Sun Set Days
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2004年02月28日(土) カレーのチェーンは?

 今日は4人でCoCo壱番屋にカレーライスを食べに行く。久しぶりのココイチ。
 食べながら、ふいにどうしてハンバーガーチェーンや牛丼チェーンなどはいくつかの企業が覇権を争っているというのに、カレーのチェーンだけはココイチ以外にちゃんとないのだろうと思った。たとえば焼肉なら牛角に安楽亭にカルビなんとかとかのいくつかの種類がある。ハンバーガーはいうまでもなくマクドナルドにモスバーガー、ロッテリアにフレッシュネスバーガーまであるし、牛丼だって吉野家に松屋、すき屋になか卯とすぐに複数の企業を挙げることができる。さらには、コーヒーならスターバックスにドトールに、シアトルズベストにタリーズにと……それこそもう、様々なメニューで、それぞれ特徴的なチェーンの名前を挙げることができる。たとえば昨年ぱっと流行した讃岐うどんのチェーンでさえも。それだけ代表的なメニューは多くの人に親しまれているということなのだろうし、だからこそたくさんの企業が林立することになるのだろう。
 けれども、カレーライスだけはこれという企業が思い浮かばないのだ。定番のメニューであるし、いくらでもチェーン展開がされていそうなものなのに、ココイチ以外のチェーンを、駅の中によくあるような小規模なチェーン以外に、思い出すことができないのだ。
 それはどうしてなのだろう? と思う。
 ちょっとだけ不思議で、ちょっとだけ奇妙な感じだ。
 万人受けするカレーの味を出すのって、意外に難しいということなのだろうか。
 どうなのだろう。


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 お知らせ

 チキンカツカレーを食べました。美味しかったのです。


2004年02月27日(金) 夕方の住宅街

 今日は休日で、6時少し過ぎに起きる(習慣っておそろしい)。そして今日は二度寝をしようと決めていたので、そのまま二度寝をして9時少し前に起きる。着替えてから銀行に行き、クリーニング屋にスーツを出しに行って、それから近くのファミリーレストランで少し早い昼ごはんを食べた。
 午前11時前のファミリーレストランはまだほとんどお客がいなくて、ただお昼に近づくにつれてどんどん混んでいった。
 その間僕は何度かドリンクバーに行って、オレンジジュース(アイス)と、濃い目のコーヒー(ホット)と、カモミールティー(ホット)を飲む。カバンの中に入れていた雑誌をのんびりと読む。

 部屋に帰ってきてから、パソコンに向かっていろいろと打ち込んでいたのだけれど、途中でどうしても眠たくなって、キーボードを少し奥へずらして、そのまま机にとっぷして眠った。だいたい14時くらいに。

 起きると、1時間半くらいが過ぎていて、身体の節々がとても痛かった。首と、腕と、お尻と、足と。不自然な姿勢で眠っているので当然だとは思うのだけれど、欠陥品のアンドロイドのように、ぎこちない動きになってしまう。

 そしてまたパソコンに向かっていろいろと打ち込む。たまに首を押さえながら。

 夕方にもう一度クリーニング屋に行きスーツを取りに行く。
クリーニング屋のおばさんと世間話をしてから(クリーニング屋のおばさんに話好きな人が多いのはどうしてなのだろう?)、てくてくと歩く。
それほど寒くない、夕方の住宅街のなかを。

 夕方の住宅街は、生活の匂いに溢れている。周囲を覆う夜の暗さの中にあっても、たくさんの明かりが窓から漏れてくる。休日じゃないと午後6時半の住宅街を歩くことはないから、なんだか新鮮な感じがする。
 夕食の匂いが流れてくる。買い物袋を前のかごに積んだ主婦が自転車で通り過ぎていく。会社帰りのサラリーマンとすれ違う。遊びからの帰りらしい中学生の一団が自転車でうるさく走り去っていく。小学校の近くで、カーテンを閉めていない一家の様子が目に入って、両親と小さな子供二人が食卓テーブルを囲んでいるのが見えた。テレビをかけて、夜ご飯を食べている。

 選択肢のことを考えるのはそういうときだ。結婚だとか、家族だとか、そういった方を選んでいたとしたらどうなっていたのだろうということ。もちろん、選択肢は不可逆的なものなのでそれ以上は考えないのだけれど、別にいまの生活に不満はなくても、隣の芝生は青く見えるし、魅力的に映る。特に平日の夜の住宅地を歩いているときにはなおさらだ。

 けれどもまあ、日々は楽しく、穏やかに落ち着いているのだけれど。
 そしてそれは、ある面ではやっぱりちょっとおかしなことなのかもしれないと思う。
 自分では満足していても、どこかでは、やっぱり。

 この間休憩時間に後輩と話しているときに、湘南平の話になった。湘南平というのは平塚市にあるちょっとした展望台のようなところで、その丘陵にあるテレビ塔の金網に、恋人たちが固い絆を象徴するものとしてなのか、鍵をつけていくのだ。地元の人の間ではそれなりに知られている場所のようで後輩(女)は知っていたが、県外から転勤してきている後輩(男)はその場所のことを知らなかった。
 僕も昔はその場所のことを知らなかったのだけれど、社会人になって神奈川県に転勤して来たときに、当時の恋人と訪れたことがあったのを久しぶりに思い出した。夜に駐車場に車を停めて、いくつもの鍵がつけられた金網を驚きながら眺めたものだった。そのときには鍵をつけなかったのだけれど、たくさんの人たちが(おそらくは)それぞれの思いを込めて、それぞれ異なる鍵を締めていっている様になんだかすごいと思ったことを覚えている。もう随分前の話だ。
 それでも不思議なもので、その話になるまでその場所を訪れたことなんて全然思い出すことがなかったのだけれど、いまこうやって文章を書いていると、その夜に帰りに道に迷ったこととか、車の中でした話のことだとか、国道1号線沿いの長い道路のことだとか、ずっと忘れていたことを思い出したりする。記憶は本当に便利で、思いがけず、唐突なものだ。

 あのときの恋人は、いまでは子供とかがいたりするのだろうなと思う。風の便りも聞かないくらいいまでは接点もないので、まあわからないままなのだけれど。


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 お知らせ

 今日は部屋にいるほとんどの時間、パソコンに向かって文章を書いていました。


2004年02月23日(月) 『蜜』+何度でも忘れて何度でも思い出す

 月曜日が休日だということもあって、日曜日の夜には仕事が終わった後5人でファミリーレストランに入り、午前1時過ぎまで粘っていた。
 部屋に帰ってきてからは、そのまま明け方近くまで起きていた(相変わらず夜更かしだ)。
 月曜日は昼前に起きて、それから部屋の机で持ち帰り仕事をしていた。
夕方後輩から買い物に行こうという誘いが入り、待ち合わせて出かけてくる。
 みなとみらい近辺で数時間を過ごし、夜ご飯にはまわる寿司を食べて、21時過ぎに帰ってきた。
 のんびりとした、ゆっくりと時間の流れている休日だった。


 そしていまは24日の午前1時過ぎ。
 最近はCharaと柴咲コウのアルバムを繰り返し繰り返し聴いている。
 結果として、Charaはいうまでもないのだけれど、柴咲コウはものすごくツボにはまるアルバムとなっている。
 それまで柴咲コウのことを詳しくは知らなくて(もちろんあれだけ露出している人なので少しは知っていたけれど)、曲だってほとんど聴いたことがなかった。RUI名義で大ヒットした「月のしずく」だって、有線で流れるのを聴くくらいでしかなかったのだ。
 それなのにどうしてアルバムを購入してしまったのかよくわからないのだけれど、Charaの『A Scenery Like Me』を買いに行ったときに、すぐ近くに置いてあって、ジャケットを手にとってみて、それでなんとなく一緒に買おうと思ってしまったのだ。本当に気まぐれに。
 そしてやられてしまっている。
 iTunesでは、1曲目の「Fantasista」の再生回数はすでに20回になっているし、2曲目の「浮雲」は21回だ。アルバムも通しで10回以上聴いている。もちろん(?)、通勤途中にも聴いている。

 事前の情報がなくて、その分当然期待もしていなくて、それですごくいいなと思えてしまっている。通して聴いていてもよい曲が多いのだけれど、いまは特に1曲目と2曲目を繰り返し聴きたい時期になっていて、その時期が終わったら他の曲をよく聴く時期になるのだろうなという気がする。CDは結構たくさん購入するのですきなアーティストも少なくないのだけれど、久しぶりに新しいアーティストでやられたという気持ちになれて嬉しいなと思う。たくさんの音楽を聴くたびに、そういうのって本当は違うと思うのだけれど、これは〜みたいだなとか、こういう感じだとか、ちゃんと向かい合わないですぐに判断を下すようなところがあったことも事実だし。

 よく、年齢とともに感受性が失われてきて云々というような話を聞くけれど、もちろん実際にそういったところもないとは言えないのだろうけれど、実際のところは様々なものを経験してきたことによるものなんじゃないかと思っている。それはつまり、ある音楽を聴いても、過去にすでに聴いたことのあるメロディーに似ているとか、ある種の傾向や枠に当てはめて捉えてしまうということで、新鮮さや衝動を感じ取ることができなくなってしまうということだ。そしてそれは何に対してもそうで、経験を積むことで判断をすぐに下すことができるようになってきて、本当にちゃんと向き合った方が得られるものが多いものに対しても、ちょっと触れただけである意味ステレオタイプな判断を下してしまうということだ。それはとても危険で、ただ様々なことにいちいち衝動を受けることを避けるためにも必要なことでもあって、微妙に難しいことではある。しかも、気持ちが疲れているときなんかは感情を守るためにその傾向がきっと強くなったりして、その繰り返しがいつの間にか音楽や物語に対しての感覚を磨耗させてしまうことに繋がってしまうのだろうと思う。

