Sun Set Days
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この間人と話していて、晩酌をするかどうかという話題になった。 意外と晩酌をしている人の数は多く、毎日ではなくても家に酒が常備されている人の数は思いがけず多かった。 さらに、そのうちの何人かは夜ご飯を食べなくて、いわゆるつまみとお酒という組み合わせが夜ご飯のかわりになっていた。 夜はそれで充分なのだそうだ。 元上司なんかは、休日に朝からビールを飲むのが楽しみだということを言ってさえいた(まあそれだと晩酌じゃあないけれど)。
個人的にはお酒が苦手なので(というかどの辺がおいしいのかがよくわからない)、晩酌をする人たちがそこに感じている愉しみだとか、魅力のようなものはいまいち理解できなかったりする。けれど、仕事が終わって部屋に帰ってきて飲む一杯というのは、確かに魅力的なものなのだろうなと頭ではわかる。僕もビールの最初の一杯だけは(主に喉ごしが)いいと思うし。
ちなみに、僕の部屋の冷蔵庫の中にはこの1年一度もアルコールが入らなかった。お茶とか、午後の紅茶とか、牛乳とかは何度も入っては出て行ったけれど、ビールやワインや酎ハイなんかは結局一度も入らなかった。つまり、まあ、冷蔵庫的にはまだまだコドモだということだ。大切な冷蔵庫の不良化を避けるためにも、今年も頑張ってアルコールを入れないようにしよう(?)。
でもまあ、年をとるにしたがって少しずつ味覚も変わってきているように思うのだけれど、こればっかりは体質的なものなので得意にはならないのだろうなと思う。
いままでの人生で、「お酒が飲めないなんて人生の楽しみの半分を知らないようなものだ」というようなことを5回以上言われたことがある。その言葉をそれぞれ違う場所で、異なる人から言われるたびに、心の中で思わず(出た!)と思ってしまう。もちろんだからと言って別に嫌な気分にもならないし、この人はお酒が好きなんだなと思うだけなのだけれど、それでも不思議とそれぞれの場所で、そんなふうに言われることがあったのだ。お酒が飲めない人の中には、同じような台詞を言われたことがある人ってきっと多いと思う。
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お知らせ
家庭用のシュレッダーが欲しいなと思う今日この頃です。
雑誌なんかを読んでいると、今年はFOMAが大きく成長すると言われているのだそうだ。 特に、2月から発売される900iシリーズは、JAVA機能の向上やムーバ並みの通話時間、メガピクセルのカメラ付などなど、押さえるべきところをしっかりと押さえた作りで、爆発的に売れるのではないかと囁かれているみたいだ。 さらにたくさんの雑誌では、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーまで携帯電話でできてしまうと書いていたし。
もちろん、携帯電話でドラゴンクエストをするなんてバッテリーが途方もないことになるよなと思うのだけれど、それでもたとえば電車通勤や通学をしている人で、「電車内でゲームボーイアドバンスをするのはちょっと……」というような人も、携帯電話でドラクエなら暇つぶしにもいいかなとか思ってしまえそうで不思議な気がする。もちろん、他にも過去のゲーム機で人気を博したゲームなんかはどんどん移植されるだろうから、選択肢は広がるし、そういうのって確かにちょっとした隙間の時間を埋めてくれるのだろうなとも思う。
さて。 どうしてこんなことを書いているのかと言うと、いま持っている携帯のバッテリーが最近とても弱まっているように思えるからなのだ。僕は基本的に「人間の欲で何が一番強い?」と訊ねられたら、地面に膝をついて「……物欲です」と答えてしまうタイプなので、そういったきっかけから「買い替え」という単語がもくもくと真夏の入道雲のように現れてきてしまうのだ。うーん。
ちなみに、いま使っている携帯電話はP504というやつで、2002年の6月23日に購入している(こういうときにDaysは便利だ。日にちやそのときの出来事のことまで思い返すことができるのだから)。インターネットで調べると、平均買い替え期間は約2年とのことなので、それよりはちょっと早いけれど、それでもまあ普通に使っている方だと思う(ちなみに、そのときにはこれからいろいろカスタマイズしていこうとか書いているのだけれど、1年半と少し経ったいまでも実際には全然大して使いこなしていない。基本的に、豊富な機能を使おうというよりは、ベーシックな機能だけで充分満足してしまうのだ)。
その、発売したばかりの時期に購入したP504もいまでは随分と時代遅れの機種となり、最近はすっかり当たり前の機能となっているカメラもついていない。 もちろん、デジタルカメラをカバンの中に入れて持ち歩いているし、携帯電話のカメラってそんなに使うのかな? といまだに疑問を抱いていたりするので、カメラの有無は別に決定的な要素にはならないのだけれど、それでも正直なところちょっと後ろ髪を引かれたりするところはある。
しかも、同じ流れを汲むP900iでは、P504iで最も気に入っている機能のワンプッシュボタンが復活しているし……
とまあ、気がつくと「買い替え」の方になびかせようとしているもう一人の人格のようなものがいるみたいで、「はっ!」と我に返ったりするのだけれど。あぶないあぶない……
でもまあ、SO900iがまだ発表されていないので、様子見かなあとも思う。 とりあえず、電話番号が変更になるのは面倒なので、よっぽどなことがない限りdocomoからは変更しないとは思うのだけれど。
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お知らせ
と言いつつ、auのINFOBARが出たときには、しばしの間「電話番号が変わってもいいかも……」と考え込んだりしたのですけど。
| 2004年01月28日(水) |
1泊2日+『一勝九敗』 |
