Sun Set Days
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| 2003年04月30日(水) |
『ベッカムに恋して』+横浜で買い物 |
今日は休日で、横浜まで出掛けてくる。 目的は映画と買い物で、映画は『ベッカムに恋して』。この邦題の付け方には妙なねらいが感じられもするのだけれど、ストーリー自体には実際のところベッカムはほとんど関係ない。サッカーが大好きなインド系の少女が、家族に反対されながらも迷いながらも夢に向かって進んでいくというものだ。予告編などを見て面白そうだったので、見に行くことにしたのだった。
横浜でこの映画を上映していたのはヨコハマ・シネマ・ソサエティという91席のミニシアター(西口付近)。結構古い作りで、地下にあるのだけれど、長方形の劇場には段差がなく、満員だったら前が見にくくなるケースも少なくないだろうなというところだった。この映画館の変わっているところは、映画館の中(つまり一番後ろの座席の横)にジュースなどを売る売店があることで、上映の数分前に係がそのコーナーにやってきて、ジュースなどの注文を受け付けてくれる。いままで結構様々な土地でいくつもの映画館に行ってきたけれど、座席の横に売店があるのははじめてのケースで驚く。 世界は広い。日本でも地方都市に行ったらもっとずっと変わっている映画館がたくさんあるのだろうか。
映画の方は少し期待しすぎていたのかもしれないというのが感想。 もちろん面白かったのだけれど、笑いあり感動ありという前評判や予告編での印象でかなり期待していたので、その分ちょっと残念だったというところ。もちろん、サッカーに情熱を傾ける主人公の青春物としても楽しめるし、親友と同じ人(サッカーのコーチ)を好きになってしまうことだとか、古き慣習に従わせようとする家族の反対があったりと、盛り沢山のストーリーでお腹いっぱいではあった(しかも途中にインド映画っぽい歌と踊りも挿入されるのだ!)。けれども笑いにしても感動にしてもそれほど強くはツボにはまらなかった。 笑いと感動ということについて言えば、やっぱり『猟奇的な彼女』があっただけに、それと同じくらいのものを求めていたのかもしれない。
けれども、サッカーシーンはやっぱり痛快だし、最初のベッカムと一緒にプレイしているという夢想のシーンなんかも、結構笑えはしたのだけれど(その夢想の試合の解説者にかつてのワールドカップの得点王リネカーがいるというのも小技が利いている)。
これはティーンエージャーの女の子とかが見たらもっとずっと楽しく感じるのだろうか?
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CDを2枚買った。 PSY・Sのベストアルバム『TWO HEARTS』と、小泉今日子のニューアルバム『厚木I.C.』。 ジャパニーズ・ポップづいている2枚。 PSY・Sの方は先日有線で久しぶりに聴いて、昔カセットテープを友人にもらって繰り返し聴いていたなということを思い出して欲しくなったもの。タワーレコードで探したらベスト盤があったので購入。ものすごく久しぶりに聴いたのだけれど、懐かしくやっぱりいいなとあらためて思う。もう10年以上も前のグループなのだということに驚く(「Angel Night」とか改めてよい曲)。 いまの学生とかはこのユニットのことを知らないのかもしれない 小泉今日子の方は、いままでこの人のアルバムを1枚も持っていなかったのに、試聴機のところで『厚木I.C.』というタイトルを見て(懐かしいなー)と思い試聴してみたらよい感じで、そのまま購入。昔厚木の近くに住んでいたことがあって、厚木I.C.で車を降りたこともなんどもあったので、それでなんとなく。宮沢和史や高野寛が作曲を手がけているということで、世代的には結構はまりがちなところかもしれない。ジャケットの写真もなんでもないような街中で小泉今日子が煙草を手にしているような肩の力の抜けたいい感じの写真で、そういった全体の雰囲気に惹かれた部分もあった(部屋に帰った後その写真を撮った人を確認すると、佐内正史だった。納得)。
どちらも部屋に帰ってきてから聴いて見たのだけれど、いい感じだ。昔はもっと洋楽よりだったのだけれど、最近は邦楽もかなり好きだ。いい曲であれば、なんでもいいのだなとは当たり前だけれど実感する。
横浜は平日だというのに人がとても多くて、いったいどこから来ているのだろうと思ってしまう。 特に西口近辺は路地が多いから、なおさら人が密集して感じられるのかもしれない。
映画を見た後はスーツを買い、本を買い、スーツの裾上げが終わるまでの時間桜木町近辺でいろいろな店を見る。桜木町近辺にある店で見てみたいところがいくつかあったのだ。東急で横浜から桜木町に移動し、ぐるぐる店を見て回り、時間があったのでそのまま横浜までのんびりと歩く。新しいマンションがたくさん建設されていて、大きなクレーンが灰色の雲の下、絶滅し損なった恐竜のように首をもたげているのが見えていた。歩いてみると意外と近くて不思議な感じがする。
横浜に戻ってからまだ時間があったのでスターバックスで買ったばかりの本を読む。 それから無印良品に行ってノートを買い(ダブルリングノート。ベージュ・B5・80枚・無地)、東急ハンズとビブレ(HMV)とヨドバシカメラをひやかす。無印のこのノートは以前から仕事で使っていて、ちょっとしたメモとか、ミーティングの内容とか、とにかく何でもそれにどんどん書いていく用としてとても重宝している。きれいに使おうとかは考えずに、とにかくどんどん乱雑に書いていくやつ。罫線もないので、その用途にはぴったりなのだ。それと、透明のやっぱり無印のクリアファイルを使っていて、そちらの方にはとっておかなければならないA4の文書やもらったメモや伝票類などを入れている。クリアポケットになっているタイプで、関連するものはすべてひとつのポケットにつっこんでおけば紛失もしないし、あとで整理することもできるし。文房具はやっぱりなんだかんだいっても使い慣れているからなのか無印のものが使いやすいような気がしてしまう。
スーツを受け取りに行くときにYシャツとネクタイも買う。スーツを買いに行くと、幼い顔していても大人なんだねえと自分のことながら思う。最近はもっぱら2プライスストアで買う。2プライスストアはわかりやすいので気に入っている。それが何にせよ、わかりやすいことってよいことだ。
帰りに高島屋の地下の【GRAMERCY】でケーキを買う。目当てのニューヨークチーズケーキは売れ切れていた。この店のケーキの箱を入れてくれる薄いグレーの透明な袋がかなり格好よくてしみじみと見てしまう。味はちょっと大味で個人的には……だったのだけれど。
電車に揺られ、バスに乗って部屋へ。早速CDをかける。部屋にいる間は仕事の資料等を作るために集中したいとき以外はほとんど百パーセント音楽がかかっている。 明日も休日なのだけれど、休日があった上司と後輩とアルバイトの学生と麻雀大会。社会人になってからほとんど麻雀をする機会はなくなっているのだけれど、4〜5ヶ月に1日くらい行われる。4人中2人ははじめての人なので、どうなることやら。楽しみ。
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お知らせ
よく考えると、今日一日で結構な距離を歩いたのでした。
好きなこと、って結構たくさんあるような気がするのだけれど、昔から継続していることのひとつに、ベストテープ(MD)づくりがある。 これは、自分が持っているCDの中からルールを決めて好きな曲を選んで、テープやMDに録音するというやつ。誰もが一度はやったことがあるだろうし、場合によってはそんなふうにして作ったテープを人にあげて恥をかいて、それ以来トラウマになっている人もいるかもしれない。 あ、あと昔雑誌で特集されていた「もらって嫌な物ランキング」にマイ・ベストとかのMDと書かれていた記事を見たこともあるから、世間的には結構やっぱり痛いものなのかもしれない。
でも、そんなベストMDづくりを、個人的にはいまだにずっと続けている。もちろん、最近は昔ほど頻繁にではないけれど、たまの休日にCDラックからCDを出してきてはテーブルの上に積み重ねて、ラジカセに向かってみたりしている。
