Labo��

冴子:みなさんこんばんは。今日も言葉の不思議を科学する「Word Laboratory(通称Word Labo)」の時間がやってきました。

安藤教授:本当に久しぶりじゃのう。もういい加減打ちきりになっていたと思っておったわい。

冴子:いえいえ、何をおっしゃいます教授。この「Word Labo」はこの午前4時から5時までの間で、一番高い視聴率を獲得しているのですから、そう簡単には打ち切りにはなりませんよ。

安藤教授:他局はこの時間に放映しとらんからじゃろう……

冴子:えー、コホン。教授、生放送ですから(さりげなく教授の足を踏む)。

安藤教授:こんな朝早くから老人を捕まえて、まったくのぅ……

冴子:さて、今日のテーマは「効果的な登場人物紹介を考えよう」です。よく海外の翻訳ミステリーや分厚い文芸大作などで、最初に登場人物紹介が載っているものがあります。確かに、めまぐるしく現れては消えていく登場人物たちにすぐに立ち返れるようにという意味で結構重宝するものです。とくに、まだ序盤、物語にそれほどなじんでいないときには、より重要なページと言うことができます。

安藤教授:そうじゃ。特に海外の翻訳ミステリーは妙に登場人物が多かったり、名前がわかりずらかったりして、登場人物紹介がないとなかなか頭の中が整理されんな。

冴子:確かにそうですね。けれども、登場人物紹介は便利であると同時に、さじ加減が難しい部分でもあります。たとえば、物語の中でその人物に降りかかる衝撃の運命などはそこには記載することができませんよね。たとえば……

(テロップ挿入)


 鈴木太郎……本編の主人公。リストラされるが、偶然買った宝くじで一等が当たり、それを元手に自ら事業を興し成功を収める。


 とか書いてあったら、その分厚い本を読む楽しみもなくなってしまいますね。

安藤教授:確かにそうじゃな。ああそれなら読まなくていいよなってなるのう。

冴子:そのようなことを踏まえた上で、現状の登場人物紹介では、それほどつっこまない内容、つまり誰それの兄弟だとか恋人だとか、あるいは友人だとか、そういった必要最低限のバックグラウンドだけが書かれていることが多くなっています。

安藤教授:その方が下手な先入観を抱かせることもなく、より本編を楽しむことができるというわけじゃな。

冴子:その通りです。つまり、現状の登場人物紹介とは、このようになっているわけです。

(テロップ挿入)


 ドラえもん 登場人物紹介


 ドラえもん……野比家の居候。
 のび太……野比家の長男。
 しずか……のび太の級友。
 ジャイアン……のび太の級友。
 スネ夫……のび太の級友。
 ドラミ……ドラえもんの妹。


冴子:もう一枚見てみましょう。


 サザエさん 登場人物紹介


 波平……磯野家当主。
 フネ……波平の妻。
 サザエ……波平夫妻の長女。マスオの妻。
 カツオ……波平夫妻の長男。
 ワカメ……波平夫妻の次女。
 マスオ……サザエの夫。
 タラオ……マスオとサザエの長男。
 タマ……磯野家の飼い猫。


冴子:このような感じです。どうですか、教授?

安藤教授:まあ、こんなものじゃろうな。けれども、もともと知っている物語の場合には、いざ紹介されてみるとなんだか不思議な感じがするのう。たとえば、ワシでもジャイアンと名前を聞いただけで結構たくさんの性質や特徴を連想することができるのじゃが、「のび太の級友」で終わっとる。カツオも「波平夫妻の長男」で終わり。そういうのってなんだかおかしな感じじゃのう。

冴子:ええ、確かに。ただ現状の登場人物紹介というのは、こんなものなんですね。

安藤教授:ということで、じゃ。今日はいくつかの新しい登場人物紹介を考えてみたというわけじゃ。常に「ことばはいきもの」のポリシーにのっとって、新しい試みをしようとしている我々の本領発揮というところじゃな。それでは、順番に見くことにしようかの。

(テロップを出す)


「八郎寿司物語」……江戸っ子気質を残す老舗の寿司屋「八郎寿司」を舞台にした、心温まるヒューマン・ドラマ。


主な登場人物

マグロ……インドマグロ。
トロ……脂がのっている。
かんぱち……活きがいい。
ウニ……高級品。
はまち……いまが旬。


冴子:……なんか違いませんか。って言うか、人物じゃないような気がするんですけど……

安藤教授:寿司屋の店員たちの紹介をすると見せかけ、ネタの紹介をする。この変化球が新鮮なんじゃ。冴子君、この登場人物紹介を見たら、「八郎寿司」がどんな寿司屋か気にならんかね?