27日から1泊2日で、千葉の某都市へ研修に行ってきた。朝が早いこともあって、前泊で。 27日には横浜で別の研修を受けていて、それが17時くらいに終わって、電車に乗り込んだ。睡眠不足は相変わらず続いていて、運よく座席に座ることができたので、イヤホンを耳につけて音楽を聴きながらすぐに眠りに落ちてしまった。 身体は時々とても便利にできているものだと思うのだけれど、乗り換えの駅のひとつ前の駅で目を覚まし、それから電車を乗り換える。いままで合わせても10回は乗っていない路線で、なんだか新鮮な感じがする。世の中にはたくさんの駅があって、その多くは代わり映えがしない同じようなものなのだけれど、それでも同じ駅は二つとない。それぞれの駅を利用している人たちも別の人たちで、そしてそのたくさんの人たちにそれぞれの日々があり、家族があり、友人がいる。そんなことをぼんやりと考えると、あまりにも途方もなくて驚いてしまう。世界は広いと、よく言われることを考えてみる。関東の、それぞれの駅でさえそんなことを実感してしまうのだ。他の国のことまで考えたら、もうきりがないし本当に果てがない。 けれども、すべては、一人一人の日々や時間の集積からなっているのだと思う。一人一人の日々が何億もあって、それが世界のある部分を彩っている。世界は広いけれど、手が届く範囲はとても狭い。でもそういうもので、自分の周囲の時間を大切にしながら、ときどき世界の広さのことを考えるくらいでちょうどいいのだろうなということを考える。特に意味はなく、ぼんやりと、まだ眠気の残る頭の中で。
目的の駅に着いて、ビジネスホテルにチェックインをする。そこは数年前にも出張で訪れた街で、そのときには半月ほど滞在していたのだった。 数年ぶりでも基本的な通りは変わってはいないので、すぐにホテルを見つけることもできた。 かつて見た街の様子に、懐かしさを覚える。たくさんの人が歩いていて、たくさんのネオンが輝いている。 同じ研修を受けることになっていた別の店舗の後輩と連絡を取り合って、合流しだい一緒にご飯を食べようということになる。 その後輩が到着するのは22時頃になりそうだったので、それまでホテルの部屋で翌日に行われるちょっとした試験の勉強をする。 全然たいしたものでもないのだけれど、会社の研修のたびにちょっとした試験があるのだ。 それから近くのコンビニで買った雑誌(新しい携帯電話とかパソコンとか、DVDプレイヤーとかばかりが載っているようなやつ)をぱらぱらとめくり、音楽を聴いていた。iPodはそういうときにもとても便利だ。たくさんの曲を、曲名順にランダムにかける。 22時少し過ぎに、ようやく到着した後輩から電話がかかってきて、合流する。 駅前を少し歩いて、最近本当に多くなっている個室系の、創作和食の居酒屋に入る。薄暗い店内は間接照明で照らされ、メニューや店内の壁には筆で書いたような読みにくい文字が躍っている。 おでんが売りになっている店で、それを食べる。 そして、0時くらいまでいろいろと話していた。睡眠不足が続いていたので、お酒は最初から飲まなかった。だいたいいつもは一杯だけビールを飲むのだけれど、最初からソフトドリンクにした。2ヶ月ぶりくらいに会った後輩はビールを飲んで、それからいろいろな話をした。
店を出て、ホテルに戻る途中にコンビニに寄った。翌朝のパンと飲み物を買う。 後輩と別れ、ホテルの部屋に入って、それから30分後くらいに眠った。 翌朝は6時に起きた。
そして28日の夜に、最寄の駅に帰ってきた。駅前のコーヒーショップでコーヒーを買って、それを飲みながらてくてくと歩く。 今週はずっと睡眠不足気味だったのだけれど、眠気は不思議と波のように訪れたり引いたりする。 それでもまあ元気なので、もちろんあんまり無理はしないようにしながら、日々を過ごしていこうとあらためて思う。
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『一勝九敗』読了。柳井正著。新潮社。 「はじめに」の途中にはこう書かれている。
ぼくは現在五十四歳。いままで経営書、企業の成功物語などを数限りなく読んできたが、本を書くのは経営の第一線を引退し、人生を総括するような年齢に達したときで充分であるし、自社の経営そのものに多忙で、そのような余裕もないと思ってきた。(……) しかし、今、会社もぼくも大きな転換期にある。きちんとした形で何かを書き残すとしたら、今しかそのチャンスはないと思い、これまで自分がたどってきた道筋を振り返ってみることにした。 呑気な回顧録にするつもりはない。現場は時々刻々と動いている。やるべきこと、やりたいことはまだまだいっぱいある。振り返っている時間はあまりないのだ。しかし会社経営の原点、会社で働くということの原点は今一度確認し、これからも一緒にやっていく仲間である役員や社員たちとそれを共有したいと思った。この本を出すことにした理由である。(4〜5ページ)
この本は、著者名を見てわかるようにファーストリテイリングの創業者の書いたものだ。数年前にフリースの爆発的なヒットによってユニクロブームを作った経営者が、ブームの終焉後の苦しい状況の中で、転換期と話しながら様々な内容を振り返り語るのだから、かなり興味が惹かれてしまうのも当然だろう。しかも、なんだかんだいっても、ファーストリテイリングは現在進行形の企業であり、著者もまだまだ(社長こそ若手に譲っているが)現役の経営者なのだ。そう考えたときに、このタイミングでこのような本が出版されるということは、やっぱり興味深いことだと思う。
創業時代から、ユニクロがどのように数多くの失敗と、数少ない成功の末に成長してきたのか、そしてその成長の背後にはどのようなビジネス哲学があるのかを歯に衣着せずに率直に語っている。明確なビジョンを持っていることがはっきりと感じられ、ベーシックな原則に忠実でありながら、その具体的な進め方が革新的なところがとても印象的だ。 たとえば、その革新的な部分は、スーパースター店長という制度に象徴的に現れていると思う。具体的には、ユニクロは小売業であり、店舗がお客様に満足してもらう場所ということになる。だからこそその店舗の店長は商人でなければならず、最大限の成果を挙げなければならない。そして、そのような仕事をする者には大胆に裁量を与え、また給与面においても柔軟に対応する必要がある。ということで、店舗の様々な面における裁量を与え、また実績によって年収が300万円にも3000万円にもなりえるという制度を作っているのだ。現場が重要だと説く企業は数多いけれど、そのように実際に待遇面まで含めて明確に打ち出してきている企業は正直なところここだけだと思う。