これが結構楽しいのだ。 僕がベストMDづくりをするのは自分のためであり人のためでもあるのだけれど、まず自分のための理由。 これは、好きな曲を久しぶりに聴くことができるというもの。 MDに収録する曲はもちろん好きな曲ばかりなのだけれど、意外としばらく聴いていなかったものが多いのだ。それを久しぶりに引っ張り出して聴くことで、「あー、この曲好きだったんだよな」とか「やっぱりいいよなぁ」とか、そういう感覚を思い出すことができるのは結構楽しい。 そして、人のための部分では、やっぱり喜んでもらえるというものだ。音楽なんてひどく個人的で好みなんて千差万別だということがわかってはいても、それでもやっぱり自分が好きな曲を友人も気に入ってくれたりすることには嬉しいものがあるし。それってただの自己満足かもしれなくても、満足には違いないわけだし。
ちゃんと数えてはいないので何とも言えないのだけれど部屋にはいま500〜600枚くらいのCDがあって、様々なジャンルのものがあるのだけれど、一番割合が多いのはR&Bなどのブラックミュージックだ。そして、僕が自分でMDを作るときには、ブラックミュージックばかりを集めたものを作ることが多い。 しかも好きな曲ばかりを集めてしまうので、結果としてミディアムテンポの切ない感じのする、あるいはドラマティックな感じのする曲ばかりがこうもまあといった感じに集まってしまう。もちろん、テンポのよい曲とスローな曲を適度にバランスよく集めてみた方がよいのではないかとか、あんまり好きではないのだけれど有名だからこの曲を入れようと思ったりすることもあるのだけれど、結局は好きな感じの曲ばかりにしてしまう。自分で聴くときにもその方がいいからだし、好きな曲を集めることに意味や意義があるわけだし。
そして、ルールが一つあって、それは1アーティスト1曲にすること。どんなに好きなアーティストでも、そのMDに入れることのできる曲は1曲だけにしているのだ。もちろん、多くの場合は同じアーティストでも作るタイミングによって選ばれる曲は異なってくるのだけれど、中には必ず入れるのだけれどこの曲のみというアーティストもいて、そういうのって面白いよなと思う。ただ、1アーティスト1曲と決めると自然と厳選される部分があって、どっちにしようって楽しい悩みをしたりもする。
いままで、結構いろんな人に頼まれたり勝手に作ったりしてMDを渡したけれど、結構好評のようだ。もちろん、もらってみて「ちょっとなー」とか言う人はほとんどいないから、実際にはどうなのかよくわからない部分もあるのだけれど、普段聴く音楽がブラックミュージックや洋楽では全然ない人でも気に入ってくれていたから、やっぱりよい曲にはある種の嗜好性の底に普遍性があるのかもしれないと漠然と思ったりもする。
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お知らせ
傾向から言うと、My Favoriteの中身に結構かぶる人は、MDを気に入る傾向は強いようです。 あんまりメジャーじゃないけどとてもきれいな曲なんかも入っていて、結構お得かも。
いまは、26日の午前3時少し過ぎたところ。 テレビで、チャンピョンズ・リーグのレアル・マドリードVSマンチェスターUの第2戦を見ていた。 結果は知っていたのだけれど、それでもスーパーチーム同士の戦いを見たかったのだ。 ロナウドがハット・トリックを決め、ベッカムも見事なフリーキックを直接決めた。 いい試合だった。 面白かった。
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外は風がとても強くて、前半と後半の合間に飲み物を買いに外に出たら、雨が降っていた。近くのわずかばかりの木々が、暗い影の中で何かのサインのように蠢いていた。何かを伝えようとしているのに、言葉にならないのでもどかしくて仕方がないというような激しい揺れ。風は本当に強くて、試合を見ている間にも窓を何度も激しく揺らした。雨は起きたときにもまだ降っているのだろうか?
ときどき、夜眠る前に雨が降っているときには、朝起きたときの雨と夜に降っていた雨がまったく別のものなんじゃないかと思うときがある。別によい雨とわるい雨とか言うわけではないのだけれど、それでも眠っている間に大きな転換のようなものが起こっていて(あるいは朝になると呪いが解けるとかなんとかで)、正反対の雨になってしまうような気がするのだ。 もちろん、そんなのはただの気のせいというかある種の錯覚でしかないのだけれど、雨にもたとえば動物たちのようにそれぞれの性格のようなものがあって、と擬人化してみたりする。
それにしても激しい風。 起きたときには、少しは収まっているのだろうか?
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お知らせ
風が強かったせいか、今日仕事から帰ってきたら洗濯物が大変なことになっていてちょっとへこみました。
| 2003年04月24日(木) |
『私のウォルマート商法』 |
ここ数日ちょっとずつ読んでいた本を読了。ウォルマートの創業者であるサム・ウォルトンが、自らの哲学やウォルマートの成り立ちや成長について語った本。ウォルマートについて書かれた本は結構たくさん出版されていて、日本でも西友と組んで段階的な進出を図るというニュースが出た頃から、再び類書が増え始めている。それはそれで興味深いことだし何冊かは実際に読んでもみたけれど、それらにはどちらかというと分析的なものが多かった。ビジネス書であるのだから当然であると言えば当然なのだけれど、SCMであれ、情報システムであれ、物流体制であれ、利益分配制度であれ、そのような特徴の説明にページが割かれていたのだ。 本書は創業者であるサム・ウォルトンの手による本であるところがそれらの類書とは異なり、また物流や情報システム等々の細部よりはウォルマートに息づく原理原則、平たく言うのであれば社風の核となる精神について語られている点が興味深いと言えば興味深い。もちろん、物流や利益配分制度についても語られてはいるのだけれど、それらの仕組みよりもなぜその仕組みを導入するに至ったか、その仕組みの背後にはどのような考えが息づいていたのかという部分について重きが置かれているのだ。
それなので、レポートと言うよりは経営者が従業員に向かって語って聞かせる肉声に近い感覚があった。 ウォルマートがわずか40年程で世界でNo.1の小売業となり現在も成長し続けている理由として、「顧客のため」ということを愚直なまでに徹底し続けていることが挙げられる。ともすれば奇策に頼りたくなったり、自らの規模に過信をしそうなものなのだが、ウォルマートにはそのようなことはなく、商売の王道をただひたすら追求している。コスト徹底的に削減し、利益を消費者に還元する。もちろん、実際にはある程度の利益を確保しているし、ボランティアでもないのであくまでも企業としてでの話ではあるが、それでも顧客はウォルマートがあることで年間何百ドルも節約することができるだろうし、それも一種の貢献であると言うことはできる。
それにしても、何事でも継続して行うことと、徹底してそれを行うことが重要であることは疑いなく、それを実行し続けることができていることが大きな強みであると再認識させられる。まずはトップの明確のビジョンがあって、それを実行するためにチーム全体が当たり前のことを当たり前にやり抜くということ。書くのは簡単なこのことは実際に行うのは非常に難しいことで、たとえば価格を安くすると言っても適正な利益を確保しながらどこよりも安くするためには、商品が店頭に並ぶ遙か以前から(原産国の設定やベンダーとの情報共有、ローコストで効率的な物流システム等々)の仕組み作りが重要になってくる。それを他社がとうてい及ばないレベルで行っているのだから感服してしまう。 結局は何を行いたいのかという大きなポイントが一つあって、後はそれを実現するためにはどうするべきなのかと線を逆に引いていく他はないのだ。ウォルマートの場合には、その線が明確な実線でありかつ正確に引かれているということなのだろうと思う。
実際にウォルマートの店舗に入ったこともあるけれど、はじめて入ったときには同じディスカウントストアのターゲットの店舗の方が魅力的に見えた。ターゲットはファッショナブルなディスカウントストアと呼ばれているだけあり、たとえばプライベートブランドの文房具などをフィリップ・スタルクがデザインしていたりと商品的に魅力を感じたのだ。それに対してウォルマートは洗練されていない野暮ったい田舎の安売り店というイメージだった。 けれども、別のショッピングセンターの中にある新店を見たときには、天井が計り知れないほど高く、天井の窓から採光もされ、広い通路にきれいに並ぶ商品を目の当たりにし、ウォルマートで唯一変わらないことは変化し続けるということだという意味を売り場レベルでも実感させられた(サム・ウォルトンは小売業の経営者の中で、もっとも多くストア・コンパリゾンをしていたとも伝えられている。数多くの店を見学し、他店のよい点を参考にして自店に取り入れていく。だからこそ、旧店と新店とでは大きく異なって見えたのだろう)。 ただ、古いタイプの店でも、ウォルマートがその地域の住人にとって暮らしを守っているのだということはよくわかった。ウォルマートは最初、人口五万人に満たないような小さな田舎町に出店を続けていった。だからこそライバルたちが脅威と感じないうちに規模を拡大することができたのだとも言われている。そしてそのような田舎町にウォルマートがあるということは、買い物が一カ所で済むということであり、それまで中都市や大都市までわざわざ出掛けていかなければならなかったものが地元で(しかも出掛けていくよりもはるかに安価で)手に入るということだし、それは(結果的に)自由な時間とお金を顧客に与えることでもあったのだ。