 もちろん、すべてにおいてちゃんと向かい合って味わいつくしてというのは理想かもしれなくてもやっぱり難しいのも事実だ。ただ、だからといってすばらしい作品に出会ったときの感動を放棄するのももったいない。だから、ときどきはちゃんと思い出さないと駄目なのだと思う。感情が傷ついたり揺れ動いたりすることを避けるために、ついついルーティンワーク的に自分が体験することを簡単に枠にはめようとする傾向があることを。そしてその枠は白い紙に書いた線のように、一度書いてしまうとそれを当たり前のことだと疑念も抱かなくなってしまうことを。

 だからたまにはちゃんと、向かい合うべきものに向かい合おうと意識しないといけないし、一度書いた線だって消しゴムや修正液で消すことができるということを思い出さないと駄目なのだ。感情や体調は波のように揺れ動くから、元気のよいときに意識できたり誓ったりしたことも、いつの間にか忘れてしまっていたりする。過去に「これからはこういうふうにしなければ、気をつけないとな」と思ったことも、気がつくとすっかり抜け落ちてしまっていたりする。もちろん、忘れてしまうことは当然のことだしある意味では健全なことだ。ただ、大切なのはちゃんと何度でも思い出すということで、自分にとって大切なことは、何度でも忘れて、何度でも思い出せばいいのだと思う。
 都合はいいけど。
 でも、人間はきっととても都合がよいようにできているのだ。本当にショックだったことも悲しみを癒すかのように忘れる力があるし、いつからでも何度でも何かを仕切りなおすことだってきっとできる。その都合のよさをちゃんと利用して、自分にとって大切だと思えることは、何度でも思い出していけばいいのだ。
 思い出すきっかけは、世界中にいつでもどこにでも転がっているのだろうし。

 でも、本当に久しぶりに新しく購入したアーティストのアルバムで、やられたって思ったのだ。そういう気持ちってしばらく忘れていて、どうして忘れていたのだろうって考えながら今日のDaysを書いたのだし、思い出すことができたのは幸福なことだなと改めて思った。


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 お知らせ

 歌詞カードの写真もいい感じです(Lake Tajo)。


2004年02月21日(土) 模擬試験2

問題1 下記の言葉を用いて、今年前半の株式市場の動向について解説しなさい。(20点)


 八兵衛 うっかり 証券取引法改正 各地の名物 リスク・プレミアム 電子部品セクター 腹痛


問題2 次の詩を読んで、下記の問題に答えなさい。(各10点)


「ターキー」


 信号待ちの雑踏の中で、ボーリングの玉を持っている君を見てた。
 信号が青に変わり、人々が歩き出すなかで、
 おもむろに玉を投げる。

 ゆっくりとカーブを描くボール。
 玉は道行く人たちの脚に、すねに、かかとに、
 あたっては、方向を変えて、
 いびつな叫び声が交差点を覆う。

 人々は君を見る。
 そのとき君は、
 すでに二投目を投げる準備に入っている。

 いつかターキーをとれるだろうか?




問 この詩の主題を正しく示しているものに丸をつけなさい。
�”垓掘▲螢好肇蕁⊂霾鷦匆顱■稗團丱屮襪法�家族の解体。そんな現代社会への警鐘である。
��都会に現れた変態の異常な行動。
�B�口さんの娘さんに待望の子供が産まれました。
�ぅ棔璽螢鵐哀屐璽爐�去って早30年。ブームがつねに移り変わってゆくはかなさ。
�テ�本の四季の美しさ。

問 ボーリングの玉は何を暗喩しているか、次の中から選びなさい。
�_礎祐�
�▲蹈乾�
�F鷸晴愁泪鵐�ン
�ぅ好拭璽丱奪�スラテ
�ゼ稠�層の政治離れ


問題3 次の文章は小説「満月の夜にさよなら」の一場面です。本文を読んで、以下の問いに答えなさい。(10点)


「うそ……」
 美津子は思わず口を手で押さえる。目の前に、博が立っていたのだ。
「どうして……どうして?」
 博は黙って、すべてわかっているというかのようにゆっくりと頷く。そして、美津子に微笑みかける。
「待たせたね。そう……本当に長い間君を待たせてしまった」
 あまりの衝撃に自らの胸を押さえる美津子。気がつくと涙が溢れて止まらない。自分の意思と関係のないところで身体がどんどん勝手に動き出していく。
「だって……だって……でも」
 そう呟きながら美津子はすでに駆け出していた。博に向かって右手を伸ばし前のめりになりながらも走り寄っていく。
 博は両手を優しく広げ、そんな美津子を受け入れるのだった。



問 博の職業は何か。正しいものを次の中から選びなさい。

 大学院生 ピアニスト 教師 サッカー選手 催眠術師


問題4 次の語群を時系列に並び替えなさい(10点)


 水着グラビア 映画出演 ベンチャー経営者と結婚 バラエティのレギュラー ヌード写真集 歌手デビュー 暴露本出版


問題5 あなたの理想の上司を、以下の言葉を用いて説明しなさい(20点)。


 明確なビジョン 決断力 恐妻家 小遣い3万円 画期的なアイデアマン ユニクロ好き


問題6 人気アイドルグループのヒット曲の歌詞を読んで以下の問いに答えなさい。(各10点)


 チェーンソーを振り回さないで
 木が倒れるから
 チェーンソーは正しく使って
 木を殺さないで

 僕らはみんな心にチェーンソーを持っている
 獰猛で 鋭利な牙を 電気の力で動かしている

 いつ どんなきっかけで チェーンソーが動き出すの?
 目には目を? 力には力を? チェーンソーにはチェーンソーなの?

 思い直して 木を倒さないで
 あなたはきこりじゃないの チェーンソーを振り回さないで

 OH! チェーンソー(OH! OH!)
 YEAH! チェーンソー(YEAH! YEAH!)
 BABY! チェーンソー(BABY! BABY!)

 大丈夫 君は 大丈夫だから
 お願い チェーンソーを持っている手をおろして


問 この歌の曲名は何か? 次の中から選びなさい。

��Chain saw, I love you
�∈廚蠡生櫃鬚發Π貪�
��My Lost Chain Saw
�つ�風に吹かれて

問 この曲の主題は何か、次の中から選びなさい。

�ヾ超�破壊
��犯罪の低年齢化
��ハムラビ法典
�せ蟾發琉�


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 お知らせ

 100点満点です。


2004年02月20日(金) 『STACIE ORRICO JAPAN TOUR 2004』

 今日は6連勤後の休日で、朝から洗濯をしたり、髪を切りに行ったりした。
 そして、16時過ぎに後輩と待ち合わせて、有楽町へ向かう。
 東京国際フォーラムホールAで行われる、STACIE ORRICOのコンサートに行くためだ。
 STACIE ORRICOは昨年の夏に日本でもヒットしたアメリカのアーティストで、若干17歳。昨年アルバムを購入して以来結構繰り返し聴いていて(ちなみに、Daysを読み返すと6月27日に購入していた)、コンサートのチケットの予約がはじまったときに購入しておいたのだ。ちょうど東京でのライブが金曜日で、基本的には金曜日が休みのことが多いのでおそらくは大丈夫だろうと思いつつ。

 ライブは楽しかった。思っていた以上に歌がうまかったステイシーに、魅力的なダンサーたち。繰り返し聴いて耳に馴染んだ楽曲はライブで聴くとやはりとても魅力的だった。テンポのよい踊れる感じの曲から、ピアノを弾きながらのバラードまで、あっという間の1時間半。また、いま全米でもヒットしている「More to life」では、ダンサーたちがビデオクリップでステイシーが演じた様々な人生のコスチュームを身にまとい踊るという演出なんかもあって面白かったし。手拍子をしながら、やっぱりライブはいいなと思っていた。

 いずれにしても、CDを聴いたり、テレビで見ていたりする人が目の前のステージで歌って踊っているなんて不思議だとは思ったのだけれど。

 そして、今回のライブはオープニングアクトとして、林明日香という日本のアーティストが参加していた。
 これは、おそらくはステイシーがまだアルバムを2枚しか出していなくて持ち曲が少ないためだからだと思うのだけれど、最初に前座として4曲歌ったのだ。
 なんとこの林明日香はまだ中学2年生だそうで、歌がものすごくうまく、ハスキーな声をしていた。歌っていた歌はなんとなく聴いたことがあるくらいで、それほどまだ売れている人ではないと思うのだけれど、おそらくはレコード会社が売り出したいのだろう。
 ステイシー目当ての人たちで埋まっている会場で、林明日香はよく頑張っていたと思う。関東の人はそういうときには結構クールな反応を示したりするし。