他にも、日本の年配の熟練技術者を中国の生産工場の技術指導者として常駐させる「匠プロジェクト」なども同様のものだと言えるだろう。SPA的なビジネスモデルの中で、自ら作り上げる商品の品質を高めるために、熟練の技術者を配置する。自己実現をはかりたい技術者と、実際に有益な指導を受けることのできる現地の工場の双方が満足し、しかもそのような取り組みによって、最終的な目的である品質の維持された商品をお客様に提供し、喜んでもらうことができる。これも品質はより高くしかしより安くといった基本的な内容を実現するための革新的案手法のひとつだと言えるだろう。
先月は既存店が盛り返してきたという記事があったけれど、なんだかんだで多大な利益が出ているし、柔軟性もあり強い企業なのだとは思う。しかもリアルタイムで動き続けている企業でもあって、やっぱり今後のファーストリテイリングがどうなっていくのかは気になってしまう。
いくつかの部分を引用。
ユニクロの至上命題は、常に低価格高品質を自社の力によって極め、実現することだ。(101ページ)
当社の店長とは、知識労働者だと考えている。店長を「店舗という場所で、自分たちの力で付加価値をつけていく人」と定義(134ページ)
小売業の場合とくに顕著だと思うが、お客様や周りの環境に対してどうしても受身になってしまい、攻めようとしない。店を開く前はあれこれ考えるが、開いたらそれでお終い。黙ってお客様を待っていたら、売れない店は絶対に売れない。店の態勢を抜本的に変えようとしなければ売れる店には変身しない。(208ページ)
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お知らせ
『A Scenery Like Me』が楽しみな今日この頃です。
いまは午前1時過ぎで、さっき帰ってきた。 今日は仕事が終了した後、25人ほどの飲み会だった。 ここ2日程生活リズムが狂っていて3時間ずつくらいしか眠っていなかったのだけれど、そのせいか空腹で一杯だけ飲んだビールにかなり酔っ払ってしまった。なんだか、ろれつが回らない感じで、「珍しいですね」と言われる。 やっぱり、なんだかんだいっても、なれないお酒を飲むときにはそのときの体調なんかが如実に現れるのだなと改めて実感する。 睡眠をもう少しとらないとなーと。 昨日も今日も、なんだかんだで午前8時から22時過ぎまでは働いていたのだけれど、働いている間は眠気を感じなくて、ただ、お酒を飲んだらなんだかいつもとはちょっと違う感じなのだ。それで妙にクリアにやっぱり身体は疲れているのだなと実感してしまい、すぐにソフトドリンクを多く飲むようにしたのだけれど。 明日は研修を受けに行くので普段より早く起きなければならないので、そろそろ眠ろう。
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お知らせ
テレビではボローニャ対パルマの試合をやっていて、いまは同点で、結果が非常に気になるのですが、眠ります。
| 2004年01月23日(金) |
『サービスの教科書』 |
『サービスの教科書』読了。高萩徳宗著。アスカ出版社。
Amazon.co.jpの本のページで紹介されていて、面白いかもしれないと思って購入し、読んでみた。実際、読み終わってさっきページを見てみたら1時間ごとに更新のベストセラーで第2位になっていた(本のトップページで紹介される露出度はやはり重要なのかもしれない)。 そのAmazonのサイトでは、
「接客」と「サービス」の違い、サービスのセンスを磨く方法、クレームの対処法など、サービスの基本をわかりやすく解説した『サービスの教科書』。イライラしている店員や、特定顧客への過剰奉仕といった、客足が遠のく事例や、感動を呼ぶサービス実例など多数紹介。
と紹介されている。 確かに紹介されている通り非常にわかりやすく読みやすく書かれていて、あっという間に読むことができてしまう。 内容としては、多くの人々がサービスの意味を履き違えているということを繰り返し、本当の意味でのサービスを提供することの重要性を伝えているというもの。 それなので、「全てのお客様に誠心誠意」や「サービスはタダ」という思い込みは間違っており、「できることと、やらないことを明確に伝え、期待に近いものを提案する。接点が見出せなければサービス提供を断る」といった「売れるサービス」が重要であると説明されている。他にも、わかりやすいところで言えば体育会系の大きな「いらっしゃいませ」は自己満足に過ぎないなどと書かれている(そうではなく、お客様の方を見て笑顔でいらっしゃいませということの方が大切)。
読んでいると妥当性のある話が多数書かれていて、納得しながら読んでいくことができる。もちろん、だからと言ってそこに書いてあることをすぐに実行しようというようにはならないのだけれど、ただ、本当のサービスというのは何なのだろうと考える一助にはなると思う。感動体験を与えるようなサービスを行うことが重要だと書かれてもいるのだけれど、それだってもちろんそういった姿勢を持つことは重要なことであるけれど、現実にはすべての業種や企業で実行することは難しいし(たとえば、マクドナルドの店頭で感動するようなサービスを常に行うことができるのか? と考えてみればわかると思う)。 ただ、サービスについて考えていくうえで、参考になる部分は多かった。 特に印象に残ったのは、「動機と意図をつかめば、提案が変わる」というもので、「お客様の話を聞き取れて、購買の意図が把握できると、提案自体が変わります。」という部分。確かに、同じ商品を購入しようとしているお客様であっても、その背景はそれぞれ異なり、何のためにその商品を必要としているのかという目的を知ることによって、提案が大きく異なってくる可能性が高い。そんなことは読んでいると当たり前のことなのだけれど、日々の仕事の中で、お客様の「目的」ということについてどれだけ留意しているのかと考えてみると、その見過ごされがちな重要性が見えてくると思う。 また、よりよいサービスを提供するためには、それに従事するスタッフの幸せや自主性が重要であるとも触れていて、それについても納得することができる。