結局のところ世界で一番大きな小売業が大衆の生活に密着する店舗を経営している企業なのだということには納得させられる。高級ブランドを扱う企業が世界で一番の小売業であるということは、やっぱり現実的ではないし、一般大衆であるところの庶民がかなりの頻度で利用する店舗が世界一になるのだというのは当然のことなのかもしれない。
日本に進出してくるウォルマートが成功するのかどうかは別にして(小売業はドメスティックなものだということも事実ではあるし)、それでもそれによる再編や大波に関しては、非常に楽しみだしどうなることやらとも思う。
印象に残った部分をいくつか抜粋。
過去数年間、私が本当に気にかかっているのは株価ではない。いつか、わが社がお客を大切にすることを忘れたり、幹部が従業員のことを気にかけなくなる日が来るのではないか、ということである。また、成長するにつれて、チームワークの精神が失われたり、わが社独特の家族主義が働く人々にとって実感を伴わない、空疎なものになるかもしれない、という心配もある。こうした試練のほうが、ウォルマートは方向性を間違っている、と指摘する評論家の言葉よりはるかに重大である。(190〜191ページ)
さらにたいていの会社には、「歌うトラック・ドライバーズ」というゴスペル・グループも、「ジミー・ウォーカーと会計士たち」という管理職のコーラス・グループもないのだ。 真剣に働いているからといって、いつもしかめっ面をしたり、難しい顔をしている必要はないのだ。(……)だが、どんな仕事をする場合でも、私たちは楽しくやりたいと考えている。それは、「口笛を吹きながら働く」式の哲学であるが、この精神でやれば仕事が楽しいだけでなく、よりよい仕事ができる。(262ページ)
小売業の成功の秘訣は、「お客が望むものを提供する」ことである。実際、もしお客の立場になったら、誰もが最善のものを望むだろう。質のよい商品、豊富な品揃え、可能な限りの低価格、満足の保証、感じがよく知識の豊富な店員の応対、お客の都合に合わせた営業時間、無料駐車場、そして、楽しいショッピング体験等々。もし店で期待以上の体験をすれば、その店に好感を抱き、店が不便だったり、店員の態度が不愉快だったりすれば、その店に不快感を抱くだろう。(284ページ)
長年いわれてきたように、ウォルマートの成長と店舗管理にとって、情報システムと物流システムは本当に重要だったのである。だが、たとえ読者が、わが社のビルから通信衛星のアンテナが何本も突き出ているのを見、内部のコンピュータの話を聞き、あるいはレーザー誘導式物流センターの模様をビデオで見たとしても、けっして騙されてはならない。こうしたシステムも、有能な管理者や店長たち、献身的な店員やトラック運転手がいなければ、一セントの価値もないのだ。(344〜345ページ)
現在、ウォルマートでは三人以上の行列待ちができるとライン・バスターと呼ばれるハンディスキャナーを持った店員が現れ、レジ待ち顧客のバーコードを読み始める。顧客は読み込まれたデータのインプットされたカードをレジに出せば瞬時に精算することができるのだ。(406ページ)
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お知らせ
ウォルマートの売上高は約29兆円です(想像できない金額ですよねえ)。
| 2003年04月22日(火) |
『ドリーム・キャッチャー』+『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』+enjoy New! |
今日は休日で、正午過ぎに起床。 と言っても、昨夜は後輩と3人でファミリーレストランで午前2時少し前まで話していて、部屋に帰ってから午前3時30分からはじまる欧州チャンピョンズ・リーグ(欧州サッカークラブNo.1を決める戦い)のユベントスVSバルセロナの試合を6時頃まで見ていたので、眠りについたのは午前7時30分頃だったのだけれど。
起床後出掛けていって、映画を2本観る。雨が降りそうな天気だったので、折りたたみの傘をいつもの肩掛けカバンの中に入れて。
1本目は『ドリーム・キャッチャー』。スティーブン・キング原作の怖そうな映画。幼い頃の勇敢な行動によりある力を授けられた4人の親友同士が、20年後世界を破滅に陥れようとするある事件に巻き込まれる……というストーリー紹介に興味を惹かれ観に行ってきた。
実際に観てみると最初頭の中で想像していた展開とは大きく異なっていて、”ある力”の活かし方にやや消化不良の印象を抱いた。ただ、考えてみると、リアリティのない映画であればもっと様々な力を用いてそれこそ昔のテレビアニメのようにヒーローが大活躍するといったストーリーになるのだろうけれど、実際には普通の人たちに”ある力”が授けられたら、そしてその力を持った人たちがあのような状況に遭遇したとしたら、映画で語られていたようなストーリー展開になるのに無理はないのかもしれないと考えを改めさせられた。考えてみたら、スティーブン・キング原作なのだ。荒唐無稽な、ハラハラドキドキのアドヴェンチャーというよりは、極限状況の中でのヒューマンなドラマになることは想像がつきそうなものだけれど。
4人の登場人物たち(20年来の親友)が、魅力的な味を出していた。翻弄され、一方的に巻き込まれてしまった状況の中で、主人公たちはそれでも能動的に現状に活路を見出そうとする。そこに圧倒的な力の差のようなものがあるにしても、いくつものギリギリの選択肢の中で唯一のゴールを目指していく。そういったところにやっぱり引き込まれるのだろうし、結局は巻き込まれてもその中で流れに逆らおうとする力のようなものが主人公たちに感じられることが、このような作品の善し悪しを決める要素の一つであるとは思う。
2本目は『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』。言わずとしれた話題作で、スピルバーグ監督作品にしてレオナルド・ディカプリオとトム・ハンクスの共演作。 『ボーン・アイデンティティー』を「つまらなかった」と話していた後輩が観に行って「よかった」と言っていたので、ちょっと期待して観てみる。ストーリーに関しては、実話に材を採った稀代の詐欺師と彼を追いかけるFBIの捜査員の物語であり、家族愛や居場所探しの物語でもある。また、60年代テイストいっぱいであるということはネットや雑誌でさんざん書かれていたのでそういうものなのだろうなと思っていたのだけれど、実際にオープニングから昔の映画風で笑ってしまう。肩の力を抜くように楽しく作ったのだろうなと思えるような。
映画は手堅く(?)、楽しめた。特にラスト近くがよかった。実話を題材としながらもあのようなラストになるというのは、面白いと思う。嘘のような本当の話というのは確かにあるのだなと。
個人的には、フランクの父親役のクリストファー・ウォーケンがよかった。
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2本目を観るまでの間に40分ほど時間があったので外を歩いていたのだけれど(18時頃)、ちょうど夕暮れ時で涼しくて歩いていて気持ちがよかった。最近は春めいた陽気だと思うとふいに寒くなったりと寒暖の差が激しいのだけれど、それでも春は秋と同じように過ごしやすい時期だなとあらためて思った。遠くの空がオレンジ色に染まっていて、手前に浮かんだ雲がその色を滲ませるように染み込ませていた。
普段の仕事は屋内なのでなかなか外を見ることがなくて、だから休日の夕方に空を見たりするのはいつもやけに新鮮なことだ。そういうところでは得しているなと思う。
帰りにバス停でバスを待っていたら、○○へ行くバスはあるのかと、おばさんに話しかけられる。まだあったので、何番のバスだと○○へ行くのかを伝え、バスが来たときにはこれですよと言う。