冴子:ま、まあ気になりますよね、確かに。

安藤教授:そこじゃ! そこなんじゃよ冴子君っ!! うおおおぉぉぉおおっ!!!(教授、エキサイトして目の前にあったマイクをカメラに向かって投げつける)


────しばらくお待ちください────(背後で、「ウホッ、ウホッ」という声だけが聞こえている)


冴子:……ただいま、お見苦しいところがございましたのをお詫び申し上げます。

安藤教授:ウホッ……んー、コホン。話が少し前後してしまったが、そういうことなんじゃよ冴子君。つまりじゃ、登場人物紹介というのは、いまではもう登場人物の紹介をしなくてもいいんじゃよ。むしろするな! ……読者に、その中を読んでみたいなと思わせればそれで勝ちなんじゃ。現代の若者たちは、最初が面白いかどうかで読むかどうかを決めてしまう。つまり、最初のつかみが、芸人並みに求められる時代になっているんじゃ。

冴子:なるほど……確かに登場人物紹介を、読者が興味を持てるように利用するというわけですね。

安藤教授:その通りじゃ。では、そのパターンをもうひとつ見ていくとするかの。

(テロップを出す)


「ラブ・セレナーデ」……大学生男女5人の楽しくて少し切ない恋模様を描いた恋愛小説。


主な登場人物

速見俊一:サッカー部のキャプテン。亜里砂のことが好き。
星野亜里砂:サッカー部のマネージャー。速見とは同じ高校出身。
正木祐二:亜里砂の昔の彼氏。自分の浮気で別れたのだが、亜里砂のことが忘れられない。
新見遥:正木のことが好きな、軽音部に所属する元気一杯の少女。
ボブ:キン肉モリモリ。冬でも半袖の大男。


冴子:……なんです? コレ?

安藤教授:気になるじゃろ?

冴子:確かに、気にはなりますけど……何かが違うような……

安藤教授:それでいいんじゃ。読者はそのちょっとした違和感が気になって、とにかくページをめくる。そうしている内に物語の魅力にとりつかれ最後まで読み切るというわけじゃ。

冴子:ちなみに、この「ラブ・セレナーデ」の最後はどうなっているんですか?

安藤教授:亜里砂とボブが幼い頃の約束を叶えて結ばれる感動のラストじゃよ。

冴子:え……!? 幼い頃の……??

安藤教授:最後に、もうひとつ見てみるかの。

(テロップを出す)


「ワンダフル・ワールド」……悪を退治するための正義の戦隊「ワンダフル・ワールド」の面々の活躍を描いた冒険活劇。


主な登場人物

ワンダフルレッド:武器はマグロソード。
ワンダフルブルー:ブルーというよりは紫。
ワンダフルグリーン:胃腸が弱い。
ワンダフルイエロー:太りすぎ。
ワンダフルピンク:実は男。


冴子:……あんまり頼りにならなそうな戦隊ですね。

安藤教授:そうじゃ。こいつらで大丈夫なのかと思わせることによって、本編に呼び込むというわけじゃ。

冴子:はぁ……。

安藤教授:さて、今日は「登場人物紹介」にメスを入れてみたが、世の中にはまだまだ既存の常識が当たり前のものとなって、新しい手法が考えられていないものがたくさんある。この番組では、今年も様々な着眼点から認識を変えていくことにチャレンジしていくつもりじゃ。

冴子:それでは、今日はこの辺で、ごきげんよう。


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 お知らせ

 過去の二人の掛け合い(「Word Labo」シリーズ)を読みたい方は、DaysのSelectからどうぞ。


2003年03月06日(木) ごはん

 今日も部屋に帰ってから時計を見ると23時で、それからご飯を作って食べ終わると、あっという間に0時近くになってしまう。
 もちろん、夜遅くに食事を取ることがあんまり身体にはよくないことはわかるのだけれど、お腹はすいているのでやっぱり軽く作って食べてしまうのだ。
 最近はサラダとか豆腐とか、健康に良さそうなものをできるだけメニューに加えるようにしているのだけれど。