ただし、日経MJを読んでいてもよく個店のちょっとしたサービスの工夫の記事が載っていて、それはなるほどなと思うのだけれど、ある程度店数のある企業であるとしたら、効率化や仕組みづくりの中でそれをうまく活かすための方法としてはどのような形になってくるのだろう? とやっぱり繰り返し考えてしまうのだけれど。
もちろん、本書の「サービスセンスの育て方」という部分に書かれているように、
・相手が今、何を考えているか、どうして欲しいと思っているか ・何に困っているように見えるか ・自分がどんなアクションを起こしたら、相手に喜んでもらえるか
ということをベースに考えていくだけなのだとは思うのだけれど。
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お知らせ
今回の休みは基本的にはのんびりと部屋にこもって、それはかなり愉しかったのでした(久しぶりにいろいろ暗記もしましたけど)。
| 2004年01月22日(木) |
No Tears On My Pillow |
iTunesで昔のCDなどをランダムに取り込んでいて、取り込んだいくつもの曲をランダムに再生している。 そうしていると、前奏で思わず手を止めてしまうような曲がいくつかあって、それはやっぱり昔好きだった曲なのだけれど、なんだかんだでもうしばらくの間聴いていなかった曲であることが多い。 iTunesを使用していると、そういった(自分にとっての)過去の名曲を振り返ることができるので、ある種自分の音楽の棚卸をしているような気分になる。 そして、気に入った(気に入っていた)曲はマイレート機能を使って0から5までの★マークをつけることができる。その星の数も、ライブラリの楽曲を個別に束ねるときに結構役立つし、そもそも自分の好きな曲にマークを付けていくという作業はただ単純に楽しかったりもする。
ちなみに、今日かかった曲の中で一番心惹かれたのはMYAの「No Tears On My Pillow」。前奏でノックアウトされてしまう美しい曲。 Backstreet Boysもなんだかんだでよい曲を歌っているのだなとあらためて思ってみたり。
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お知らせ
よい曲が多くて嬉しいのです。
| 2004年01月21日(水) |
『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』+『博士の愛した数式』 |
まずは、20日に読んだ本から。
『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』読了。鈴木敏仁著。商業界。 これは、アメリカ在住の著者がウォルマートの強さの本質を人と企業文化にあると喝破し、それに焦点を当てて書いた本だ。その企業文化とはお客第一主義とでも言うことのできるものであり、そのために行っている様々な具体的事例を説明している。たとえば、特売ではなく毎日同じ安い価格で商品を提供することであるEDLPも、お客第一主義を進めたがために必然的に行き着いた方策なのだということになる。つまり、物流コストを抑えたり、ベンダーとのコラボレーション型取引を行うことによって原価を押し下げ、その分店頭での価格を下げていくことを繰り返し続けているというのも、お客はいつだってより安く商品を買いたがっているというお客第一主義に基づいているということになるのだ。
本書では、ウォルマートの歴史や成り立ちについてはほとんど語られず、強い人と企業文化がどのようなものであり、それによって現在何がなされ、これからさらに何がなされようとしているのかといったことが説明されている。また、流通業の専門用語も結構頻発しているので、ある程度業界用語等に詳しく、ウォルマートの概略をわかっている人の方がより理解しやすいということができるのかもしれない。 そして、それらの条件を満たしているのであれば様々なデータなどが掲載され、具体的な記述が多く、読み応えは充分と言うことができる。ウォルマート関連の本を数冊読んで同じような内容のものが多いなと感じている方にはお勧め。
本書を読んで感じたのは、やはり企業文化の重要性だ。創業者の掲げたビジョンを、後継者たちがかたくなに守ろうとし続けること。よい意味での社風のようなものが従業員たちに共有され、浸透していること。自分たちが何のために仕事をしているのかをしっかりとわかっていること。それらのことがやはり非常に重要なのだと改めて考えさせられた。企業が成長し、大きくなっていく中で、そのようなものは徐々に薄まっていき、大企業病であるとか、セクト主義のようなものがはびこり始める。企業がまだ小さかったうちはトップの顔が見えるし、その言葉も直接響くけれど、徐々にトップの顔が見えなくなり、目指すべき方向がぶれてくる。そういったことはどこの企業でも起こりえることだ。だからこそそれを避けるために、たとえばウォルマートでは幹部を毎週本部に集め会議を開くのだし、衛星放送網を活用して店舗に様々な声を投げかけ続ける。また、幹部が週に数回現場を必ず訪れることを奨励している。そのようなことの地道な積み重ねでしか企業文化の熟成はなされないのだろう。
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次に、21日に読んだ本を。
『博士の愛した数式』読了。小川洋子著。新潮社。 帯にはこう書かれている。
世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した―― 記憶力を失った天才科学者、と私、 阪神タイガースファンの10歳の息子