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 コンサートがはじまる前、少し時間があったので、銀座にできた「Apple Store,Ginza」に行ってくる。僕はMacユーザーではないけれど、昨年オープンし、様々な雑誌や新聞等で案内されていた直営店舗がどのようなものか興味があったのだ。
 思っていたよりも小さな店だったという印象。確かに外観も特徴的だし、店内もセンスがよく作られている。けれども、ある程度敷居が高そうな感じがしたのも事実。どうしてなのだろうと思っていたのだけれど、店員が多すぎるのだと思う。もちろん、それは逆に言うと直営店舗として顧客の様々な疑問などにすぐに答えられるようにしているというカスタマーサービスの表れなのだろうけど(実際難しそうな話をしている店員と客という図が何組かあった)、ただウィンドーショッピングをしに来た客としては、ちょっと見づらいなと思えるくらいの人数だった(たとえば、誰かがいろいろと試してみた画面を、その客が離れたらすぐに店員がやってきて元の画面に戻すとか。それは次の客のことを考えたよいことだとは思うのだけれど、それでもすぐに直されるとなんだか触れるなと無言で言われているような感じもほんの少しだけする)。
 でも、ユーザーの人にとっては、とても魅力的な場所なのだろうなと思う。
 4階で、iPodのIn-Ear Headphonesを購入する。レシートというか、領収書に結構よい紙を使っていて細かいところまで芸が細かいなと思う。ただ、レジの近くに人がいて、会計をしようとレジに立っていると周囲の店員が「お待ちください」「もう少々お待ち下さい」と口々に言って、奥のほうからやってきた女の人がようやくレジを打つという一幕があった。「お待ちください」と言っていた人は手が開いていたのに。
 これはおそらくレジ担当の人が時間帯で決まっていて、その人以外がレジ打ちをしないようにしていたのだと思うのだけれど、手の開いている店員が他にすぐ近くにいるのだから、レジ担当の人はレジにちゃんと張り付いて、別の問い合わせ対応などはその手の開いている人が行えばいいのにと思う。周囲の店員たちはみな手が開いているのに、なぜかレジを待たされる図というのはちょっと「?」という感じだったし。
 もちろん、その辺のオペレーションは言うほど簡単ではないとも思うのだけれど。


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 お知らせ

 ステイシー・オリコの日本版オフィシャルホームページです。

 http://www.toshiba-emi.co.jp/intl/stacie/index_j.htm


2004年02月19日(木) 『A Scenery Like Me』+『蜜』

『A Scenery Like Me』というのは、Charaのセルフカバーアルバムのタイトル。
 帯(?)には「名曲は二度生きる。」と書かれている。「“アーリー・チャラ・クラシックス”(91-94)を、今のChara色に染めた決定盤!」とも。

 そこに書かれている通り、Charaの初期の楽曲がセルフカバーで収録されている。
 曲は以下の通り。


 01 Break These Chain
 02 あれはね
 03 罪深く愛してよ
 04 青(新曲)
 05 PRIVATE BEACH
 06 No Promise
 07 愛の飛行船(新曲)
 08 time after time
 09 Happy Toy
 10 うそつくのに慣れないで


 ちょうど10年位前までの楽曲で、一番Charaをよく聴いていた時期の曲だ。もちろん、セルフカバーということもあり、現在のCharaのフィルターを通したアレンジが施されているのだけれど(なかには結構大胆にアレンジされている曲もある)、それでも何度も繰り返し聴いてきた原曲の原型が色濃く残っているのはすぐに感じられる。
 そのせいか、聴いていると学生だった頃のことを思い出したりもして懐かしく思えたりもした。もう10年前にもなってしまうのだ。年をとったなあと思う。もちろん基本的なところはやっぱり変わらなくて、好きなトーンや傾向というものは確かにあるのだなと実感させられてしまう。たとえば、Charaの声やうたいかたや楽曲なんかはそうで、何度も聴きすぎてすぐにチューニングをあわせることができるようなある種のトーンも、やっぱり懐かしく思えるし相変わらずすごく好きだと思うことができる。

 成長にもいろいろな形があって、かつて好きだった曲をあんまりよいとは思えなくなることも成長だし、かつて好きだった曲をやっぱり好きだと思えることもきっと成長だ。どちらがよいわけでも、どちらが悪いわけでもなくて、ただ対象と、自分が感じることだけがあって。そして一人のなかでも、物によって前者だったり後者だったりする。それはとても個人的なもので、たとえばどんなに仲のよい人とは同じようには共有することのできないものだ。そして共有することができないからこそ、他の人の好きなものについての話を面白く聞くことができるわけだし、興味深くも感じられる(あるいは全然理解することができなくて、その共有できない具合に驚いてみたりもする)。

 話を戻そう。
 個人的にはCharaのうたは年をとっても変わらずに好きだと思えるもので、そう思えることはなんだかんだ言っても成長しているのだということの証拠のひとつのように思えたりした。たくさんの出来事があって、住んでいる街も随分と変わって、10年が過ぎて、それでも相変わらずCharaのうたを聴いてやっぱりいいよなと思えるのだ。それはたくさんの選択肢を偶然にも正しく選んできて、いまの場所に行き着いたというような奇妙で風変わりな奇跡のようにさえ思える。
 好みなんてちょっとしたことで、あっという間に変わってしまうのに。
 好きだったものこそ、ちょっとしたことであっという間にだめになってしまうのに。
 それでもずっと(もう10年以上も)好きだと思えるのだから、やっぱりそれは稀有な偶然に導かれているみたいなことなのだ。

 たとえばこれから10年が経った頃に、そのとき新しくうたわれているCharaの曲に、やっぱり同じようなトーンを感じていたりするのだろうか?
 稀有なオリジナリティを持っているCharaのことだからそのときもまだきっと活躍していることだろう。
 僕にもそれなりにいくつかの出来事が訪れて、いまとはやっぱり違う場所にいることだろう。
 そのときにもそのときの新しい楽曲を(もちろんそれは今回のように新しいアレンジが施されたセルフカバーであるかもしれないけれど)、やっぱり好きだと思えるのだろうか?

 そうだったらいいなと思う。10年前の全然子供だった僕が好きだったように、現在の少しは成長したと思う僕が好きだと思っているように、10年後のまだ見ぬ僕(もうちょっとは成長しているといいのだけれど)も、好きだと思うことができたらいいなと思う。

 そう思うことができるように、ちゃんと歩いていきたいなと思う。


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 柴咲コウのアルバム『蜜』も買った。有線なんかでいくつかの曲を聴いていいなと思っていたくらいでちゃんと聴いたことがなかったのだけれど、アルバムが発売したことに合わせて購入してみたのだ。
 これも思いがけずよかった。まだ何度も聴いているわけではないのだけれど、もっと繰り返し聴いてみたいなと思えるようなアルバムだった。


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 今日は(も?)仕事帰りに後輩と3人でラーメンを食べに行く。大阪出身の後輩(女)は「関西ラーメンってどんなんやろ……」というようなことを話していた。
「関西に有名な店ってあるの?」と訊ねると、「天下一品」という名前が返ってきて、ふにうにさんの日記に出ていた店だと思い「京都の店なんでしょ」と言うと、「よく知ってますねえ」というようなことを言われる。
 よく知っているというのとはちょっと違うのだけれど、不思議な偶然(のようなもの)にちょっとだけおかしくなる。
 よく考えたら、店には関西出身者が多いなあと思ったりする今日この頃。


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 お知らせ

『A Scenery Like Me』はレーベルゲートCD2というやつで、iTunesには録音することができないのです。
 残念。


2004年02月17日(火) お好み焼き

 今日は仕事が終わった後、5人でお好み焼きを食べに行ってきた(昨日とはまた違う面子)。
 しかも、5人中3人が関西(大阪、奈良、和歌山)出身という濃いメンバーで。
 自分たちで焼くタイプの店だったのだけれど、関西組に「やっぱり作法とかあるの?」などと訊きながら作る。
 また、お好み焼きのときによく話題に出てくる「お好み定食」の話になって、3人ともがそれは当たり前だと言う。食べ物って、本当に地域性が出てきて面白いよなあと思う。ご飯のおかずがお好み焼き……

 焼肉などもそうなのだけれど、食べる際に実際に自分で手をかけるという動作が入るものってやっぱりおいしい。自分で作ったもやっぱりそうで、熱い熱いと言いながら、でもとてもおいしいよなと思いながら食べる。また、仕事の後にそんなふうにメンバーで一緒にご飯を食べるのも、やっぱり大切なことのひとつだとは思う(頻度はまあ横に置いておいて)。

 そして、関西組が多かったこともあって、大阪の様々な町の話になる。残った一人が関東の出身なので、キタとかミナミとかの説明から。
 僕は数年前によく出張で大阪を訪れていたので、なんとなく話についていくことができた。
 話しながら、かつて歩いた心斎橋や難波、そして梅田や新大阪の情景を思い出していた。出張だったので、ある程度決まった場所を歩いていることが多かったのだけれど、そのせいもあっていまでも結構鮮明に思い出すことができる。しかもさらに言えば、当時の出来事(2002年2月から5月くらい)はDaysにも収められていて、それを読み返せばさらに鮮明に思い出すこともできるのだ。
 そういうのってなんだか不思議だし、日記(のようなもの)を継続していることにちょっとだけよかったなと思うことができることでもある。


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 お知らせ

 豚にやきそばをトッピングして食べました。


2004年02月16日(月) 外食

 今日は22時過ぎに仕事が終わり、帰りに後輩2人に連れられてご飯を食べてくる(うらぶれた感じがいかにもな定食屋)。
 昨日も仕事帰りに別の後輩1人と0時過ぎまでモスバーガーにいたので、2日連続外食。
 部屋に帰ってきてから、昨日着信があったのだけれど出ることができなかった同期に電話をかける。
 その同期はいま北陸地方にいて、随分と久しぶりに話す。
 そして気がつくと今日もまた0時を過ぎていて、さすがに今日は早めに寝ようかなと思う。
 明日は早いし。


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 お知らせ

 今日はパートさんに「なんで○○さんはあんまり寝てないみたいなのに、風邪もひかないしそんなに元気なの?」と訊ねられる。
 それはもしかしたらバカだからなのかもしれません……