 最近重宝するのがレンジですぐにできるご飯だ。サトウのご飯とかそういうやつ。
 基本的には、休日にご飯をたくさん炊いて(と言っても3合炊きなのだけれど)、それをおむすび状にして冷凍庫にしまっている。それをひとつずつ解凍して食べるのだ。けれども次の休日になる前にそのストックが尽きてしまうことも少なくなくて、そういうときにはレトルトごはんが登場してくる。レトルトごはんはかなり便利だ。なんといっても3分だし。

 いまの職場には単身赴任で来ている人がいるのだけれど、その人もやっぱりレトルトご飯に頼ってしまうのだと話していた。それにおかずをちょっと作って、ビールと一緒に一人で食べるのだという。僕は晩酌をしないので(お酒は苦手だし)、ビールのところは烏龍茶や緑茶になってしまうのだけれど、それでも基本的な路線は似ていると思う。手早くできる簡単なおかず(野菜炒めとか、卵料理とか、おひたしとか)を作ってごはんとお茶と一緒に食べる。

 最近は、そういうひとり暮らしに便利なちょっとしたメニューばかりが出ている本も売られているので、休日にまず試してみる。そしてそれを平日にまた作ってみるのだ。


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 お知らせ

 マクドナルドの藤田田退任! とマックファンとしては衝撃を受けてみたり。


2003年03月05日(水) ショッピング

 数日前に読了した『なぜこの店で買ってしまうのか』は興味深い本だった。エンヴァイロセル社の創業者でありCEOであるパコ・アンダーヒルの手による本なのだけれど、最初は副題にある「ショッピングの科学」という言葉を不思議に思っていた。もちろん、流通や小売りは(他の産業に比べて考察が遅れている分)いくらでも科学的に考えていくことのできる素材だ。ただ、本書ではショッピングにいったいどのような科学的な法則なり理論なりを示してくれるのだろう? と思ったのだ。

 本書ではすぐ、それを説明してみせる。それはこんなふうにだ。


 彼らとショッピング環境(商店のほかに銀行、レストランも含む)のかかわりかたを研究し、そのときラック、棚、陳列台、看板、バナー、パンフレット、道順の案内、コンピュータを利用した対話型情報案内、入口、出口、窓、壁、エレベーター、エスカレーター、階段、スロープ、レジの列、銀行の窓口の列、カウンターの列、化粧室の列、あらゆる通路の端から端──駐車場の隅から店のいちばん奥──まで漏れなくカバーすれば、それがショッピングの科学の始まりといえる。(11ページ)


 本書は、もし文化人類学者がそのようなことを研究の題材としていたら、自分たちがショッピングの科学を調べることはなかっただろうと言う。けれども、実際には文化人類学者たちはそのようなことに注意を払わなかったから、彼らがそれを行うようになったのだ。
 もちろん、ショッピングの科学は店の研究ばかりではなく、店内で実際に客が行うこととの関連で考えていく。すべての看板も、それを見る人との関係性において有効性が図られるべきだからだ。


 行くところと行かないところ、行くまでの経路、見るものと見落とすもの、読むものと読まないもの、目にした品物にどう対応するか、いわばどのようにして買うか──どのように棚からセーターを引っ張り出して胸にあて、胃腸薬の効能書やファストフード店のメニューを読み、買い物カゴを使い、ATMの列に反応するか──(11ページ)


 そのようなことも彼らは調べる。調べるためにはトラッカーという調査員(普通の服装をしている、一般客に見えるのだが、実は他のターゲットと決めた買い物客の行動をつぶさに観察し、細かく指定の用紙に書き込んでいく人たち)を用い、また店内につけたビデオカメラ等の膨大な情報もその助けになる。
 つまり、彼らはいままで誰もがやろうとしなかった、店の中で起こっているすべてを様々な方法で収集し、分析し、改善、改革をしていくためのチームなのだ。

 彼らの調査の結果、たとえばこういうことがわかるようになる。


・試着室にもって入ったジーンズを実際に買う割合
          男……65%
          女……25%

・コーンチップスを買う前に袋の栄養成分表示を読む客の割合
          企業や学校のカフェテリア……18%
          町のサンドイッチショップ……2%

・コンピュータを眺めている客が実際に買う割合
          土曜日の午前中……4%
          午後5時以降……21%

・ショッピングモールの家庭用品の店で
          客が買い物カゴを使う割合……8%
          カゴを使う客が実際に品物を買う割合……75%
          反対にカゴを使わない客が品物を買う割合……34%(18〜19ページ)


 そして、そのわかったことから導き出されるのは、


 この場合は当然、過去に学んだことのすべてを利用して、カゴを使う客の数を増やす方法を提案する。ショッピングの科学とは、あえて言うなら、調査、比較、分析を通して商店や商品を買い物客により適合させるための高度に実践的な学問だからだ。(19ページ)