この帯に興味を惹かれて書店でぱらぱらと読んで、部屋に帰ってからAmazon.co.jpで注文した。それが届いて、さっそく読んでみた。 面白かった。淡々と進む物語は、去り行く人との思い出を丁寧に描き出していて、空気の匂いのようなものを形にしていた。この、空気の匂いのようなものを正しい重さで描き出すというのはきっと難しいことで、だからこそ印象的な物語になるのかもしれない。 事故による後遺症で記憶が80分しか持たない天才数学者と、その博士の家の家政婦をすることになったシングルマザーの「私」。博士は自分の服にたくさんのメモをクリップで留めている。《僕の記憶は80分しかもたない》、《新しい家政婦さん と、その息子10歳√》などだ。80分ごとに記憶を失ってしまうために、自らの置かれた状況を確認し把握するためにそうしているのだ。だから「私」は、毎日仕事場を訪れるたびに、はじめてであったかのように挨拶を交わすところからはじめなければならない。博士は、自らの病気のことを自覚していて、だからこそ人とうまくコミュニケーションをとることができず、握手や挨拶のかわりに数字の話をする。たとえば誕生日を訊いてその数字(220)と他のもう一つの数字(284)が示す関係の意味を説明したりするのだ。「私」は博士が数字について話してくれるのを興味深く聞いている。 やがて、博士は「私」に10歳の息子がいることを知り、子供は一人でいてはだめだと半ば強引に家政婦の仕事をしているときに息子を一緒にいさせるようにする。博士は息子を頭の形が似ていることから「√」と呼び、とても可愛がる。 物語は、その三人のふれあいを描いている。外の世界についてはほとんど書かれず、博士と私とルートの三人の世界が中心となる。その世界ではゆっくりと時間が流れ、世界のすべては博士の語る数字によって独特の秩序と平穏とを与えられる。 淡々とした物語なのだけれど、読んでいると博士のリズムに影響を受けてしまう。失われる予感が雨をたっぷり含んでいまにも振り出しそうな雨雲のように満ちていて、だからこそ穏やかな時間の流れの中に異なる影を見てしまう。けれどもこの物語の中では、せつなさでさえ正しい重さで、それこそ直線のようにまっすぐと伸びていくのだ。 穏やかでも力強く、読み応えのある物語だ。
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先週の土曜日は、仕事が終わった後15人で飲みに行った。 その日は雪が降っていて、北海道基準で言うと全然普通の雪だったのだけれど、何人かは「このままじゃ電車が止まるかもしれないね」という話をしていた。 関東の電車は、本当に驚いてしまうくらいの雪でも止まってしまうのだ。 飲み会が終わって、0時くらいの電車を駅のホームで待っている間にもまだ少しの雪が降っていた。散るように降るわずかな雪。 僕にとってのこの冬最初の雪だったのだけれど、深夜の駅のホームから見る雪は、電灯の明かりの色に溶けてとても印象的に見えた。 雪は積もることもなく、次の日にはその痕跡すら残ってはいなかったけれど、とりあえず今年の冬も雪を見ることはできたのだとぼんやりと思った(まあ、今年は実家に帰っているので関東でもということになるけれど)。
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お知らせ
自分のことながら、休みになると、夜更かしになるのは困りものです。
| 2004年01月19日(月) |
『ミスティック・リバー』+『タイムライン』+横浜大世界 |
今日から5日間の冬休み。僕の勤めている会社では、仕事柄土日祭日に働いていることもあって、夏と冬にある程度まとまった休日をとることができるのだ。 そして、前回の夏休みには旅行に出掛けたのだけれど、今回の冬休みはずっと部屋にいる予定。というのも、来月に社内の試験を受けるので、その勉強をするのにちょうどよいのだ。もちろん、日々少しずつ勉強をして冬休みには旅行にというプランもないわけではなかったのだけれど、なんだかんだで日々慌しくて、結局冬休みにまとめて勉強しようということになってしまった。
けれども、まったく勉強だけではせっかくの冬休みがちょっと残念な感じでもあるということで、今日は後輩と一緒に映画を観に出掛けてきた。朝9時過ぎに待ち合わせ、それから出発。冬休みなのに6時30分に起きてしまい、身体に染み付いた習慣にやれやれと思う。最近では、目覚ましがなくてもこの時間に起きてしまう日さえあるのだ。
映画は2本続けて観た。『ミスティック・リバー』と『タイムライン』。どちらも面白かった。ただし、その面白さの種類がそれぞれの作品でまったく異なるのだけれど。 『ミスティック・リバー』はちょっとしたボタンのかけ違いがあまりにも重いずれとなってしまったリアリティのある物語で、『タイムライン』はいかにもハリウッド風のベタな展開の(けれども面白い)娯楽大作。ということで、観た順番もちょうどよかったかもしれない。
『ミスティック・リバー』はクリント・イーストウッド監督、ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコンが共演しているというだけで、もうその質の高さのようなものが伺えてしまうような作品だ。子供時代の友人たちに起こったある事件が、数十年後の中年になったかつての少年たちに色濃い影を落としてくる。どこにでもあるような小さな町でも日々様々な事件が起こっていて、それらの町に生きる人たちもみな傷のようなものを抱えていて、それでも時間は等しく流れて行く。川の水の流れも止まることがない。見終わった後に、そんな「現実」ということを考えさせられる作品。
『タイムライン』はマイケル・クライトン(『ジュラシック・パーク』などの原作者)の小説の映画化。人間をFAXのように量子的に分解して過去に飛ばすことのできる機械で、百年戦争当時のフランスの小さな町に行く冒険譚。すでに見ていた別の後輩が「オチがわかっちゃったところが残念」と話していて、確かにオチは全然途中でもわかってしまうのだけれど、見所が盛り沢山で愉しむことができた。
予告編では、『ロード・オブ・ザ・リング』に少し泣きそうになってしまう。かなり劇的な完結編になりそうだ。