2004年02月14日(土) 『RENT』+『最速で開発し最短で納めるプロジェクト・マネジメント』

 13日の話。
 数日前、よくチケットを購入するe+のメールに、『RENT』の当日渡しの最終追加販売の案内が書かれていた。
 以前観に行きたいなと思いつつ、シフトが確定していなかったため券を取ることを諦めていた経緯があって、その追加販売には驚くと同時に嬉しくなってしまった。メールからサイトへのリンクをクリックし、日付を確認する。するとちょうど休日のチケットも該当していて、すぐにチケットを取るためにクリックを数回繰り返した。

 ということで、昨日『RENT』を観てきた。場所は新宿にある東京厚生年金会館。
『RENT』というのはアメリカのオフ・ブロードウェイからブロードウェイへ、そして世界へと様々な場所で公演を続けているミュージカルだ。トニー賞の最優秀作品賞や、ピューリッツァー賞のドラマ部門など、様々な賞を受賞してもいる。もちろん、僕はトニー賞というのがどれほどすごくて、権威があるのかはわからないのだけれど、とりあえず面白そうだなとだけ思っていて、それだけで観に行った。11000円というのはもちろんCDでいうとジャケット買いのようなことをするのには高い金額ではあるけれど、それでもなんだか興味があったのだ。あんまり明確な理由はないし、すべての行動に明確な理由があるというのもまたちょっと違うような気もするし。

 そして、もうたっぷり泣いてしまった。
 いまこれを書きながら思い返しても、また泣けてしまうくらいに胸をうたれてしまった。まさか自分がミュージカルで泣くなんて思っていなかったし、激しい音とリズムがあんなにも響くものだとも思っていなかった。あまり先入観がなかったことがよかったのかもしれない。目の前で演じられるものに、難しいことは何も考えずにただ引き込まれていただけ。

 物語は、ニューヨークのイースト・ヴィレッジに住むアーティストたちが主人公だ。家賃さえ払えない貧しい彼らは、お互い助け合って暮らしている。困窮やエイズで死んでいく友人や恋人たち。救いのない世界の中で、かけがえのないいまをどのように生きていくのかということについての物語。
 ロック調の激しい音楽や、せつない音楽、様々な音楽と歌が重なって、ステージから振動が伝わってくる(どこかで耳にしたことのある楽曲も多い)。そして、ステージはとても狭いものなのに、出演者たちの動きから、その場所が本当の(様々な人が行き来する)ニューヨークのスラムの街角のように見えてしまうのだから不思議だと思う(いままで、たくさんミュージカルを観たことがあるわけではないけれど、ステージの上が本当の世界の別の場所のように思えたのははじめてだった)。
 また、電話やビデオカメラの映像など、様々な小物の使い方やアイデアにも満ち溢れていて、何年も公演を続ける中で少しずつ練り上げられ、形になったものなのだろうなと思う。

 ブロードウェイミュージカルなので当然台詞は英語なのだけれど、ステージの左右にひとつずつ縦長の電光掲示板が用意されていて、そこで字幕もちゃんと流れているので英語がまるでダメでもストーリーを充分に追っていくことができる(目は疲れるけど)。ただ、その字幕も大体長い台詞で他にもいろいろ言っているのだけれど、要点はこれ、といったところだけを訳してくれているので、いちいち字幕ばかりを観なくてもよいようになっていて(たぶん)、そういったところもよかったところのひとつだ。

 不思議なことに、ネットを見ると来週の火曜日水曜日のチケットはまだ余っている。休みさえあればもう一度行きたかったのだけれど(次に日本に来るのがいつかなんてわからないし)、ちょうど休みはないので繰り返し思い出しながら記憶にとどめておこうと思う。

 また、日本公演でも作者ジョナサンの遺志をくんで設けられた1枚20ドルのチケット(ブレークスルーシート)の抽選が行われていた。
 これは、当日抽選販売のみのディスカウントチケットで(日本では6000円)、安くしかも最前列が確保されるチケットだ。毎回席を求めて行列ができるらしく、日本でも開演の1時間30分前から30分間受付し、1時間前に抽選発表をすることになっている。僕は1時間前に会場に着いたのでたまたまその抽選会の様子を見ることができたのだけれど、12枚の抽選チケットに50人強が申し込んでいて、当選した人はとても嬉しそうだった。
 ただ、このチケットの存在を僕は帰ってから知ったので、そのときはなんのイベントなのだろう? と思っていただけだったのだけれど。

 でも本当によかった。忘れられないミュージカルだと思う。


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『最速で開発し最短で納めるプロジェクト・マネジメント』読了。村上悟著。中経出版。
『ザ・ゴール』で語られている理論の説明本。本書は、最新作『クリティカル・チェーン』で主題として取り上げられているプロジェクト・マネジメントについての部分を解説しているものだ。ただし、実際に発売されたのは『チェンジ・ザ・ルール』と同じ月なので、『クリティカル・チェーン』の邦訳に随分と先立ってその考え方を解説していたことになる。

 内容としては、『クリティカル・チェーン』で語られていた理論そのままなので、それを思い出すために役に立ったという感じだ。プロジェクトにDBR(ドラム・バッファー・ロープ)を適応するやり方だとか、プロジェクトが遅れるメカニズム(�^汰翰祥気鬟爛世砲垢襪靴�みと心理、��学生シンドローム、��マルチタスク)とその解決についての考察だとか。
 あっという間に読め、また図なども多く、わかりやすい。

 けれども、こちらを読むよりは、まずは小説仕立ての『クリティカル・チェーン』を読んだ方がよいと思う。


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 お知らせ

『RENT』のホームページです。

 http://www.rent2004.jp/


2004年02月11日(水) 最後のマフラー

 マフラーのことをときどき考える。
 たとえば今年、最後にマフラーを巻くのはどんな日なのだろう、とか。

 先日の晩、眠れずに起きていたときにコンビニに行こうと思い立った。時計は2時過ぎをさしている。外に出るには少し遅すぎる時間だ。
 そのときは紺色のトレーナーにジーンズという格好でパソコンに向かっていたのだけれど、その上に厚手の上着を羽織って、ジッパーを上げる。それからマフラーを首にぐるぐると巻きつける。最後にiPodをマイレート5(☆5つの曲ばかりを集めたプレイリスト)にセットしてジーンズのお尻のポケットに入れて準備完了だ。
 玄関でブーツを履いて、部屋の外に出る。午前2時を過ぎていることもあって、やっぱりかなり冷え込んでいる。
うう、とちょっとだけ思って(やっぱり行くのやめようかな)、それでもドアの鍵をかちゃりと締める。
 階段を下りながらリモコンのプレイボタンを押す。まず、Celetiaの「God only Knows」が流れはじめる。社会人1年目の冬に購入したCDに収録されていたもので、個人的な☆5つをつけているのだからもちろん大好きでいままで何度も聴いてきた曲だ。Celetiaが甘い声で「You’re the one,I love you〜」と繰り返し歌っている。

 近くのコンビニまでは、少し急いで歩いて5分ほどかかる。途中の道は閑静な古くからある住宅街で、深夜2時ともなると人気もほとんどなく随分と静かになる(何度も書いているけれど、男に生まれてよかったと思うことのひとつは、夜や朝に思い立ったときに外に出ることができることだ)。
 遠くの町から犬の鳴き声でも聞こえてきそうなほど静かだけれど、鳴き声は別に聞こえてこない。寒い寒いと、マフラーに顎をうずめて歩く。マフラーはとても暖かくて、安心させてくれる。

 そしてふと、マフラーを最後にするときっていつなのだろう? と思う。
マフラーがいらなくなるときは、もちろん寒さが遠ざかっていくときだ。けれども、そのきっかけはなかなか難しい。冬が背後へと過ぎ去り、春の足音がすぐそこまで聞こえてくるようになっても、思い出したかのようなやけに寒い朝や夜がある。そんなときには、もう今シーズンも終わりかなと思っていたマフラーも再び引っ張り出される。そういう寒さは、過ぎ去っていく季節が忘れ去られることに抵抗して、いじけて駄々をこねているみたいに感じられる。ぐずついた子供がなかなか泣き止まないように、季節の変わりも目もなかなかぴったりとかさっぱりというわけにはいかない。結構しめっぽくて未練がましい感じだ。
 少しずつ、進んだり戻ったりを繰り返しながら徐々に移り変わっていく。
 そんな日々が続いていく中で、マフラーの方も出したりしまったりを繰り返す。

 そして、結局は毎冬最後にマフラーをする日のことなんて覚えていない。いつの間にかやめている。
 半袖をいつ着なくなったのかなんてなかなか覚えていないように、春の終わりや、秋の訪れを明確には区別できないように、マフラーを最後にぐるぐると巻く日のこともちゃんとは覚えていない。覚えている意味も意義もないし、結局はただの防寒具だ。
 それでも、冬の終わりの時期には何度か「そろそろかな」と思う。
そして、ふいにそんなふうに思ってしまった日には、いつもよりほんの少しだけ長く歩いてみたくなったりもする。マフラーを巻いて散歩をするとそうでないときと比べて全然暖かいので、「散歩(マフラーつき)」は冬のささやかながら楽しいことのひとつに数えられることだと思えるのだ。
 ほんの少しだけ、去り行く季節に思いを巡らせながらてくてくと歩く。首周りは暖かくて、耳回りは冷たいままに。でもやっぱり暖かくなっているので、ちょっと汗ばんだりしながら。
 でもその日もきっと最後にはならなくて、その後も何度かマフラーを巻く。そして、いつの間にかマフラーは最後の日を超えている。

 もちろん、8ヶ月もすれば再び冬が訪れる。そうしたらまたマフラーをぐるぐると巻くだろう。それは同じマフラーかもしれないし、(おそらくは)衝動買いしてしまう新しいマフラーかもしれない。
 いずれにしても、やっぱり暖かいなと思いながら、マフラーをぐるぐると巻いて、おそらくはいまとは違う街を歩ているのだと思う。
 そのときには今年の冬にマフラーを巻いて歩いたたくさんの場所のことを、ほんの少しくらいは思い出すことができるのだろうか?
 それとも、そんなことなんか全然思い出したりもせず、ただ新しい場所のそのときには既知のものとなっているはずの景色を眺めているのだろうか?