 ということになる。
 その最初の部分だけで、本書がかなり興味深い内容を示しているということがわかると思う。誰もが日々お客であり買い物をしているはずなのに、その環境についてそのように考察してみようとは思ってはいなかったはずなのだから。よしんば思ったとしても、このエンヴァイロセル社のように、地道にかつ徹底的に実行することはなかったはずだ。


 本書の中には、興味深い内容がたくさんある。主要通路沿いにあるネクタイ売り場の不振が、ネクタイを見ているときに混雑によって後ろからぶつかられてしまうことによるものだということだとか(通路幅を広げたら売り上げは好転した)、女性客がノーブランドやストアブランドの美容製品を選ぶ決断のプロセス(パンテーンとストアブランドのラベルを読み比べ、それから価格を見比べてからストアブランドをカゴに入れるなど)、あるいは買い物客に必要な滑走路である移行ゾーンについてなどが述べられている。どれもなるほどと思うことで、その調査結果によって得られるのはどちらかというと小さな改善の積み重ねというところだ。
 けれども、自分の周りを見回してみても、そのような小さな改善を常に行うことができているとは決して言えないのだ。
 だからこそ、それらの小さな改善を積み重ねていくことによる効果のようなものは非常に大きいということができるだろう。
 サム・ウォルトンも、一坪ごとの改善を続ければ、平凡な商人でも非凡なことができると言っていたし。


 コンバージョン・レート(実際に品物を購入する来店客の割合)と、買い物カゴの位置の関係性なども興味深い。コンバージョン・レートが低いのであれば、店内のより多くの場所に買い物カゴ(ないしはカート)を用意しておくというものだ。つまり、買い上げ率が低いのは店舗が魅力的ではないことの他に、ついで買いをしようと思ったときに、そこにちょうどよいタイミングでカゴがないためということもあるのだ。そこにカゴがあれば、それを手にとって通路を歩いている内に興味を引かれた(最初は買うつもりのなかった)品物を買うようになるだろう。
 調査結果からも、買い物カゴを持った客が商品を買う割合は高く、また店内の滞留時間が長い客はより多くの品物を購入するわけでもあるし。


 他にも、様々な普段行っている買い物のシーンばかりが書かれているのに、切り口が異なるだけで新鮮に感じられる内容が多く見える。本書の中ではそれらを「ショッピングのメカニズム」(看板の効果など)「ショッピングの統計的研究」(男性と女性の違い、子供と老人の買物など)、「ショッピングの力学」(パッケージや商品に触れること、会計と包装、サイバーショッピングなど)と章立てして解説している。

 固定観念に縛られずに、かつ常識的に考えることが重要なのだという一見矛盾することを、あらためて思わされた。


 おもしろかったところを何カ所か引用。


 レジの行列に向けたカメラが、いくつもある瓶や箱を取り落とすまいとしてジャグラー顔負けの芸当を披露している客をとらえていた。そのときにふと思ったのだ。あの男、カゴを使えばいいのに、と。
 なぜ彼はカゴを取らなかったのか? 店にはカゴがたくさんあるが、ドアのすぐ内側に置かれていた。おそらく人々の頭のなかで、ドラッグストアとカゴが結びつかないのだろう。店に入るときは、必要なものを一つ二つ買うつもりでいるが、しばらくしてほかにも買うべきものに気づくのだ。(……)われわれは、三個以上の商品を抱えた客にカゴを手渡す方針を、全従業員に徹底するよう提案した。経営陣はこれを採用した。人は誰かが親切にしてくれると嬉しいもので、ほとんどの客は喜んでカゴを受け取った。カゴの使用がみるみる増えると、平均売り上げにも同じことが起こった。まったく同じように上昇したのだ。小売業でもうけを増やす最も簡単な方法は、現在の顧客にものをより多く売ることだ。(69〜70ページ)


 これは私個人の経験だが、空港で飛行機を待って過ごす時間は実に長い。多忙なビジネスマンの例にもれず、私も待ち時間に仕事をする。だが近ごろは、空港のテレビのために注意の集中を妨げられてばかりいる。CNN制作の航空旅客向けの番組のためだ。どうしても消すことができない。ゲートラウンジにいるのが私一人のときもつけっぱなしだ。私は静かに怒りを燃やし、二度とCNNの番組は見るまいと心に誓う。ところで、空港にはどれほど多忙なビジネスマンでもただぼんやりとつっ立っている場所がある。荷物コンベヤーのまわりだ。そこでなら、スーツケースが転がりでてくるまで、誰もがCNNのウォルフ・ブリッツァーに感謝するだろう。(95ページ)