映画を観終わった後、中華街へ。昨年オープンした「横浜大世界」に入る。 ここは、いわゆる中華料理のテーマパークで、ラーメン博物館やカレーミュージアムの中華料理版と言えばわかりやすいかもしれない。小さなビルの様々な階に、中華料理の有名店や日本初出店の店が揃っているのだ。 まず入場料を払う。500円……。ちょっと高い。ラーメン博物館でも350円なのにと思いつつ払う。 それからエレベーターで最上階の8階までまず強制的に上がらされ、そこで1920年代の上海の映像を見たり、京劇の西遊記のショーを見たりして飲食店が並んでいるフロアへ。各フロアはオープンフードコート形式で、それぞれの店で頼んだものをフロアの各所に点在しているテーブルと椅子で食べるといったもの。 お腹が減っていたしちょっとずついろいろ食べたいということもあって結構食べたのだけれど、結論としては飲茶関係は美味しいけれど、それ以外は……という感じだった。特にご飯ものとラーメンはあんまり……(ファストフード的な感じが強かったのだ)。ただ、小籠包や蒸し焼き蟹まんじゅうはとても美味しかった。あと、最後のデザートとして食べたソフトクリームも。
それから中華街を少し歩き、途中道路沿いで蒸している豚まんを買って、それを食べながらさらに歩いた。平日だというのにたくさんの人が歩いていて、なんだかんだ言っても多くの人が訪れているのだなと思っていた。
そして元町へ。新聞で新しい街づくりを進めてきた元町商店街の1期工事が完成し、18日に「まちびらきオープニング式典」があったというのを読んでいたので、せっかくだから見に行こうということになったのだ。 実際にはまだ1期工事ということもあるのだろうけど、何か別に特別な感じではなかった。主な変更点も商店街のそれぞれの方向の入り口につけられた大きなアーチ以外にはなかなかわからなかったし(実際には、元町の歴史を載せたパネルが用意されていたり、道路の段差をなくしたり、街灯の照明も工夫しているのだという)。 タワーレコードを覗き、最後にはスターバックスでコーヒーを飲んだ。 2月1日に開業する予定の地下鉄みなとみらい線の元町中華街駅は入り口がシャッターで閉ざされていて、不思議な感じはしたけれど。
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お知らせ
横浜大世界のホームページは、こちらです。
http://www.daska.jp/top.html
『GO』読了。金城一紀著。講談社文庫。
ずっとそのうち読もうと思っていた本で、先日買い物に行ったときに文庫本が目に入ってそのまま手に取った。 裏側の紹介部分にはこう書かれている。
僕は何者? 日本で生まれ、日本で育ったけれど、僕は《在日》と呼ばれる。元ボクサーのオヤジに鍛えられ、これまで喧嘩二十三戦無敗。ある日僕は恋に落ちた。彼女はムチャクチャ可愛らしい《日本人》だった――。軽快なテンポとさわやかな筆致で差別や国境を一蹴する、感動の青春恋愛小説。直木賞受賞作。
窪塚洋介と柴咲コウ出演で映画化もされているので、主人公のイメージを二人に当てはめて読んでしまっていた。他にも、親父が山崎努で、母親が大竹しのぶというように。しかも、映画もまだ見ていないので、なんだか勝手に当てはめてしまっているみたいでなんだか妙な感じだった(ただ、桜井と柴咲がうまく当てはまらなかったのだけれど。映画ではどうなのだろう?)。
それにしても、大体こういう話なのだろうという思い込みや先入観のようなものは、実際手に触れてみると結構異なっていることが多かったりするのだなとあらためて思った。僕はこの小説の大まかなストーリーや、映画化の際の断片的な紹介(あるいは映画版のポスターなど)で、なんとなくイメージのようなものを抱いてはいた。けれども、読んでみると大筋はあっているにしても、細部から受ける印象はやっぱり随分と異なっていたし、そもそも僕は主人公が途中からボクサーを目指すようになる話だと勝手に思い込んでいたのだ。 それでも、当初の予想と異なっていてそれがいい意味で期待を裏切られるような場合にはやっぱりうれしいと思う。なんとなくこういう話なのだろうなと思って、その予想の範疇を超えてしまわないような物語だった場合には、やっぱり哀しいものがあるし。いい意味での裏切りや、ひっかかりのようなものはやっぱりあってほしいと思ってしまうし。 最初に挙げた紹介文に書かれている通り軽妙なテンポで進む語りは読んでいて小気味よかったし、物語も、湖面の薄氷の上をぴょんぴょんとジャンプするようなところはあっても随分とストレートな青春恋愛小説で、ひさしぶりにこういう小説を読んだという感じだった。主人公にある種の悩みなりアキレス腱なり克服するべき何か(それは倒すべき敵というように明確であったり、霧みたいに周囲をただ漂っているだけのこともある)があって、ボーイ・ミーツ・ガールのお約束があって、季節はめぐり、様々な出来事を通じて成長していくというような。 いわゆる青春小説や恋愛小説の多くにそういった構成なり様式があって、そのある種のパターンの中に様々なバリエーションがそれこそ無数にある。それをワンパターンと呼ぶ人もいるかもしれないけれど、そう新奇な物語なんてないし(あったとしてもそんなに魅力的なものとは思えないかもしれない)、結局はそのようなパターンの中でどれだけ魅力的な組み合わせを見せることができるのかということが大切なことだとも思うのだ。 それに、誰もが青春時代のようなものを送って成長してきているのだろうから、そこに共感することができる何かがあるのだろうし。
今度映画版も見てみたいなと思う。
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今日は1週間ぶりの休日で、久しぶりにゆっくりと眠った。といっても、眠りについたのがまたもや夜更かしをしてしまい午前3時30分くらいで、起きたのが午前11時過ぎだったので、時間としてはそうでもないのだけれど。 けれども、気持ち的にはとてものんびりと穏やかで、とりあえずぼんやりとねぼけたまま電子レンジで牛乳を温めて飲んだ。 そして、音楽を聴きながら本を読んで、ゆっくりと過ごしていた。