 マフラーのことをときどき考える。
 たとえば今年、最後にマフラーを巻くのはどんな日なのだろう、とか。
 カラフルなマフラーはバーバパパを連想させるよなあ、とか。


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 お知らせ

 マフラーはすきなのですが、手袋は持っていないのです。理由なんかないのですけど。


2004年02月10日(火) 牛丼最後の日

 今日新聞を読んでいたら、吉野家が11日から牛丼を中止という記事が載っていた。BSE騒動に端を発する米産の牛の輸入停止はいまだ進展を見せず、業界4位のなか卯、3位のすき家に続いて、ついに業界の雄である吉野家まで中止になってしまうのだ(ちなみに、2位の松屋はまだ中止しないとのこと。定職メニューが多く、注文が分散化しているのが功を奏しているらしい)。

 ということで(?)、今日の帰りは後輩たちと4人で連れ立って吉野家に行ってきた。明日で最後になるのなら、明日の夜仕事が終わった後駆け込んでももう食べられないかもしれなくて、それなら今晩が最後のチャンスだろうと思ったのだ。
 ちなみに、僕はいま住んでいるところの近辺に吉野家がないこともあって、この1年くらい一度も吉野家に行ってなかった。以前の部屋は歩いて10分とかからないところに吉野家があったので、夜眠れないときなんかによく行っていたものなのだけれど。
 それでも、吉野家は結構好きで、特に安部社長のキャラクターも好きで(「Days Select」:2002年3月13日『吉野屋の経済学』参照)、やっぱりあの味に親しんだ者としては、牛丼が食べられなくなるのは正直悲しい。ファストフード好きなので、価格云々の前に、あの独特のチープでくせになる味が好きなのだ。それに、代替商品として投入されているカレー丼とかいくら丼とかも、牛丼のあの完成された味に比べるとやっぱり見劣りするとの話だし……(まあ、自分で食べてみないと何とも言えないけれど)

 後輩の車に乗って到着した店は、新聞記事の影響もあってものすごく混んでいるのでは? という予想を裏切って普通の混み具合だった。並ぶことになるかもとさえ思っていたので少し拍子抜けする(気持ちのどこかで長蛇の列ができていたりするような、お祭り騒ぎのような様子を期待していたのだ)。席について、大盛と卵と味噌汁を注文して、相変わらずすぐに出てくる牛丼を食べる。懐かしい味で、これがもうしばらくは食べられなくなるのだなと、一年間も食べてなかったくせにしみじみとしてしまう。

 牛丼だけにあっという間に食べ終わり、食べおさめ終了と言い合う。
 そして、部屋まで後輩の車で送ってもらい帰ってきた。

 もちろん、牛肉の輸入停止はそう長い間続かないとは思うけれど(横と下からの圧力は続いていくだろうし)、それでも牛丼の店から牛丼がなくなるのってなんだか不思議な気がする。何かだけに頼っていたら、その何かがだめになったときに大変になってしまうのだ。けれども、何かに集中しないと、なかなか効率化が進まない面もあるだろうから、バランスというのは本当に難しいものだと思う(現に、吉野家は牛丼という単品にこだわり続けることで牛丼中心の精緻なオペレーションを構築してきたわけであるし)。

 ただ、あの有事に強い吉野家のことだ。きっとこれからも様々な手を打ち続け、この破綻以来最大の危機をも乗り切っていくのだろうなと思う。


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 お知らせ

 今日は数人のアルバイトに「○○さんは何型ですか?」と訊ねられました。
「何型だと思う?」と訊き返してみると「O型。じゃなかったらA型」とのこと。
 正解はA型です。一応マメなんです。これでも。


2004年02月09日(月) 『ラブ・アクチュアリー』+『EQリーダーシップ』

 今日は休日。昨晩は自分でも気がつかないうちに眠っていたらしく、起きたら机を置いてある部屋の電気がついたままだった。記憶はないのだけれど、ちゃんとベッドで眠っているのだからすごいと思う。
 そういえば、昔の知り合いに酔っ払って帰ってきて、起きたら廊下だったという人がいたけれど、それは「ドラマみたいな現実」の中でも、あんまりよくないほうの再現だよなと思う。身体の節々も痛かったみたいだし。

 とりあえず電気を消して、出掛ける準備をする。せっかくの休日なので、映画を観に行こうと思っていたのだ。
 外に出ると、快晴というわけではないのだけれど晴れていて、思いがけず暖かかった。
 iPodで音楽を聴きながら、近くのバス停まで5分ほど歩く。

 映画は10時過ぎからの『ラブ・アクチュアリー』を観た。『フォー・ウェディング』好きとしては、その脚本家がはじめてメガホンを取った作品ならぜひ観たいと思ったのだ。
 映画はとても面白かった。これは19人の様々なラブ・ストーリーからなる群像劇なのだけれど、見終わった後に気持ちが暖かくなるようないい映画だった。最初の導入部のシーンからしてかなり魅力的で、物語にすんなりと入り込むことができる。

 また、それぞれのラブ・ストーリーも独身でハンサムな英国首相が庶民派のお茶くみ秘書にひと目惚れをするエピソードや、恋人を弟に寝取られたミステリー作家が傷心を癒すために訪れた南仏の別荘地で、メイドとして働いているポルトガル人女性に言葉が通じないまま惹かれていく……といったロマンス度の高いものから、同じ会社の同僚に2年7ヶ月もの間片思いをしている女性のエピソード、親友の新妻に恋をしていたナイーブな男性のエピソード、さらには長い結婚生活におとずれた夫の浮気疑惑にショックを受ける妻のエピソードなどの、身近にもありそうな光景まで多岐に渡っている。他にも、最愛の妻を不治の病でなくした男が妻の連れ子と交流を重ねていくエピソードや、落ちぶれた老いぼれロックスターとマネージャーの友情物語など、男女の愛以外の愛もたっぷりと描かれている。
 つまりは、もう盛り沢山なのだ。
 その様々な愛のエピソードが、微妙に重なり合っている登場人物たちを交互に描きながら少しずつ進んでいく(多くの登場人物たちが実はちょっとした関係で繋がっているということを知るのは、群像劇の愉しみのひとつだ)。しかもそれぞれのエピソードの中に、監督お得意のウィットにとんだ演出やシーンがたくさんあり、思わず嬉しくなってしまう。たとえば、最初の方の結婚式でのちょっとした演出は思わずにやけてしまうものだし、老いぼれロックスターの過激発言には何度も笑ってしまう。僕はいまだに『フォー・ウェディング』で友人の結婚式のときにヒュー・グラントがしていたようなスピーチってウィットに富んでいるよなと思っているのだけれど、この作品でもそんなふうに印象に残るような会話やエピソードがたくさんあるのだ。

 個人的に好きなエピソードは、ミステリー作家のポルトガル人女性とのエピソードと、親友の妻に恋している新進画家のエピソード。ただ、この映画を観た人は、それぞれ好きなエピソードが違っているのだろうなと思う。パンフレットに書かれていた「世界がどれほど暗くなろうとも、人生のほとんどの出来事は愛に関係している」という監督の言葉通り、愛についてのささやかなエピソードをいくつも切り取って見せたこの作品は、多くの人に普段はあんまり意識しないことをさりげなく思い出させるような気がする。

 この映画は、どこにでもいるような人たちの愛のエピソードを描いているけれど、周囲の人たちのなかにも同じとは言わなくても魅力的なエピソードがたくさんあるのだろうなと思う。もちろん、たとえば同僚が奥さんに囁いている(かもしれない)愛の言葉を僕は知らないし、年配のパートさんの若い頃の激しい恋のエピソードも知らない。そういう話は基本的にはしないものだ。ただ、それでもどこにでも、誰にでもそういったエピソードがあって、そう考えてみるとたしかに世界に愛は溢れているのだろうなと思う。
 それこそ、多くの人がきっと「ドラマみたいな現実」を再現しているのだ。
 普通の日々を送っているように見せつつも。


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 映画を観終わった後、近くにある大きな公園に散歩に行ってきた。まだ12時過ぎだったし、とても暖かかったのだ。
 ゆっくり30分くらいかけて公園を歩いて、ベンチに座ってカバンの中に入れていた本を読む。
 10分くらい読んでいたらさすがに身体が冷えてきたので、公園を出て近くにあるカフェに入った。
 ホットのカフェオレを飲みながら、本の続きを読む。


『EQリーダーシップ』読了。ダニエル・ゴールマン、リチャード・ボヤツィス、アニー・マッキー著。日本経済新聞社。
 リーダーの本質や結果を出すリーダーシップということについて、EQが重要なものであるということについて書いた本だ。
 序文には、「リーダーシップとは、気持ちに訴える仕事なのである。」と書かれている。
 確かにそうなのだと思う。これまでの上司を振り返ってみたときに、たとえば数字を示してだからこうしなさいというような上司よりも、目標を熱く語り、ビジョンに向かってこうしようというようなスタンスの上司の方が魅力的に映ってきた。リーダーと言うのがチームや組織を導き、共通のビジョンの達成に向かって邁進させるものであるのなら、やはり感情に働きかけ、モチベーションを高める手法の方が有効な方法のはずだ(もちろん、それでいて数字を踏まえてというのが大切だけれど)。