 先日、ニューヨークの金融街にあるホテルのエレベーターに乗ったところ、壁の鏡の下にこう書かれていた。「腹ぺこの顔」。そして、ホテル内のレストランの名前と紹介が添えられていた。保証するが、この案内板の露出率は100%に近いだろう。これを見た人はにやりとして、本当に腹ぺこかどうか自分に聞いてみるにちがいない。おみごと。(97ページ)


 とはいえ、買い物の社会活動としての一面は不変のようだ。現代の女性も友達と買い物するのが好きで、たがいに選びあったり、まずい買い物をしないように注意しあったりする。男が二人揃っておでかけして、一日がかりで素敵な海水パンツを選ぶ日がくるとはちょっと考えられない。これまで見てきたように、女性が二人で買い物をするときは、一人だけのときよりも多くの時間と金をかけるのがふつうだ。男性を連れた女性よりも多くの買い物をし、長い時間をかけることはたしかだ。店に入った二人の女性は買い物マシーンになる可能性があり、賢明な小売店はこの行動をけしかけるためなら何でもする。(152ページ)


 最近のめざましい成功をおさめた塗料がマーサ・スチュワートとかラルフ・ローレンのようにライフスタイルの教祖の名を冠して売りだされているのも偶然ではない。(……)昔はペンキ売場といえば店の奥の肥料袋の裏あたりだったのだが。ペンキはハードウェアからファッションになった。それはひとえに女性が手を染めるようになったからだ。男がペンキを塗るのは、壁がはがれてひび割れたときだが、女がやるのは、壁ではなく、自分に変化が必要だと感じたときだ。もちろん、ペンキ塗りはこれまでもずっとふつうの男や女の能力の範囲内にあった。しかし、ここにいたって初めて、ペンキそのもののパッケージ、マーケティング、売られ方のユニセックス化が進んだのだ。(164ページ)


 ゼネラル・ミルズは子供向けのテレビ番組の合間に放映されるコマーシャルでさかんにポップコーンを宣伝したが、販売戦略を知らない商品開発の例にもれず、子供の手の届く位置にそれを陳列しそこねた。(……)六歳前後の男の子がポップコーンの置かれた棚に向かって何度も飛び跳ね、それを落として母親に見せようとするシーンが写ったビデオを、われわれはいまでもクライアントに見せている。男の子はようやくそれを落とすことに成功するが、母親はそれをカートに入れようとはしない。しょんぼりした男の子はそれを棚に戻すのだが、元の場所ではなく、自分の目の高さに戻す。次にそこを通りかかった子供が案の定、それを見つけ、ポップコーンを取って父親の押すカートに入れるが、今度は棚には戻されなかった。買い物客の観察から智恵を学んだ決定的瞬間である。(195〜196ページ)


 調査によれば、タオルは売れるまでに平均六人の買い物客がさわっているという結果がでた(使用前に洗ったほうがよいのはこのためだ)。(217ページ)


 ここで、現実の店でしかできないことを以下に三つあげてみよう。

 1  さわったり試したりなど、感覚に訴えること。
 2  ひと目で気に入ること。
 3  他の人とのやりとり。

 これらについて注目すべきは、前もって計画された購入行動とはほとんど関係がなく、買い物の感覚的、実験的な側面、つまり一般大衆は大好きだがインターネットにはまだ実現できない、非常に俗っぽい楽しみに大きく関係している点である。(305〜306ページ)


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 今日は休日だったのだけれど、印刷用の用紙とインクリボンを買うためにヤマダ電機まで行ってきた。目的の物を購入し、ふと立ち寄ったCD売り場にCharaのMaxiが売られているのを見つけて、それも一緒に買っていくことにした。
 そして、レジでお金を払っていたら、少し待たされて「おめでとうございます!」と言われた。
「は?」と思った。「ありがとうございます」だろうと思ったのだ。
 ところが、それは確かに「おめでとうございます」で、50人に1人に、3万円までキャッシュバックというのにちょうど当たってしまったのだ。
 レシートのいちばん下に【当たり】の文字が印字されていて、もう1枚のレシートのようなものと2枚手渡され、サービスカウンターに行ってくださいと言われる。
 そこでも「おめでとうございます」と言われ、氏名や電話番号や住所を記入すると、そのときの買い物に支払ったお金が戻ってきた。