今週は月曜日にファミリーレストランで後輩のレポートに付き合ったのを皮切りに、火曜日しゃぶしゃぶ、水曜日回転寿司、木曜日夢庵(スカイラーク系列の和食のファミリーレストラン)と外食ばっかりで、部屋に帰ってくるのがいつも遅かった。けれども出勤日は6時30分に起きることにしているので、結果として睡眠時間が短くなってしまっていたのだ。睡眠不足はいつものごとく気合で乗り切るのだけれど(なんでも気合で乗り切ろうとするのは悪い癖だと思う)、それでも今度の休みには部屋から出ないで好きなことをするぞと思っていたのだ。
ということで、上に書いたとおり、音楽を聴きながら本を読んで、自分でも小説を書いて、ときどき紅茶(ネプチューン)を飲んだりおーいお茶を飲んだりしていたのだ。
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お知らせ
iTunesでいろいろ曲をランダムで聴いているときに、好きな曲がかかるとラジオのリクエストで曲をかけてもらったみたいになんだかうれしくなるのです。
いまは、14日の午前1時20分過ぎ。 30分程前に帰ってきた。 今日は仕事が終わった後、6人でしゃぶしゃぶの食い放題を食べに行ってきたのだ。 奥さんが実家に帰省していて久しぶりにみんなとの食事に来ることが出来たメンバーもいて、閉店までずっと喋っていた。あまりにもみんなで食べ過ぎて、しゃぶしゃぶの醍醐味のひとつの雑炊を食べることができなかったくらい。 おいしかったけれど、かなりお腹いっぱい……
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お知らせ
しゃぶしゃぶを食べたのって、かなり久しぶりです。
今日は仕事帰りに、いよいよ社内の試験が近づいてきた後輩に頼まれて、ファミリーレストランでレポートの添削(?)のようなことをしてきた。夜ご飯を食べてから、ノートを広げて、後輩が書いたレポートの文章を読んだ。気分はなんだか赤ペン先生のような感じだった。 合格すればいいのに。帰り道を送ってもらいながらぼんやりとそう思っていた。 合格したら、嬉しいのになと。
今日は久しぶりに雨が降って、1月中旬でも雪ではなく雨が降るのだということに改めて驚いた。考えてみれば、この冬はまだ自分の目で横浜に降る雪を見てはいないし、はたして見るのだろうか? とさえ思う。ただ随分と冷え込みだけは厳しくなってきていて、吐く息も随分と白い。 雪が降らなくても冬は真冬へと少しずつ移行しつつあるのだ。
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お知らせ
3連休は忙しかったのでした。
| 2004年01月09日(金) |
『文体とパスの精度』 |
『文体とパスの精度』読了。村上龍×中田英寿著。集英社。 中田のボローニャ移籍のニュースをきっかけに、以前に購入して読んでいなかったこの本を引っ張り出してきて読んだ。1997年から2002年までの対談集なのでいまから考えると結構前の話になっているのだけれど、興味深く読むことができた。
章立ては以下の通り。
第1章 アルゼンチン相手に守備的に戦っても自分の力は試せない 1997年12月4日/マルセイユにて 第2章 ヒデは自分が天才だと思う? 1999年8月29日/ペルージャにて 第3章 これまでも、順風満帆なときなどなかった 2000年12月18日/ローマにて 第4章 日韓ワールドカップに向けて 2002年4月9日/パルマにて あとがきに代えて『文体とパスの精度』 2002年4月12日/ミラノにて
もちろん、いまではワールドカップはすでに結構前の出来事へと遠ざかり、中田は背番号10だったパルマで出場機会にそれほど恵まれず、試合に出ることを求めて格下のクラブへの期限付き移籍に同意した。移籍初戦は怪我で欠場していたけれど、来週からは新しいチームでの中田を見ることができるようになるだろう(ボローニャの監督はペルージャ時代のマッツォーネなので、本来のポジションで出場することができるかもしれない)。 本書を読んで感じたことは、中田の個人というものに対する意識の高さだ。もともとそういうキャラクターだというイメージがあったけれど、対談やe-mailのやり取りの文章というある程度生に近い言葉や文章に、なおさらそう思えたのだ。実力主義のサッカー界で、しかも世界最高峰のリーグであるセリエAで何チームも渡り歩き活躍し続けているのだからそれはもうすごいと思うのだけれど、どんな場所にいてもどこか冷静で自分を見失わないでいるように見えるのは、やっぱりそれだけの自分なりの哲学のようなものがあるのだなと感じることができた。 それは日本人的な「和」を尊重する気風とは合わなくて、村上龍ともども日本的な体質を否定していたけれど、自らの技術と実力で勝負していかなければならない世界に身をおいているだけあって、説得力のある意見だった。プロとして、努力の過程ではなく、結果を出すことを常に求められているだけに、過程を重視しがちな日本のウェットな部分に違和感を感じているというようなことも書かれていた(もちろん、優れた結果が偶然によって導かれることはそれほど多くはなく、実際には不断の努力によるものであるのは当然のことなのだけれど。だからその努力を前面に見せてそこにスポットライトを当てるようなやり方ではなく、当たり前のことを当たり前のこととして行ってその上でしっかりと結果を出し続けていくということを淡々とこなしているのだと思う。そしてそういったことを当然と考えている人は、ウェットな部分にはやっぱり違和感を感じるのだろう)。
ボローニャでのこれから数ヶ月が、前向きなものになればいいなと思う。
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お知らせ
今日、目の前を歩いていたおじいさんの着ているウインドブレーカーの背中に、「BAD BOY」と書かれていました。 年はとっても、気持ちでは若い者に全然負けていません。
今日は仕事帰りに4人で後輩の車に乗せてもらってラーメンを食べに行ってきた。 九州ラーメンの店。 一人福岡出身の後輩がいて、当たり前のように替え玉を注文していた。 やっぱりラーメンはとんこつだと話していた。 僕もとんこつのねぎラーメン(ねぎが山盛りで入っている)を食べた。 昔はとんこつラーメンは苦手だったのだけれど、いまではおいしいと思って食べている。 子供の頃と比べて好き嫌いが随分減っていると思う。どうしてなのかよく理由はわからないのだけれど、味覚は基本的には同じでも少しずつ変わってきているのかもしれない。 まあもちろん、なんだって少しずつ変わっていくものではあるのだろうけど。