CDショップで今日発売のマドンナのニュー・アルバム『AMERICAN LIFE』を買う。3年ぶりのアルバム。まだ一度しか聴いていないけれど、ここ数作の中では一番いいかもしれない。
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帰りは最寄りの駅でマクドナルドに入る。 今日から、enjoy New! と題された新しいキャンペーンを飾る新メニューがスタートすることになっていたからだ。 毎度Daysを覗いていただいている方ならご存じの通り、僕はかなりマクドナルド好きでいままでも新しいメニューが出るたびに試してみたりしていたのだけれど、今回も早速というわけだ。
今回のキャンペーンでは、2ヶ月ごとに新しいメニューやデザートが登場することになっているようなのだけれど、その第一弾はプレミアムマックとおとうふサンド(それにオムレタスサンドとハニーレモンゼリー)。プレミアムマックは静岡県で実験販売をしていて好評だったものを全国展開にしたもので、従来のミートパティの量を2倍にした食べ応えのあるハンバーガーということになっている。一方、おとうふサンドは名称のままヘルシーさを売りにしたもの。どちらも食べてみたのだけれど、手放しでおいしい! というような感じではなかった。 もちろん、まだ慣れていないだけなのかもしれないけれど。
それにしても、藤田体制から八木体制へと変わり、矢継ぎ早に様々な施策を試していっているけれど、ユニクロと同じく一度ブームが失速した後を立て直すことはやはりとても難しいことなのだなと実感させられる。以前も書いたけれど半額価格の揺り戻しであるとか、マックチョイスのメニューの変遷であるとか、それに今回の新しいキャンペーンであるとか、それぞれが打ち上げ花火のように一瞬だけ輝いて消えていっているようなイメージを抱いてしまう。 もちろん、重要なことは顧客が望むこと(低価格で質の高いメニューをスピーディーに提供する、フレンドリーな店員のいる快適な店舗であること)を追求し続けることの他はないのだけれど。
それは言葉で言うのは簡単だけれどとても難しいのだよなあと、あらためて思わされる。
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お知らせ
偶然だけど、今日の映画は「キャッチ」つながりでした。
この間同僚(年上と年下。ともに既婚)と話していたら、結婚生活の話になる。 未婚としては興味津々な話題だと思って聞いていると、なんだかどんどん微妙な話になっていってしまった。 最後には、「……独身にもうちょっと夢や希望を与えるような話もしてくれよ」と思わず言ってしまったくらい。 もちろん、そういったよくある話はオーバーに語られがちなものだし、外に向かって語るデフォルメされた部分の反対側には、やけに甘ったるく愛情に溢れた側面があるというのが実際のところなのだと思う(そしてそういった側面は世間話にはほとんど登場しない個別的なものだ)。
だからこそ逆に、周囲の人たちが結婚生活を語るときに出てくる言葉には「生活」という言葉がまるで影のようにつきまとう。もちろんそれは当然のことで、日々継続していく生活であり現実であるということは、結婚生活の主要な要素であることは間違いないわけだし。そして、それが生活なら、反復される非劇的な時間の経過ということが前提になっていく。
また、よく言われるように愛情というものには賞味期限のようなものがあって、やがてそれがなくなってしまうのであれば、それが尽きてしまった後に何をもってその代わりとするのかということも大切なことなのかもしれない。もちろん、かわりの選択肢(あるいは選ぶべきカード)はきっとたくさんあって、「信頼」であったり、「友情」であったり、「子供」であったり、ときに「惰性」であったりするのだろう。そして、どんなカードを選ぶにしても、それは2人が選んでいるもので、一度でその選択肢に行き着くわけでもないにしても、数多くの選択の中でやがてそれぞれの「 」の中の言葉が決まってくるのだろう(もちろん、中にはずっと「愛情」の夫婦もいるだろう)。
もうそれなりの年齢なので周囲には結婚している人も増えてきているのだけれど、幸せな結婚をしている人もいれば、あまり幸せそうには見えない結婚をしている人もいる。子供が生まれて本当にかわいがっている人もいれば、まるで凪のように夫婦2人だけで暮らしている夫婦もいる。あるいは、いっつも喧嘩になると話す人もいる。 それぞれの夫婦を見ていると、人それぞれだなと本当に思う。 そして、たくさんの2人のための「 」の中の言葉も、本当に無数にあるのだろうなとも。
ちなみに、後輩には「○○さんは1人の時間をかなり愉しんでそうだから、結婚には向かないですよ」と断言される(そんなこと断言するなよ……)。なんでも、1人暮らしの期間が長く自分なりの生活スタイルのようなものができあがっている人は、なかなか他人と暮らすのが難しいらしいのだ。
ちぇっ。
でも改めて考えてみると、1人暮らしをはじめてこの春で丸10年になるし、1人でいるのが全然苦じゃなくむしろ楽しかったりするのは事実だったりする……と自らを省みて思ってみたり。
ということでどうやら結婚には向いていないみたいです、僕は。
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お知らせ
【Text Sun Set】は、Sun Set(独身)の提供でお送りいたします。
| 2003年04月17日(木) |
『マンマ・ミーア!』 |
今日は休日で、『マンマ・ミーア!』を観てくる。 汐留の四季劇場海で公演されている、劇団四季のミュージカル。 ずっと前にチケットをとっていて、しかも休日がいつかわからない部分があったので数ヶ月前に2日分連続でとって、出勤で行くことのできない日の分は同僚に売ったりもしていた。それくらい観てみたかったのだ(2日とも出勤だったらとてもへこんだと思う)。 僕は別にミュージカルに詳しいわけでもないし、かつて『キャッツ』を観ただけなのだけれど、『マンマ・ミーア!』にはすごく興味があった。それはこのミュージカルがABBAの楽曲をフィーチャーしているということで、ミュージカルにABBAの曲が活かされているのであれば、それはかなりテンポがよく楽しいものになるだろうなと思っていたからだ。
開場が18時で、汐留に着いたのは16時くらい。早速シオサイト内を散策して、遅い昼食をとる。古奈屋のえびもちカレーうどん。この店はカレーうどんの専門店で(http://konaya.ne.jp)、カレー好きなので興味があったのだ。麺によくからむカレーつゆといった感じで、おいしかった。
それから、コーヒーを飲みながら1時間ほどウォルマートの本を読んで、会場へ。 会場は思っていたよりもずっと小さく、ビルの中にあるのでそんなものなのかもしれないけれど、舞台が近くて嬉しくなる。 開演まで本の続きを読みながら待っていると、やがて携帯電話の電源等の注意事項を伝える放送が聞こえる。
ABBAの楽曲のメドレー(ジングル?)のようなものの後に劇場の照明が落とされ、幕が上がる。 それから、幕間の休憩を挟んでの約2時間をとても楽しく過ごすことができた。
物語は、ギリシアの小島を舞台に、ソフィーの結婚式前夜から当日の2日間を描いている。たくましく気丈な女性である母親のドナに女手ひとつで育てられたソフィーは、結婚式のバージンロードを父親に一緒に歩いてもらいたいと願い、母親の昔の日記を盗み見して自分の父親の可能性のある3人の男性に結婚式への招待状を送る。もし本当の父親なら一目でわかるはずだと思いながら。 そして3人がやってきて、誰が父親なのかもわからないまま、結婚式当日を迎える──
ミュージカル風のオーバーな感情表現もすぐにしっくりと感じられ、またキャッチーであることは間違いないABBAの楽曲にもすんなり引き込まれ、踊りと歌に時間を忘れてしまった。特に、タイトルソングである「マンマ・ミーア」と、少し上から同世代までなら誰でも聴いたことはあるだろう「ダンシング・クィーン」のときにはかなり嬉しくなった。あんなに動きながらあんなに歌うことができるなんてと誰もが思うことをやっぱり思う。 会場中がくすりと笑ってしまうようなウィットに富んだ会話から、拍手に包まれてしまうような歌と踊り、それに舞台装置もめまぐるしく効率的に動かされて、あっという間の2時間だった。
最後には観客全員がスタンディングし、ロックコンサートさながらになり、そういうのも楽しかった。 客席には大人比率が高かったけれど、そういう人たちが立って手拍子なんてなかなかないだろうし、スカッとしたのではないだろうか?