 税込みで、1019円。

 もちろん、微妙だよなあとは思っていた。50人に1人なのだから喜ぶことなのだろうし、買い物がタダになったのだからやっぱりラッキーなことだ。けれども、電機店で、様々な品物があるのに、Maxiシングル1枚分のキャッシュバックか……と思ってしまったのだ。
 でもまあ、やっぱり得したことには変わりないかと思うようにする。うーん。


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 お知らせ

 Charaの「みえるわ」はきれいな曲です。


2003年03月01日(土) 石浜

 新しいTop写真は、祖母の住んでいる小さな町の石浜で写したものだ。
 その町は小樽市にあって、その日祖母の家に行く約束になっていた僕は、午後から列車に乗ってその町を目指した。
 いままで何度も降りた駅で改札口を抜ける。以前は駅員が立っていたものが、いつの間にか自動改札機に変わっていて戸惑ってしまう。
 時計を見ると、到着の時間より少し早かった。それで、祖母の家に行く前にちょっと石浜に寄っていくことにした。
 その町は駅を出て左に進むと石浜、右に進むと砂浜の海水浴場があるという便利なところで、夏になるといつも海水浴客で賑わっていた。

 駅から石浜まではほんの少し歩く。
 海岸近くの道路を歩いていくと、やがてカーブにさしかかり、これ以上は前には進めないと思えるようなところに出る。けれどもそこは実際には行き止まりではなく、海岸沿いを走る線路と平行に、すれ違うのがやっとというくらいの狭い路地が実は続いているのだ。その路地をしばらく進んでいくと海と線路の間に漁業関連の建物がいくつか続き、それを超えると石浜がふいに開ける。地元の人じゃないとなかなか進んでみようと思わないような狭い路地だ。

 かつての夏と同じように、その路地をもくもくと進んでいった。ほとんど人が通らないせいか、雪が結構積もっていた。
 前にも後ろにも、誰もいなかった。
 そして、しばらく進むとようやく石浜に降りることができた。

 石浜では波を受ける部分の雪が溶け、波の届かない部分にはまだ雪が残っていた。幾重にも緩やかな弧を描く海岸線が冷たい波に繰り返し打たれている姿が見える。テトラポットが海面に鉛色の影を落とし、波はどこまでも鈍く輝いている。風はそれほどなく、雲は季節の訪れのようにゆっくりとその石浜上空を覆おうとしていた。

 僕は肩掛けカバン(散歩の定番)からデジタルカメラを取り出して、何枚か写真を撮った。海の方を見て一枚、緩やかに続く海岸線を一枚、空を一枚、波打ち際を一枚、というように。ぱちりぱちりと。その間に、海岸沿いの線路を列車が近づいては遠ざかっていった。

 写真を撮り終えた後、その場で少しぼんやりと海を見ていた。かつてこの石浜で泳いでいたことなんかを思い出していた。ヒトデがやけにたくさん岩に張り付いていたことや、途中から急に海が深くなっていたこと。多くの人がウニを捕っていたこと(もちろん密漁)。石浜のところどころに石の竈ができあがっていて、そこでウニを焼いたり、生のまま石に叩き付けて食べたりしていたこと。僕はウニが嫌いなのでいつもそれを見ていただけなのだけれど、食べている人は捕ったばかりのウニをそのまま食べるなんて最高! というようなことをよく言っていた。嬉しそうに。おいしいおいしい言いながら。
 僕はと言えば、あんなものよく食べれるよなーと、子供心にも思っていた。いまも思っている。ウニを嫌いなんて信じられないと、いままでの人生で何度言われたことか(ちなみに、「お酒を飲めないなんて人生の楽しみを知らないのね」とはもっと言われている)。

 結局、寒くなってきてその場を離れるまで、石浜を少し歩いてみたのだった。

 写真の石浜は、夏になるとたくさんの海水浴客で溢れる。冬の午後には、そんなことはとても信じられないような静寂。

 考えてみると、子供の頃、冬にはこの石浜を訪れたことがなかった。本来訪れる季節以外に訪れたりすることは、もしかしたら自分が年をとったということなのかもしれないと思った。同じ場所の反対側の季節の中にも、ある種の魅力のようなものはあるのだということを少しは感じ取ることができるようになったのかもしれないし。


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 お知らせ

 ATOKは使い勝手がいいなと、あらためて実感しています。


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