 本書は、様々な組織のたくさんの人物たちへのインタビューや調査結果などを通じて、6つのリーダーシップスタイルを明示し、それを活用してのEQリーダーへの道を提唱し、最終的にEQレベルの高い組織作りを説く。文章はやや読みにくいけれど、書かれている内容は有益なものだ。特に、分類は分類のための分類になってしまう危険性はあるにしても、物事を大まかに理解するためには役に立つし。

 その分類では、リーダーシップスタイルは6つにわかれている。それはさらに大きく2つにわかれ、前向きなスタイルと危険なスタイルということができる。前者が「ビジョン型」、「コーチ型」、「関係重視型」、「民主型」で、後者が「ペースセッター型」と「強制型」だ。「ビジョン型」が最も効果が高く、「強制型」が最も危機に陥りやすい。ただし、もちろんひとりがひとつの型しか使えないということではなく、様々なスタイルを併用していくことが重要でもある(優秀なリーダーは臨機応変に様々なスタイルを使い分けている)。また、組織の段階や現状によって、場合によっては「ペースセッター型」が大きな効果を上げる場合もある。
 そして、EQは先天的な要素だけではないのだと説明している。EQは学習によっていくらでも、いつからでも改善できるものなのだ。そのために、本書では5つのステップを用い、その改善のための方法について説明している。そうすることによって、まず個人がリーダーシップEQを得られるようにしていく。
 個人としてEQリーダーシップを発揮したら、次は組織への適用ということになる。組織は基本的にはリーダーの性質に大きく影響を受けるため、順番としてはそのようなものになるのだ。

 大切なのは、理想(ビジョン)を描き、現実をしっかりと認識し、個人でも組織でもそこに到達するために、どのようなスタイルを選び実行するのかということだ。先日、上司の上司から5月にまたまた転勤し今度は店長になるからなと内々示を出されたのでこの本を手にとってみたのだけれど、いろいろと考えさせられる内容だった。

 気になったところをいくつか引用。

 気分がいいと、人は最高の能力を発揮する。気分がいいと頭の回転が速くなり、情報の理解力が上がり、複雑な問題にも正しい判断を下すことができ、考え方も柔軟になる。明るい雰囲気のもとでは、人は他人や物事をより前向きに見ることができる。そうなると、自分の目標達成能力についても楽観的に考えられるようになり、創造性や決断力が向上し、他人の役に立とうという意欲も高まる。(28−29ページ)


「自己認識」とは、自分の感情、自分の長所や限界、自分の価値観や動機について深い理解を有している、ということだ。自己認識のしっかりしている人は、現実的だ。自分を過小評価することもないし、根拠のない楽観に酔うこともない。さらに、自分について正直だ。あるがままの自分を隠さない。自分の短所を笑ってみせる余裕がある。(……)目にはつきにくいが、自己認識の有無を最も雄弁に語るのは、自己省察や沈思黙考の習慣があるかどうかだろう。自己認識に優れた人は、たいてい自分一人で思索する時間を持ち、よく考えてから行動に移る。衝動的な対応をしない。(57−59ページ)


 最近よく聞く「クール」という言葉は、もともとアフリカ系アメリカ人のジャズ・ミュージシャンが当時の人種差別に対する激しい怒りを音楽にぶつけながらも社会的には激情をコントロールしている姿勢をさして使われたものだ。(68ページ)


 人材育成にかかわる専門家たちは、何十年も前からこの傾向に頭を痛めてきた。トレーニングを受けて意欲満々で帰っていったものの時間がたつにつれて意欲が後退してしまう実例をさんざん見ているからだ。トレーニングがもたらす変化はたしかに本物なのだが、それが長続きしない。だから「ハネムーン効果」と呼ばれる。(132ページ)


 学習のプロセスを要約してみよう。次のような段階を経て、リーダーは変化していく。

●第一の発見 理想の自分――自分はどんな人間になりたいか?
●第二の発見 現実の自分――自分はどんな人間か? 長所は? 短所は?
●第三の発見 学習計画――どうやって長所を伸ばし、短所を克服するか?
●第四の発見 新しい行動、思考、感情をマスターできるまで試行錯誤と反復練習
●第五の発見 変化の努力を支援してくれる人間関係を作る
(147ページ)


 煮えたった湯の中にカエルを放りこめば、カエルは本能的に飛び出そうとする。ところが、鍋に水をはり、そこにカエルを入れて少しずつ水の温度を上げていくと、カエルは水が熱くなっていくのに気づかず、沸騰するまでじっとしている。そして茹であがってしまう。決まりきった日常や習慣の積み重ねにどっぷり浸っているリーダーだちも、この茹でガエルとたいしてちがわない。(164ページ)


 集団はEQを発揮できるかぎりにおいて個人より優れている、ということだ。集団のEQにはメンバー全員のEQが反映するが、リーダーはとくに影響力を持っている。感情は伝染性があり、メンバーはリーダーの気分や行動に特別な注意を払う。したがって、集団の雰囲気や感情的現実(チームの一員でいることをどう感じるか)を決めるのは、リーダーである場合が多い。協力体制の構築に長けているリーダーは集団の共鳴を高いレベルで維持し、集団の意思実現のために皆が努力する雰囲気を醸成することができる。そういうリーダーは、集団が抱える課題に目を向けつつ、一方でメンバーの人間関係にも注意を払うことができる。当然、職場には友好的・強調的な風土が生まれ、メンバーは将来に向かって前向きな見通しを抱くようになる。(220ページ)


●組織の現状を無視して、人間さえ教育すれば制度や文化はおのずと変革プロセスを支持するようになるだろう、と考えてしまう。
●職場の規範やそれを取り巻く企業文化を無視して、人間だけを変えようとする。
(288ページ)


 共鳴型リーダーは、協調を呼びかけるべきとき、ビジョンを提示すべきとき、傾聴すべきとき、命令を下すべきときを知っている。こういうリーダーは、自分の感覚に耳を傾けて大切なことを察知する能力を持っている。また、部下たちの価値観と共鳴しうるミッションを提示する能力を持っている。こういうリーダーは自然に人間関係を育み、噴火しそうな問題をすくい上げ、集団にシナジーを起こすことができる。彼らは部下のキャリアに心を砕くので熱烈な忠誠の対象となり、集団の価値観を凝縮したミッションを提示して部下から最高の力を引き出すことができる。(307ページ)


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 お知らせ

『ラブ・アクチュアリー』は劇中でかかる様々な音楽もぴったりで、そんなところもうまいのです。


2004年02月08日(日) いい加減なリズム

 昨晩は結局午前4時くらいに寝て、朝は7時に起きた。
 それから8時過ぎから会社で仕事をはじめて、会社を出たのが22時30分。
 気がつくと3時間しか眠っていないのだけれど、Daysを書いているいま(9日の0:40)も結構元気で眠気を少ししか感じていなかったりする。
 それは麻痺だろうという声も聞こえなくもないけれど、でも元気だ(まあ、これは月曜日が休日ということもあるとは思うのだけれど)。


 あんまりにも元気で、今日は随分とたくさんの人に、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』の素晴らしさを語っていた。
 妙に熱く。思い入れたっぷりに。


 とりあえず、いまの生活リズムにはいい加減ででたらめなところが多々あるのだけれど、そうできているのは結構タフな方だからなのだと思う。そして、それはとてもありがたいことだ。もちろん、僕ももういい年だし今後は無理がきかなくなってくるだろうから、健康と睡眠とバランスをもっとずっと考えるようになっていかないととは思う。けれども、そう思いながら、気がつくといつも随分と夜更かししているのだ。不眠症とかそういうのとは違うとは思うのだけれど、午前2時とかはいつも起きているわけだし。
 また、なんだかんだで日々13〜4時間は働いているので、結局は気持ちが健康なことが重要なことなのだと思う。
 後は生活がシンプルで、だいたい遅い方へシフトしているにしても生活リズムが決まっているので、身体が慣れやすいのかもしれないけれど。

 でも少しずつ、生活を朝方のほうに移していこうと思う。あと、睡眠ももうちょっとちゃんととって。
 だったら、Daysを書いていないですぐに眠ればいいというのも事実なのだけれど。
 うーん。


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 お知らせ

 と書きながらも、ちょっと気を抜いて音楽を聴いていたりすると、すぐに眠気がきたりするのです。


2004年02月07日(土) 『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

 いまは8日の午前3時少し前。ついさっき部屋に帰ってきた。
 Daysのタイトルにあるように、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』の先行ロードショーを観に行ってきたのだ。
 仕事が終わった後だったため、最初に訪れたいつも行くシネコンはすでに満席で、それならと高速に乗って川崎にあるチネチッタまで行ってきた。チネチッタは午前1時にはじまる回まであるオールナイトで、一度くらいは席が空いているだろうと思ったのだ。
 21時20分くらいにチネチッタに到着し、席を確認すると、0時くらいまでは満席との表示が電光掲示板に出ていた。ちょっとがっかりしたのだけれど気を取り直して列に並び、ためしに「何時の回から座れますか?」と訊ねてみると、21時40分の回から大丈夫だという。「前の方になってはしまいますが」とのこと。
 もちろん、明日(というかいまからなら数時間後なんだけれど)も仕事があるので早いには越したことがなかったから、前の方からでもいいからと21時40分の回のチケットを取る。500席弱の大きなスクリーンの前から3列目の中央付近。どうやら、電光掲示板に満席と表示しても前列3列は客を入れていないらしく、それで座ることができたのだ。ラッキーだったと思う。さすがに大画面が近いけれど、これもまた迫力を増してくれる助けになるだろうしと思いつつ(さらに言うと、チネチッタは座席が非常に座りやすいため、前の方の座席でも首がそれほど痛くはならない)。