劇団四季のサイトを覗いてみてもチケットはやっぱり恒常的に近い日付は満席が続いているけれど、それでも関東の方はぜひどうぞ。
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僕は地方出身者で関東にいつまでいるのやらと思っているところがあるので、関東にいる間に観たいと思うものにはできるだけ触れてみようと思っている。地方にいると観たいと思っていても現実的になかなかそうは行くことができないし(ミュージカルを観るために1泊2日の旅行とかになってしまう)、こういう文化的な面についてはやっぱり大都市はとても恵まれているのだ。だからこそちょっとおっくうでもまずはとりあえず行ってみようとなるわけだ。 もちろんすべてに行くことはできないし、興味のあるものしか行かないわけでもあるのだけれど、それでも思いたったら電車一本で行くことができるというのはやっぱりとても便利なことだと思う。
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お知らせ
それにしても、ABBAの歌詞とストーリーがマッチしていて、ストーリーテリングと選曲がうまいものだなと思いました。
今日は他県で研修があり、午前6時に最寄り駅で後輩と待ち合わせをする。 ちなみに起きたのは午前4時30分。研修でA4一枚程度のちょっとした試験があったので、早く起きてその勉強をしていたのだ。 さらにちなみに眠ったのは午前1時だったので、単純計算すると3時間30分しか眠っていないことになる。 行きの電車の中では眠ってやろう! と強く思っていたのに、扉のすぐ横の席に座ってしまったせいか、駅に停車するたびに扉が開き冷たい風が入ってくるのと、入り口近くに立っている人たちの声がやけに大きくて、全然寝付けなかった。うう……。
研修はまあ特に何事もなく終了(試験もOK)。
帰り道、今日はとても自炊をする体力(及び気力)がなかったので、駅からの帰り道をてくてく歩いている途中にあったトンカツ屋に入る。店内のテレビではちょうど日本VS韓国戦の後半をやっているところで、すっかりそのことを忘れていたことに気がついて驚く。「しまった!」って。
そしてチキンカツ定食(おいしかった)をゆっくりと食べながら、後半の残り30分弱を見ていた。試合はずっと0対0のままの膠着状態が続いていて、アウェーの試合だけあってスタジアムも一面の赤で、何度もゴール前まで攻め込まれていてはハラハラさせられた。
試合は0対0の同点で終了するかと思われた後半ロスタイムに、途中出場の永井(浦和レッズ)のシュートでまさかの劇的勝利となった。あまりに劇的(かつあっけない)幕切れに、しばし呆然と画面を見つめてしまう。 それにしても、こういうこともあるのだ。スポーツはだからわからないよなとあらためて思わされた。 何はともあれ、ジーコジャパン初勝利はとても嬉しい。
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部屋に帰ってから、昨日DVDで見た『ハル』の後半をもう一度見る。明日は変則的なスケジュールなのだけれどまた休日なので、ちょっと見返してみたのだ。 そして、やっぱりいいよなとあらためて思う。 今日一緒に行動していた後輩に「昨日『ハル』って映画をDVDで見てそれがすごくよかった」という話をしたのだけれど、その後輩は『ハル』のことを知らなかった。この映画って、あんまり有名じゃないのだろうか? 森田芳光監督作品なので、邦画としては有名なのだと思っていたのだけれど。
でも、あらためてこの映画はいい作品だと個人的にはとても強く思う。 CDショップのDVDコーナーでもまず見かけないし、売れ筋の作品ではないのかもしれないけれど、それでもレンタルショップなどで見つけたらだまされたと思ってぜひ。
特に、このサイトのMy Favorite(全然更新していない……)にある作品にいくつかひっかかりを覚えるような人には、とてもよく響くこと請け合いです。
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My Favoriteと言えば、今日帰りに乗った湘南ライナーで向いの席に座っている女の人が、『ガープの世界』を読んでいた。僕は電車内で本を読んでいる人を見かけるとついその人が何を読んでいるのか気になってしまうのだけれど、たいていの人は書店でかけてもらうブックカバーか、革製などのカバーをつけているのでタイトルまではわからない(学生時代の恋人は「自分の本棚を見られるのってなんだかすごく恥ずかしいから」と言って本棚をクロゼットの中に隠していた。確かに本にはそういう側面があるかもしれない)。けれども、今日電車にいた人は文庫本のカバーをそのまま覆いも隠しもせずに読んでいたので、すぐにそれが『ガープの世界』なのだとわかった。 なんだか、嬉しかった。もちろん、だからといって話しかけるわけでも何でもないのだけれど(そんなことをするのはすごく怪しいし、後輩や先輩も隣にいたし)、それでも『ガープの世界』のブームのようなものもとうに終わり、全然旬ではないはずのこの時期に、しかも睡眠不足からくる疲れでぼんやりしているときに、目の前で「がーぷによるとせかいは」を読んでいる人がいるのだ。 世界は広くて狭いと、あらためて思わされた。そして、本ってやぱりすごいなと。すばらしい本は時間を超えて、こんなふうに時間差でたくさんの人に広がっていくのだと思えた。
その女の人は数駅を過ぎる頃には文庫本を置いて眠ってしまっていたのだけれど、それでも「ガープ」さんとして強く印象に残った。僕はと言えば後輩と途中から合流した先輩の3人で行動していたのだけれど、電車の中でその先輩と会社のことについて熱くトークしていたりしてあっという間に時間が過ぎていった。
でも好きな本を読んでいる人を見かけると、つい嬉しくなってしまう。そういうのって単純だけれど、やっぱりちょっとはある。
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お知らせ
702のニューアルバムに入っている「Come & Knock on My Door」という曲がデバージの「I like it」に似ているなと思ったら、やっぱりフィーチャーしていたのでした。
月曜日の仕事帰りに、火曜日が休みのメンバー4人で車で関内に行った。 どこかおいしい店に行こうということになり、パーキングに車をとめて歩いていると、ちょうどその日がオープンという店があり、そのままそこに入った(ちなみに、そのときの時間は23時30分くらい)。閉店が3時と書かれていたことと、4人とも明日休みだったことで時間はあんまり気にしていなかったのでちょうどよかったのだ。
店はここ一年くらいで一気に増えた個室系の創作料理居酒屋で、食べ物は美味しかった。 いろいろな話をしたし(それはいつも)、店を出た午前2時過ぎにはなんだかトローンとしていたけれど、楽しかった。 車を運転していた後輩が酒を飲めないやつなので、それもなんだか変に都合がよくて。
それから、来月にどうやらひとつ職位が上がるみたいで、複雑な気分。 店舗に復帰して半年も経たない内のことなので、もっといまの職位で経験を積みたいというのが正直なところなのだ。
開店準備や採用などの他部署の仕事で約3年半現場を離れていたわけだから、まだまだ経験の絶対数が全然足りなくて、それを埋めるためにもちろん頑張ってはいるけれど、現場でずっとやってきたたとえば同期との蓄積の差は客観的にみても結構なものになるように思う。 それなので、そういったものを持たないまま職位が上がってしまうと、部下にとってもあんまりよいものではないように思えてしまうのだ。 もちろん、最初採用から店舗に戻るときだって、No3の立場で戻されて同じことを思っていたのだけれど、4ヶ月強が過ぎたいまはこなすことはできている。だから、No.2になっても同じなのかもしれない。頑張っていくことが前提にあるのかもしれなくても、なんとかなるのかもしれない。
もちろん大変だろうけれど、いい経験になるだろうなとは思っているし、楽しみにもしているのだけれど。
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『ハル』を見た。DVDで。1995年に札幌の映画館で観た以来の2回目。 Amazon.co.jpで検索して見つけて注文したやつ。 今日の夕方に届いて、早速見た。
懐かしかったし、面白かった。正直な話以前に観たときの印象が良すぎて、見直すことにちょっと怖さもあったのだけれど(あれ、こんなのだっけ? と思えてしまうような)、そんなことはなく楽しかった。様々なCDショップで思いついたときにないかなーと探してことごとく棚に並んでいなかった作品でもあるので、Amazon.co.jpは便利だと再認識してみたりもして。
これはパソコン通信で出逢った(ほし)と、(ハル)とが、たくさんの言葉と時間を費やして近づいていくラブ・ストーリーなのだけれど、物語の進んでいくテンポがツボだなあと改めて思った。
パソコン通信が主軸になる話だけあって、画面上にはたくさんの(ほし)と(ハル)のメールの文章が登場する。洋画の字幕など比にならないくらい大量の文章。こんなふうにスクリーンや画面の文字を追い続ける作品も珍しいよなと思いながら、けれども映像とその文字のバランスがお互いのメリットを強調し、デメリットをちゃんと補完し合っている。
たとえば、メールの文章の背景として、ほしやハルの日々の生活の映像が挿入されている(2人の暮らしや、ハルの暮らす東京やほしの暮らす盛岡の風景)。それら映像があることで、2人が現実世界で様々な悩みや仕事などを抱えながら生きていることがリアルにわかる。そしてその画面の上に流れているメールの文章で、その人物たちの内面世界が語られる。メールの文章には、普段の会話では口にされることのないようなある種率直な内容が書かれている。だから、映像だけで伝わるものに加え、普通の会話以上に感情的な部分に踏み込んだ内容が語られていくことになる。 それを同時に表現していくことができるのだ。
そしてその試みは十分に成功していると思う。 ハンカチを振るシーンなんか、一度観て知っているのに、やっぱりすごく感動したし。
また、この映画には他にも結構個人的にツボと思うところがあって。 それは、(ほし)の部屋の本棚に村上春樹の本がほとんど全冊揃えられていること。 何度かその本棚のシーンが映し出されていて、そのたびに「おおっ」ってやっぱり思うし。
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お知らせ
深津絵里って演技うまいですよねえ。
| 2003年04月10日(木) |
ファミリーレストランでごはん再び |
いまは11日の午前2時40分。 つい30分前くらいに帰ってきたところ。 今日は22時30分に職場を出て、それから後輩3人と計4人でファミリーレストランにご飯を食べに行った。で、恒例の(?)長話で深夜まで。明日も仕事があるのに……やれやれ。
けれどもまあ、今日は後輩の社内の試験の合格を祝うためという名目もあったし、いろいろと話す話題には事欠かなくて、結構盛り上がったので楽しかった(眠いけど)。最近、仕事の忙しさがピークを越えたこともあってか、結構みんな鬱屈していたものを発散したいのか食事とかに行きたがっていてそういうのってあるよなと思う。
もちろん僕もそうだし。
あとこれはいままでいたいくつかの部署でそうだったからなのかもしれないけれど、一緒に働いている人と一緒にご飯を食べるというのは結構大切なことなのかもしれないと思っている。職場以外の場所で、仕事以外の話をすることって、お互いの仕事の仕方の輪郭を補正するような部分があって、結構参考になるような気もするし。少しずつではあるかもしれないけれど、親密になることができるような気もするし。もちろん全員と親密になることはできないしそうする必要もないのだけれど、ビジネスライクに付き合うことができていればいいケースも多いのだけれど、そればっかりだとちょっと物足りないような気もするし。
いずれにしても、転勤や異動などのメリットは、こうして様々な人たちと働くことができるということなのだと思う。 いろんな人がいて、いろんなことがあって。
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お知らせ
なんとなく、リュックサックが欲しい今日この頃なのです。
| 2003年04月08日(火) |
チャンピョンズ・リーグ |
Daysの日付は8日だけれど、実際に書いているのは9日の午前5時50分。 いまさっき、TBSでやっていたヨーロッパNO.1クラブチームを決めるチャンピョンズ・リーグの「レアル・マドリードVSマンチェスター・ユナイテッド」の試合を見ていたのだ。 時差の関係で生放送が午前3時30分からスタートだったこともあって、夜の内に一度眠って、万全の体制を敷いて見ることにしていた。試合の前にはコンビニに行って飲み物とお菓子さえ買ってきて。 9日も休日だったので、そういう変則的なスケジュールもありだろうと思ったのだ。
試合はかなり面白かった。世界最高の名が相応しいスター揃いのレアル・マドリードに、ベッカム擁するマンチェスター・ユナイテッド。今大会屈指の好カードだけあって、かなり見応えがあった。 実際にはさすがにレアルといったところで、チームとしての地力の差が現れて3-1での勝利だったのだけれど。 ジダン、フィーゴ、ラウル、ロナウドのパス回しは面白いように決まり、マンチェスターもベッカムの決定的なクロスが何度か見られはしたのだけれど、それでもやっぱり力及ばずといったところだった。 それにしても、普段各国のリーグ戦でトップとなるようなチーム同士の戦いだけあって、コンビネーションなどある意味ワールドカップの試合よりすごいのかもと思わされてみたり。
フィーゴの1点目のシュートと、ジダンのボールさばきには脱帽。
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お知らせ
これからちょっと眠ります。
| 2003年04月07日(月) |
ファミリーレストランでごはん |
今日は仕事帰りに6人でファミリーレストランに行き、午前1時30分過ぎまで話していた。 明日が休日のメンバーが多く、そんな時間まで。 仕事絡みの笑い話や、北海道の話などで盛り上がる。 はじめて食事をする人もいて、そういうのも新鮮だった。 ただ、まわりの人にとってはかなりうるさかったのだろうなとは思うのだけれど。 ドリンクバーも何度もおかわりをして。
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この間、マクドナルドでリブサンドセットを注文してスピードくじをひいたら、トートバックが当たった。 交換しに行ったら、そのトートバックはお弁当箱しか入れることができないくらいのサイズの小さなものだった。 写真で見る限りは、あるいは名前から判断すると、肩にかけるものなのかなと思っていたのだけれど。
最近、マックチョイスのメニューを見ていても、ポテトを選んだお客様は無料でコーラMからLへ増量とか書いていて、粗利のとれるだろうポテトに導きたいのだろうなとつい思ってしまう。メニューでもポテトだけ扱いが大きいし。けれども、サラダとかナゲットを注文する人が多いのだろうなともやっぱり思う。
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お知らせ
明日(時間的にはもう今日なのだけれど……)は、部屋の模様替えをする予定なのです。
今日は仕事帰りに5人でCoCo壱番屋に行った後部屋の近くまで車で送ってもらい、帰ってきたのは23時過ぎだった。 それから私服に着替えて、音楽をかけて、パソコンの電源を入れた。基本的にはテレビはみないので、まずは音楽をかけるのだ(Des'reeの『dream soldier』)。 23時30分過ぎに部屋の電話が鳴って、出てみるとそれは北海道にいる同期の友人からだった。 結構長電話になった。僕は基本的によく喋るので(マシンガントークと言われるときもあったりなかったり……)、今日もいろいろ喋っていた。もちろん、基本的には人見知りをするのだけど、それでも今日の電話の相手は気心の知れた友人だったので、いろいろと話が弾んだのだ。今度関東にくるときには一緒に飲もうと(僕はまあ飲めないのだけれど)約束をして電話を切った。
電話を切るときに電話機を見ると、通話時間が1時間9分になっていた。結構話していたんだ……。
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お知らせ��
長電話は得意技なのかも。
お知らせ��
もう少しでenpituのカウンターが15000です。キリ番とかはないのですけど、ちょっと感慨深いものがあったり。
子供の頃、親戚の家に遊びに行く途中に、小樽に寄った。 その親戚の家は札幌から小樽を超えてさらに進んだ先にある小さな町で、周囲をたくさんの山に囲まれていた。もう何年も訪れていないけれど、小学校の頃にはそれでも何度か遊びに行って、それはたいてい夏休みで、いつもたくさんの虫の声に囲まれていたのを覚えている。
車2台がかろうじてすれ違うことができるような白っぽいアスファルトの道路の左右に、妙に背丈のある草むらや山の斜面高くまで続く畑が広がっていた。家と家の間は随分と離れていて、店もほとんど近くになかった(小学校の近くに小さな駄菓子屋があった)。それはまるで、ドラマの『北の国から』に出てきてもおかしくはないような場所だった。
その親戚の家に行く途中に、どうしてなのかはもう忘れたけれど小樽に寄った。小樽駅の近くにはいくつかの地方百貨店があって、当時はまだそれなりに活気に溢れていて、そのとき僕等家族が寄ったのもそんな店の一つだった。
子供の頃のデパートの楽しみと言えば、ゲームコーナーくらいだった。親が買い物をしている間、コインを入れて回すルーレットのようなゲームや、コインを落としてコインや飴玉を取ることのできるゲームや、もう少し大きくなるとビデオゲームをするのがとても楽しみだった。そのときもゲームコーナーに行っていた。そしていくつかのゲームをしていたのだと思う。