 そして、仕事が終わってすぐに出発していたのでお腹が減っていて、ロビーでホットドックを食べる。今日公開の『ラブアクチュアリー』なども合わせるとかなり混み合っていて、前回同じくレイトショーを観に来たときのことを思い出した(前にチネチッタに来たのは、昨年の『マトリックス リローデッド』のときだった)。

 場内が暗くなり、まずは予告編。いくつかのホラー映画や、『インデペンス・デイ』の監督の最新作『デイ・アフター・トゥモロー』、それに『スパイダーマン2』などもあった。

 そして、映画が始まった。
 そこからの3時間23分はもうかなり充実したものだった。10年に1度の大作という触れ込みは全然嘘ではなくて、こんな映画体験ははじめてといっていいほどの充実感があった。世界の大きさというか、想像の世界の奥深さを体感させられたという感じだ。観ている間に、何度も息を呑むシーンがあり、様々な登場人物たちの胸を打たれるエピソードがある。だからこそ、旅の仲間が危機に遭うたびに、まるでその場にいるかのように感情移入してしまう。
 見終わった後は、気持ちを入れすぎていたのか、たっぷりと疲れてしまった。

 物語については時間も時間だし触れないけれど、まだこのシリーズを観たことがない人は、時間があればぜひレンタルで1作目と2作目を観て、それから大画面で3作目である『王の帰還』を見たほうがいいのではとさえ思う。間違いなく映画史に残るはずのこの作品の大団円を、リアルタイムで観るためにも(僕の周囲にも1作目を見てやめている人が数人いるけれど、これはもう3作目の完成度が群を抜いていてまいってしまう)。

 明日も仕事があるのでもうこの辺で終わりにしておくけれど、それでも観に行ってよかったと思う。
 映画はここまでできるのだと、本当にすごいとあらためて思った。


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 お知らせ

 おやすみなさい。


2004年02月05日(木) 焼肉と烏龍茶

 今日は仕事が終わった後に、以前に店のアルバイトをしていた男の子のお母さんがはじめた焼肉屋に4人で行ってきた。
 行くことを知らせずに訪れたのだけれど、ちょうどその男の子が店を手伝っていて、嬉しい偶然に驚く。卒業研究があるので、いまはほとんど手伝っていないとの話だったのだ。
 4人でかなりの量を注文し(馬刺しとレバ刺しを4人前ずつ頼んだよ……)、お腹が一杯になるまで食べて食べて食べまくった。昨日は中華料理を食べて食べて食べまくっていたので、胃がもう悲鳴をあげ続けているのだろうなあと少しだけ思う。でも焼肉はやっぱりとても美味しくて、アットホームな感じのその店で、男の子やその母親と話しながら、たくさん食べて、たくさん飲んだ(2杯目からはウーロン茶で)。


 部屋に帰ってきたのは0時30分少し前で、いまは1時30分。もう本当にお腹が苦しくてDaysを書いている場合じゃないだろうと思うのだけれど、それでもあとで読み返したりしたときには、「あのときの焼肉はおいしくて楽しかったなあ」と単純に思えたりするのだと思う。だいたいこれまでもそんな感じだし。
 だから、ちゃんと忘れられてしまうこのささやかな出来事にスイッチをつけるためにも、お腹いっぱいでくるしくてもDaysを書こうと思うのだ。Daysに残しておきさえすれば、今日のことを忘れてしまっても、クリックひとつで思い返すことができるし、そこから派生していく様々なことなんかも繋がって思い出されていくのだ。さつまいもを地面から掘り出したら、他のさつまいももごろごろとくっついてついてくるように。記憶って本当にうまくできている。忘れられることと、思い出せることは、とてもよくできた機能だよなとあらためて思う。


 それにしてもお腹いっぱい。ふう。


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 お知らせ

 最後にサービスで出してくれた中国で買ってきたという鉄観音入り烏龍茶(ホット)もとてもよかったのです。


2004年02月04日(水) 中華街+『ラブストーリー』+『なぜ高くても買ってしまうのか』

『なぜ高くても買ってしまうのか 売れる贅沢品は「4つの感情スペース」を満たす』読了。マイケルJ.シルバースタイン+ニール・フィスク+ジョン・プットマン著。杉田浩章監訳。ボストンコンサルティンググループ訳。ダイヤモンド社。

 帯にはこうかかれている。


 BMWで100円ショップに行く…
 もはや平均的な消費者はいない!


 この本は、たぶん多くの人に当てはまる個人の消費の二極化について書かれている。たとえば、普段はドラッグストアで格安のヘルスケア商品を買いながら、ルイ・ヴィトンの7万円もするようなバックを購入するような消費者心理について言及しているのだ。そのような例は現在ではたくさんある。もちろん、帯にあるようにBMWに乗りながら100円ショップやディスクカウントストアを頻繁に利用するというような消費者についてもそうだ。

 本書ではこのような行動の対象となる商品やサービスを「ニューラグジュアリー」と名付けている。定義は「同じカテゴリー内のほかの商品より高品質で、センスもよく、魅力的であるにもかかわらず、手が届かないほど高額ではない商品・サービス」というものになる。通常は「価格が高いほど販売数量は少なくなる」ものだが、この「ニューラグジュアリー」の範囲に入る商品やサービスについては、そのような需要供給曲線の外側に位置し、多くの数が売れるのだという。
 そして、そのような「ニューラグジュアリー」の商品が台頭し、受け入れられるようになってきたのはどのような理由によるものなのかについての分析を行い、またいくつかのカテゴリーでの代表的な「ニューラグジュアリー」の商品や企業について具体的に説明を加えている(たとえば、「ヴィクトリアズ・シークレット」や「クレート&バレル」、「パネラ・ブレッド」など)。

 これらの「ニューラグジュアリー」商品が大きくシェアを広げてきた背景には、状況的には可処分所得の多い世代の増加(晩婚化、少子化、裕福な年金生活者の台頭、女性の社会進出etc)があり、精神的な部分では副題にもあるように、現代人の4つの感情スペースに直接訴えかける要素を持っていることがある。その4つの感情スペースとは、

 「自分を大切にする」(自分へのごほうび消費など。家庭用グルメ食品、スパ、パーソナル・ケア商品など)
 「人とのつながり」(話題のレストランでのディナー、高級ワインなど)
 「探求する」(旅行、車など)
 「独特のスタイル」(衣料品、宝飾品、自動車など)

 というものだ。つまるところ「ニューラグジュアリー」消費の背景にあるのは「自己実現」であり、それを持っていることによって、あるいは利用していることによって、「自分は知的で見る目がある」という自己満足と他者からの評価を得られやすくするというものなのだ。本書で書かれている言葉を引用すると、「ニューラグジュアリー商品は、通常の商品(従来型洗濯機、バドワイザー・ビールなど)や、持ち主より目を引くような従来型ラグジュアリー商品(グッチのバックなど)と比べても、より複雑で、興味深く、多様性と機微に富んでいる。洗練され目の肥えた消費者にとってニューラグジュアリーは、ひとことも発することなく相手に語りかけられる豊かで幅広い語彙を与えてくれるものなのだ。(99ページ)」
 判りやすく言うと、ある人物がBMWを購入することによって、BMWに乗っている自分ということについての自己満足と他者からのある種の確立されたイメージを持たれることが重要なことであるということだ。

 そして、興味深いのは、いわゆるディスカウントストア(たとえばウォルマート)などの興隆が、そのような「ニューラグジュアリー」商品への支出を増大させているという点だ。これは一見矛盾することのように見えて、密接に関連している。ディスカウントストアの努力によって実用品や日用品が以前と比べて驚くほど安値で購入できるようになり、それによっても消費者の可処分所得が増加しているのだ。生きていくためにかかるお金が減った分、自分の精神的な面を満足させてくれるそのような「ニューラグジュアリー商品」へと手が伸びているのだ。
 そのような流れのために、現在では消費の二極分化が生じていると書かれている。マスの商品は圧倒的な安価を実現することが生き残りの条件であり、そうでなければニューラグジュアリーの商品へと軸足を移さなければならない。いずれにしても中途半端な価格帯の商品やサービスが急速に売れなくなってきているというのだ。
 それは確かにそうかもしれない。こだわらない消費者はとにかく安いものを購入しようとするから、大手のディスカウントストアやチェーンストアが発達するし、こだわりたい消費者は少しだけ背伸びをしてニューラグジュアリー商品を購入する。その中間に位置する機能もそれなりだが特別な魅力に欠ける商品やサービスが急速に陳腐化していっているのだ。もちろん、消費者の目が肥えてきたということもあるのだろうが、その流れ自体には納得することができる人は多いのだと思う。自らの興味のない分野では消費を切り詰めるけれど、興味のある分野では突出型消費をいとわないというように。

 読みやすく、具体的な企業のエピソードも多く盛り込まれ、面白く読むことができた。興味のある方はぜひ。

 いくつかを引用。


 ニューラグジュアリー商品であるためには、「ベネフィットの階段」の全三段階で消費者の心を捉える必要がある。
 第一段階として必要なのは、デザイン面かテクノロジー面、またその両面での技術的な差異だ。(……)
 第二段階として必要なのは、こうした技術的な差異が実際に性能の向上に役立っていることだ。(……)
 そして最後の段階として必要なのは、これら技術面と性能面でのベネフィット(および価値や企業理念などの諸要因)が合わさって、消費者に思い入れをいだかせることだ。(19〜20ページ)


 典型的なアメリカ人家庭などというものも存在しない。母親と父親と子供が同じ屋根の下に暮らす伝統的なイメージの家族は、全世帯のわずか24%にすぎない。(……)女性と同様、男性の晩婚化も進んでいる。初婚年齢の中央値は、1970年には20.8歳だったのが、2000年には25.1歳に上がっている。
 晩婚化の影響もあり、女性の初産年齢も上昇している。女性が第一子を出産する年齢の中央値は過去30年間に22.5歳から26.5歳に上がっている。また、過去30年間に、30歳以上で第一子を出産する女性の割合も18%から38%に上昇している。
出産の高齢化の結果、DINKs世帯が増えた。彼らは可処分所得が高く、自分たちのニーズやウォンツを満たすこと以外にたいした経済的義務を負っていないので、ニューラグジュアリー市場に大きく貢献している。(45〜46ページ)


一般消費者に影響力をもつオピニオン・リーダーたちが矢継ぎ早に次のようなメッセージを発信し始めるようになった。
「夢を追い求め、心を満たし、なりたいものになり、快楽を追求し、自己実現をめざしなさい。そして、おっと自分をいたわり、自分の利益を追求し、自分にごほうびを与え、自尊心を高めなさい」
 商品やサービスは、常にこうしたメッセージに結びつけて考えられる。そのため、やがて人々は、消費が自己成長や人間関係づくりといった高尚な目的に役立つなら、以前よりほんの少し大胆に消費しても許されると考えるようになった。(52ページ)


 引用はしないkれど、62ページのニューラグジュアリーの消費者の複雑さを説明した文章は大切。


 ワンランク上の消費をする人々は、いくつかのきわめて強い心理的要因から行動を起こしている。こうした要因には、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもある。
 彼らは孤独で、不安で、ストレスをかかえ、心の平和を強く求めている。同時に、希望に満ち、楽観的で、新しい物ごとを試す意欲も十分ある。(……)つまり、自分はおおむね幸せだと主張しているが、それはおそらくそう信じたいからであり、その実、時間に追われ、仕事にストレスを感じ、自分にとって大切な人々とのつながりを失っていると感じている姿だ。(64〜66ページ)


 アメリカン・ガール人形の性能面での違いにアリソンが気づいたのは、弟がサマンサを窓から投げ捨て、人形の手足が取れてしまった時だった。アリソンの母親が同社に電話をかけると、「人形を当社の『病院』にお送りいただければ、アメリカン・ガールの『医師』による『治療』が受けられます」と告げた。そしてサマンサは、新品同様の姿で家に帰ってきたのだ。手首は患者名を示す腕輪まで巻かれていた。アリソンはそれを見て嬉し泣きしたという。「当社は人形に100%の保障を提供することができます」(146ページ)


 外食とはまず「自分を大切にする」ことに関わるものだ。人々は外食することで「もてなされ」、「満たされ」、「安らぎを得」、「ストレスが緩和され」、「元気が出る」と感じている。
 外食はまた「独特のスタイル」にも関わってくる。回答者は、優れたレストランに行くことで「達成感」を得られ、自分を「センスのよい」人間だと感じることができると答えている。(189ページ)


 調査によると、仕事をもった独身女性は、ニューラグジュアリーのとりわけ積極的な購買層だ。若い独身女性は比較的少数のカテゴリーで突出型支出を行っているが、離婚した女性では最大30ものカテゴリーでそれが見られる。
 離婚件数が増え続け、独身女性の晩婚化も進むなか、独身女性の総数は今後も増加が予想される。これにともなって、「人とのつながり」のためというよりも「つながれないこと」の寂しさを和らげるものや、離婚の苦痛を癒してくれるものへの支出欲求も高まると見られる。(272ページ)


 昨今のペットブームや「癒し」「スローライフ」といった言葉の流行も、経済的には成熟しても何か満たされない日本人の心情を反映しているように思えてならない。本書で紹介された四つの感情スペースは、背景は異なるものの、そのまま日本人にも当てはまるだろう。(311ページ)


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 今日は後輩2人一緒に10時に待ち合わせ買い物に行く。そして、13時過ぎにお腹が減ったという話になり、中華街に行ってきた。
 あとちょうどお昼時ということと、先週開通したばかりのみなとみらい線の影響なのか、中華街は平日だというのにものすごい人手で混み合っていた。たくさんの店があるなかで、輩の一人が教えてくれた「梅蘭」という路地にある小さな店に入る。固焼きそばが有名な店なのだそうだ。店の前まで並んでいて、ちょっと期待してしまう。少し待ってから入店。
 そこで、3人でテーブルがいっぱいになるほど注文して、とにかく食べまくった。座敷の席だったのだけれど、食べ終わる頃には3人とも無言で座っているだけになってしまうくらいに。
「こんな時間からこんなにおいしいものを食べてしまうなんて、なんだか悪いことをしているみたいだ」というような話にさえなった。
 とてもおいしくて、満足度が高かった。名物の「梅蘭焼きそば」も特徴的な味だったし、エビチリ」を頼もうとしたら店の人に「こっちの方がオススメ」と薦められた「くるまえびのマヨネーズ和え」もとてもおいしかったし。

 夕方には、関内で後輩たちと別れ、映画を観に行ってきた。観たのは『ラブストーリー』という韓国映画。『猟奇的な彼女』の監督の最新作で、観た人たちがみな絶賛していたので興味があったのだ。ある男は「最後の数十分はもうずっと泣いてました」と言い、ある女の子は「最後はもう泣いているというより嗚咽みたいになっちゃいました」と話していた。映画を観て泣くのは気持ちがいいので、それはぜひ観ないとと思ってシネマリンという小さな映画館に行ったのだ。
 結論としては、泣けなかった。たぶん、期待がものすごく強くなってしまっていたのだと思う。泣く気満々で観ていたので、それがいけなかったのだと思う。やっぱり、どんなに期待していても、できるだけニュートラルな心持で観ないとなとあらためて実感させられた。
 現代の娘の片思いが、母親の若い頃の初恋のエピソードと対照的に印象的に重ねられ、最後にはふたつの恋物語がリンクして……というベタな展開がたくさん起こる王道のラブストーリーなのだけれど、後半が少し駆け足だったかなと個人的には思う(すでに観た人はその後半部分の怒涛の展開がもうツボだったらしいのだけれど……)。
 DVDになったら、今度は肩の力を抜いてもう一度見てみたいなと思う。


 映画を観終わった後、伊勢崎町のスターバックスでコーヒーを飲みながら本を100ページほど読んだ。
 そして20時過ぎに部屋に帰ってきて、少し眠って、夜中に起きて、本を読了してからDaysを書いている。
 ということで、いまは5日の4:30頃だ。
 Daysをアップしたら少しだけ眠ろう。


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 お知らせ

『ラブストーリー』のホームページを見ていたら、『猟奇的な彼女2』の企画も進んでいると書かれていました(「彼女」と死んだ恋人とのエピソードらしい)。


2004年02月03日(火) ラーメン

 先日、ようやく社内の試験が終わって、そこはかとない解放感に溢れていたりする。
 数日間、久しぶりに学生の頃の気持ちが思い出された。試験日がせまってくるあのいやな感じのことだ。
 学生時代にはそんな感じを抱きつついつまでも勉強に取り掛からなかったので、ほとんどすべての試験を一夜漬けという華麗かつスペシャルな技で乗り切っていたものだけれど、さすがに社会人になってからの試験はそんなわけにもいかず、それなりに準備をしてはいた(少しは成長しているのだと自分で驚いてしまう)。
 といっても、あくまで社内の試験なのでそんなに難しいものではないし、やるべきところをやっていれば大丈夫ではあるのだけれど(それにもちろん、ペーパーの点数のウェイトはそれほど高くはなく、ある程度以上実際の仕事の上での評価が重要になってくるわけだし)。
 合格していれば給料が上がるので、合格していればいいなあと思う。手ごたえはあるので、たぶん大丈夫だとは思うのだけれど。


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 この間、埼玉にいる同僚と一緒に夜ご飯を食べた。一緒に食事をとるのは1年ぶりくらいで、駅ビルの中にある中華料理店に入っていろいろなことを話した。帰り際、駅のホームで別れるときに「変わってないよな」というようなことを言われた。それは考えの方向性の部分を指しているのだけれど、確かに変わらない部分はあるのだろうなとは思った。根拠もなく前向きなところとか。根拠もなく頑張れると思っているところとか。根拠はたぶんあとからついてくるのだろうと、これもまた根拠もなく思っているところとか。うーん。


 今日は後輩2人と一緒に「むつみ屋」でラーメンを食べる。
 北海道の田舎の小さな町からはじまり、いまでは九州にまで店舗を広げるチェーン店だ。
 関東で北海道ラーメンを食べられる店は少ないので、特に麺の感じを懐かしく思う。まあ、お正月に帰省したときにも北海道のラーメンは食べているのだけれど、いま住んでいる横浜はとりあえず「しょうゆとんこつ(=家系)」となってしまうので、横浜で食べるみそラーメンは結構新鮮だった。


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 お知らせ

 明日は休日で別の後輩と遊びにいくのです。10時集合。


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