親の用事が終わって、駐車場に戻る途中、売り場の隅に小さな自動販売機を見つけた。それは風船の自動販売機で、透明なガラスの向こう側に色とりどりの空気を入れられる前の風船が順番を待っている様子が見えていた。最初にやりたいと言ったのが自分なのか妹なのかはよく覚えていない。ただ、僕らは競うようにして小銭を入れて、風船にガスが入れられるのを見ていた。
その風船は自分たちがふくらませるのとは違って、どんどん浮かび上がっていくやつだった。それが珍しくて、車の後部座席で手を離して、風船が浮くのを見ていたりした。僕の風船は赤色をしていた。
いくつかのトンネルを抜けた後に、海沿いの道路から山側へ入り、細い道路を進んで行き親戚の家に着いた。そのときも風船の紐を大切そうに持って(紐の先には、プラスチックの輪のような持ち手がついていた)、親戚の家に入った。そこには別の親戚の子供が2人遊びに来ていて、荷物を置くのも早々に一緒に遊びに出ることにした。もちろんそのときも風船を手に持っていた。お気に入りの物はずっと近くに持っていたかったのだと思う。
遊びに行くことはとりあえず外に行くことと同じで、僕等4人(僕と妹と親戚の子供2人)は、その親戚の家の前を探検していた(ただ歩くことも僕等にとっては探検だった)。普段の生活の風景である住宅地や商店街はそこにはなく、かわりに圧倒的な緑があった。僕らは意味もなく近くの草むらに足をつっこむという遊びをしていた。そうすると、たくさんのバッタが四方八方に飛び去っていくのだ。本当にたくさんのバッタたちがそこにいて(緑の生っぽいバッタもいれば、茶色の乾いた感じのバッタもいた)、いまならちょっと気持ち悪く思えるような気もするけれど、当時はそんな風には全然思わなかった。どんどん草むらの中に入っていって、どんどんバッタが休んでいるのを邪魔していった。そして、バッタはそれぞれの方向へと飛び去っていった。
そしてその遊びに夢中になっているときに、片手に持っていた風船を手放してしまったのだ。 風船は、あっという間にどんどん空へと浮かび上がっていった。背の低い子供のジャンプではもう全然届かないくらいに。 子供たちが「あー」とか叫んだ。 けれども風船はゆっくりと確実なペースで空高くへと上がっていき、そして小さくなっていった。 ちょうど夕暮れ前の空気が透き通るように感じられる時間で、赤い風船はやがて高いところにある乳白色の雲の中に、ゆっくりと溶けていくように消えて見えなくなってしまった。
僕はしばらくしょんぼりしていたのだけれど、子供ながらの妙な潔さでまた元の遊びに戻った(子供の特権はたくさんあるような気がするけれど、しょんぼりすることができるのもそのひとつだ)。
それから、外灯が明るくなり、今度はたくさんの蛾がそのわずかな明かりをめがけて集まってきていた。バッタにせよ蛾にせよ、田舎は生き物が意味もなく(きっと理由はあるのだろうけれど)過剰に生きていていつも驚いてしまう。風景として見ている山々の中にこれだけたくさんの蛾がいると知ることはなんだか不思議なことだった。その親戚の家に泊まっているときには蚊にだってたくさん刺された。生き物の気配だけは常にそこここにあった。
夜になると、みんなで花火をした。バケツに水を入れて、ビニール製のきんちゃくに入っているセットの花火をした。 田舎の夜は闇が深く、たくさんの音が聞こえるのだけれど、その上には透明なヴェールがかけられているように感じられる。だから花火は夜闇に対する精一杯の抵抗という気がする。ほんの短い時間だけ明かりがはじけるように闇を払いのけ、けれども結局は闇に戻ってしまう。夜は毎日訪れるのに、その中に身を置いてさえもいるのに、花火をするときにはあらためて夜の闇の深さを認識させられる。いつもそこにあるのに、ちゃんと見ていなかったり聞いていなかったり(あるいは知らないふりをしている)ことがいかに多いのだろうと実感させられる。
けれどもそのくらいがちょうどいいのだとも思う。いつも様々な物が見えていたら、様々な音が聞こえていたらきっと狂ってしまう。だから鈍感なくらいで、たまの散歩のときに周囲をよく見ているつもりでいるくらいでちょうどいいのだ。きっと。
その夜もおそらくは遊び疲れてそのまま眠った(最後に遊び疲れて眠ったのっていつだろう?)。
ちなみに、妹は風船を外に持っていかなかったので、その日の夜にはガスが抜けて小さくなった風船が、部屋の隅に転がっていたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
空に飛んでいってしまった僕の風船の方はどうなったのだろう? やっぱり、途中でガスが抜けて志し半ばで力尽きるみたいにしぼんで森の上にでも落ちてしまったのか、それとも雲と雲の間にうまく入り込んで、いつまでもいつまでも浮かび続けているのだろうか?
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お知らせ
その小さな町の小学校が廃校になったと、今年妹の結婚式で帰省したときに、親戚のおばさんから聞かされたのです。
今日は仕事が早く終わって22時30分に帰ってくることができたので、途中のコンビニでお弁当を買って、23時から部屋を暗くしてDVDで『男と女』を見た。あの『ダバダバダ、ダバダバダ』のテーマソングでおなじみの、カンヌやアカデミー賞などを受賞している1966年の作品(クロード・ルルーシュ監督)。
昨日、ちょうど特別版のDVDが発売されていて、しかも「永遠の愛の名画が豪華映像特典を収録した特別版で蘇る!」と帯には書かれていて、「完全初回限定パッケージ」というちょっといい箱に入っていて、限定物とかプレミアムとか特典とかおまけに弱いSun Setさんは買ってしまったというわけです。
けれどもまあ、僕はこのものすごく有名な作品をいままで見たことがなくて、そのあまりにも有名なテーマソングと、砂浜で主演の2人が抱き合ってぐるぐる回るやっぱりこれも有名なシーンしか知らなかったので、ずっと興味があったのだ。で、初DVD化ということで思わず手に取った。昨日は映画をとても見たい気分で何か1枚DVDを買うつもりで、最後までウディ・アレンの『アニー・ホール』と迷って、結局『アニー・ホール』は見たことがあるので、見たことのない『男と女』を買った。
見てよかったと思う。ものすごくツボにはまるというわけではないのだけれど、それでも歴史に残る作品というのはやっぱりすばらしいよなあと改めて思わされた。愛情を育てるためには、相手の前にいることと、相手から離れている時間の両方が必要なのだなということが映像とストーリーで描き出されていたし、ドービルの美しい風景の映像も印象的だった。
基本的に過剰に感傷的な部分も生々しくて魅力的で、予算の関係からという屋内白黒、屋外カラーの撮影も妙な味を出していて、何よりも主演の2人がよかった。特に、アヌーク・エーメがものすごく魅力的だった。美人の女優ってもちろんたくさんいるのだけれど、、かなり画面で映える人だと思わされた。
1966年って、生まれる前の映画なのだなと思ってみたり。
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お知らせ
『アニー・ホール』と『夏物語』(ロメールのやつ)は、主人公とヒロインが喋り続ける作品で、そういうのもかなり好きなのです。
| 2003年04月03日(木) |
『季節の記憶』+コンサート+『dream soldier』 |
『季節の記憶』読了。保坂和志著。中公文庫。 以前から読もう読もうと思っていてずっと読めていなかった作品。4月になって、一息つくことができたので早速手にとった。 背表紙にはこう書かれている。
ぶらりぶらりと歩きながら、語らいながら、静かにうつらうつらと時間が流れていく。鎌倉・稲村ガ崎を舞台に、父と息子、便利屋の兄と妹の日々……それぞれの時間と移りゆく季節を描く。平林たい子賞、谷崎潤一郎賞受賞作、待望の文庫化。
書かれている通り、この物語の時間はとてもゆっくりと流れていて、基本的には凪のように淡々としている。もちろん、そこにはほんの少しの揺れはあるけれど、それも静かな水面に小石を投げて、ほんのちょっとだけささやかな波紋がたって、またもとの静寂に戻る……というようなことの繰り返しだ。取り立てて特別だったり劇的だったりする事件は最後まで起こらず、それでも季節はゆっくりと移り変わっていく。 コンビニ本(コンビニで売られているような、雑学などのちょっとした本)の編集に携わっている主人公の僕は、離婚した後五歳になるクイちゃんという一人息子と鎌倉で一緒に暮らしている。近くに住む松井兄妹と仲良くなり、毎日午前中にはその妹の美紗ちゃんと3人で散歩をしている。 クイちゃんはいつも奔放で、興味深い。 「ねえ、パパ、時間って、どういうの?」とか、「(紙を)ずうっとずうっと半分に切ったら最後どうなっちゃうの?」とか、「誰も見ていなくても時計は動いてるの?」とか、そういう問いを当たり前のようにしてきたりする。父親である僕はその問いにクイちゃんが何を求めているのかを推し量りながら慎重に考えて答えている。他愛のない日々の会話の中にも、親には子供を向かわせていきたいベクトルがあって、だから僕はいつだって柔らかな緊張感のなかに身を置いている。クイちゃんがいい子にしていればいいんだよ的な安易な逃げに走らない。 もちろん、そういうある種の頑ななまでの真摯な姿勢は親の性質的なもので、ある面ではそれを受け継がせようとしている部分があるのかもしれない。けれども、親と子の関係性はこうあるべきというものがすべてではないのだろうし、この親にしてこの子ありという育て方以外に、接していく方法はないということなのかもしれない。
子供と向き合うということは、本気でしようとするとかなりのエネルギーと時間が必要なのだろうなと思う。社会で声高に叫ばれる効率化は子育てにはきっと本質的な意味で関係がなくて、多くの間や果てのない繰り返し、反復性の中のその都度毎の個別性等々、手間暇がかかることがきっと多い。そういったすべてはもちろん安易にしようと思えばいくらでもそうできるのに、そのつけのようなものがきっと後でついて回るようなものなのだろうと思わされてしまう。もちろん、手をかけなくたって子供はたくましく育っていくのだろうが、それでもある種の姿勢のようなものを守り抜こうとする人たちはいつだって緊張感を伴った選択の繰り返しを余儀なくされてしまうのだろう。
主人公は普通のサラリーマンよりもずっとたくさんの自由になる時間を持っていて、けれども収入は普通のサラリーマンよりは少ない。けれども、親子二人で暮らしていくには十分すぎるほどだ。だから僕はクイちゃんと毎日一緒に散歩に出ることもできる。そういった時間の過ごし方がクイちゃんの成長がある段階に達してしまうとなくなってしまう類のことだけれど、けれども僕は当たり前のように毎日一緒に散歩に出る。世間的に見れば父子家庭で、その中でも特殊な形であるこの父子は、そうやって時間を過ごしている。そこに流れるある種の誠実さに、どこかでほっとしたりする。
家族には普遍的なものと特殊な部分とが常に共存していて、突き詰めていくとやっぱりそれぞれが特殊な家族ということになる。けれども、それぞれの家族の物語の中に、かつての自分の(あるいは将来の自分の)家族像に重なる部分があって、だからこそこの淡々とした父子の物語を、どこか懐かしさを感じながら読み進めることができたのかもしれない。
324ページ前後の「現実」と「解釈」の話は、なるほど、と思った。
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今日は夕方、上野にある東京文化会館小ホールで、稲葉瑠奈というピアニストのデビューリサイタルを聴いてきた。 格好よかった。 僕はいまの仕事柄土日に働いていて休日は平日ということになっているのだけれど、その平日の休日も曜日が固定されているわけではなくて、月ごとにシフトによって決まってくる。フロアのメンバーのシフト自体は僕が作っているのだけれど、僕自身のシフトは上司によって決められていることが多い。 というわけで、一ヶ月、二ヶ月先のコンサートやらライブやらには基本的には行きづらいのだ。 だから僕がよく利用しているのが、チケットサイトのeplusの「得チケ」のサービスだ。 これは、期日が迫っている公演でおそらくはチケットがまだ残っているものについて、ハーフプライスとか1000円引きとかでチケットを購入することができるサービスだ。ネットで予約してチケットは当日会場渡しになっているものが多く、公演日も一週間後や半月後というものが多い。
今回の稲葉瑠奈のリサイタルのチケットも、その「得チケ」で入手した。 正直な話僕はピアノやらクラシックやらに疎いので、この人のことを全然知らなかった。けれども、4000円のチケットが3000円になっていたことと、ちょうど4月3日という(個人的に)一段落した休日に公演ということで、チケットを取ってみることにしたのだ。
開演は19時からで、上野には18時に着いた。昨年いろいろと店が増えた上野駅構内で本やCDを見てから会場に向かったのだけれど、公園口にはなんだかやたらと人が多い。最初はそのコンサートに行く人なのかと思っていたのだけれど、そうではなく人の波は文化会館の右側へ抜けていく。「?」と思ってまだ時間があったのでその人の波に着いていくと、それはまさに見頃の花見客の列だった。
そう言えば、上野公演の桜は有名……自分が田舎者だなあと思うのはこういうときだ。東京にずっといる人ならば当たり前のことに、ニュースなどでしか知らないから、なかなか気が付けない。たくさんの人がいた。随分と高い空はどんどん夜に近づいていて、僕は上野公園をそのままぐるっと歩いてみた。赤い提灯の明かりに照らされ、もうすでにすっかりできあがっている人たちを横目に見ながら、ジップアップのニットのポケットに両手を入れながら、咲き誇る桜を見ていた。
思いがけない花見になったよ……と思いつつ。
それにしても、よくニュースでやっていた公園に場所取りをしている本格的な花見をはじめて見た。結構寒かったのに、たくさんの人たちがお酒を飲んで騒いでいた。乾杯の音頭や、意味のわからない叫び声がいたるところから聞こえていた。
時間が近づいてきたので、会場に向かう。 年末には大ホールの方で違うコンサートを聴いたのだけれど、今回は小ホールの方。全席指定の席は後ろの中央辺りで、総座席数もそれほどないせいか、随分とステージと近く感じた。
19時を少し過ぎて、リサイタルがはじまる。パンフレットなどでは身長165センチの美人ピアニストというような書かれ方をしていて、実際に写真はとても美人。ステージに現れた本人も、背の高さが印象的な長身にロングヘアーという映画やドラマに出てきそうな感じだった。
こういう方面には疎いので、実際にピアノの上手さがどうなのかはよくわかなかったけれど、それでも大柄の長い腕から、ややオーバーアクションで繰り出される様々な演奏は迫力があったし、絵になっていた。先週大学(パンフレットによると東京芸術大学)を卒業したばかりとのことで、今度「題名のない音楽会」にも出演すると曲間に話していた(観客、拍手)。
曲目は以下の通り。
ドビュッシー:ベルガマスク組曲より「月の光」
アンドレ・ギャニオン:めぐり逢い
ドビュッシー:映像第2集より「金色の魚」
シャミナード:牧神
スクリャービン:幻想曲 ロ短調
<休憩>
ショパン:幻想曲 ヘ短調
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」
リスト:パガニーニによる大練習曲s.140より 第3曲「ラ・カンパネラ」
前半、斜め前に座っていた村上龍似の男がずっといびきをかいて眠っているのにはちょっと驚いてしまったけれど(拍手になると起きて拍手をするのに、曲が始まるとまた寝息を立て始める)、後半にはその男も含めてほとんど全員がステージに惹きつけられていた。僕も前半より、後半の方がずっと集中して聴くことができていた。NHK教育テレビの芸術番組のナレーターとかに向いてそうな正当派美人で、これから人気が出るかもなあと思った。
演目が終わり、拍手の中でもう一度ステージに登場しアンコールの曲(曲名不明)を弾き、それから二度ほどステージに姿を現し礼をして、それで終了。クラシックのコンサートは曲の終わり目がよくわからなくて、拍手をする人はよくわかるなよなと思う。
昨年デビューアルバムを発売していて、今日それを買ったらサインをしてもらえるとのことだったけれど(ロビーでは観客数よりも多い枚数のCDが売られていたように思う)、それは買わずにコンサートが終わったら外に出た。
そしてもう一度上野公園へ。 帰る前にもう一度桜を見ていこうと思ったのだ。 20時30分過ぎには照明はほとんどすでに落とされていて、それでもまだたくさんの人が花見(というか酒盛り)を続けていた。救急車も来ていたし、警察官の姿も多くなっていた。たくさんの人が桜の下を歩いていて、目の前を歩いているカップルの女の方が、男に向かって「私の次に綺麗な桜ね」と言っていた。男の方も「そうだね」と言っていた。むむ?
それから上野駅の遅くまで開いているCDショップで前から欲しかったDes'reeのアルバム『dream soldier』を買う。 PICNICAさんに発売することを教えてもらっていた4日発売の『tokyo.sora』のDVDが出ていないかなと見てみたけれど、まだ店頭には並んでいなかった。
それから、京浜東北線で帰途に着く。
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お知らせ
最近は、数日前にきりあさんに(ファイルで)送ってもらった椎名林檎セルフカバーの「いけない子」を聴いていました。 きりあさん、ありがとうございました。
『dream soldier』はいい感じです。
そして、『Spica』(中篇バージョン)も、31日の朝に郵便局に出してきたのでした(ぎりぎりセーフ)。
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