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昨年の末にiPodを購入して、いまでは毎日カバンの中に入れて持ち歩いている。 ずっと欲しくて、けれども我慢していて(以前のDaysに欲しいけど我慢というようなことを書いたような気がする)、結局はその誘惑に屈してしまった。そして、いまでは購入に踏み切ってよかったと思っている。毎日数枚のCDをパソコンのiTunesの中にインポートし、それらの曲をiPodに高速転送している。そして、朝や夜の移動中にその中の曲を聴いているのだ。 購入前にインターネットのいくつかのサイトの感想や解説を眺めたりして、40GBのタイプを購入した。CDはそれなりに持っているので、できるだけ全部入れることができればいいと思ったのだ。
まだ全然すべての機能を使いこなすことはできていないし、本当に一般的な、普通の使い方しかしていないのだけれど、それでも自分の部屋のなかの音楽環境をそのまま外に持ち出すことができるというのは、確かに画期的だと思う。 実際には、移動中に聴くことができる時間が限られていることなどから「My Favorite」的に同じ曲ばかりを繰り返し聴いていたりするのだけれど、気分を変えようと思えば選択肢は豊富にあるのだ。本体のタッチホイールに触れながら、様々なアーティストの、様々なアルバムの、様々な曲を選ぶことができる。それはとても自由度が高く、敷居が低く、便利なことだ。たとえばバスを待っている間に、100枚以上のCDの中から気まぐれに1曲を選ぶ、といったことさえできる。それはとても不思議な感覚で、周囲の世界との間に一瞬透明な壁を作ってしまっているみたいだ。一瞬だけその壁の中で無数の曲の中から1曲を選び、再びその壁を解除して何食わぬ顔をしてバスを待っているというように。
また、iTunesの使い勝手が個人的にはかなり気に入っている。シンプルだし、とてもわかりやすいのだ。特に、インポートした曲のすべてのライブラリの中からランダムに再生する機能が気に入っていて、次にどの曲がくるのか予想できないところが面白く、新鮮だったりする。 いまは音楽データを取り込むためにCDをどんどん引っ張り出しているのだけれど、もう何年も聴いていなかったCDをインポートするたびに、なんとなく懐かしさを感じてしまう。まだ学生の頃、10年位前に買ったアルバムだということを思い出したりしているのだ(中には、どの店で購入したのか覚えているアルバムさえある)。 すべてのCDをインポートするにはまだまだ時間がかかると思うのだけれど、まあ気長にやっていこうと思う。
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お知らせ
いまのところ1099曲を入れていて、それを全部聴くためには3.1日かかるそうです。
| 2004年01月05日(月) |
『ウォルマートの時代』+『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』 |
『ウォルマートの時代』読了。ロバート・スレーター著。日本経済新聞社。 ウォルマートについて書かれた本や雑誌を何冊か読んできたけれど、そのほとんどは創業者であるサム・ウォルトンや、彼の手による成長物語的なものだった。もちろん、サム・ウォルトンなくしてウォルマートを語ることはできないし、どんな意味においてもウォルマートにとって重要な人物であることは疑いない。けれども、サム・ウォルトンが1992年4月5日に亡くなった後も、ウォルマートは驚異的とも言える成長を続け、当時438億ドルだった売上高は2001年には2198億ドルと約5倍にも伸びているのだ。 この本は、原題である『THE WAL-MART DECADE』が示すように、サム・ウォルトン後の10年について書かれたものだ。サム・ウォルトンの後継者となったデビッド・グラスや、その後を継いだ物流出身のリー・スコットが、どのようなビジョンの元に、名実ともに世界一の小売業であり、フォーチュン500の首位でもある巨大企業の舵取りを行っていったのか。その中で得たものと、失ってしまったものは何なのか、ということについて書かれているのだ。
大まかな捉え方で言うのなら、この10年間にウォルマートが成長していったベースには、よく言われるような情報技術への積極的かつ多大な投資があり、フォーマットで言うのなら、ディスカウント・ストアからスーパーセンターへの転換があり、展開で言うのならカナダ、メキシコ、イギリス、そしてアジアへの国際展開があった。それらがウォルマート流の前向きな変化として勢いよく、けれども緻密に着実に進められ、その結果見事に相乗効果を見せてきたのだと言うことができる。 もちろん、成長し肥大化していく中で、必ず生じてくる官僚主義がはびこりはじめ、またメディアからの非難や批判(海外工場からの搾取や、地域経済の破壊、労働組合を結成させないことetc…)はより激しく大規模なものとなっていった。サム・ウォルトンがいた頃のように、ウォルマートが成長はしていてもまだ小さく、また自分たちも田舎の小売業であると言っていればよかった時代とは異なり、現在の経営陣はそれらの降りかかる火の粉(しかも半端ではない)を払いながら進んでいかなければならなかったのだ。
けれども、本書を読んで感じたことは、規模が拡大しても、企業の文化を絶やさずに繰り返し説き続ける必要があるということの重要性だった。もちろん、IT投資や国際展開など具体的な行動や戦略は非常に重要だけれど、企業の中を流れる血液のような、企業文化のようなものをしっかりと維持し続けることが最も重要であり、成長への原動力となるのだ。
ウォルマートの企業文化の根本にあるものは非常にシンプルだ。それは「顧客のためになることをする」というものである。店舗を訪れてくれる客が商品の安さに満足し、愉しい買い物をすることができるためになんでもするということ。ウォールストリートやメディアではなく、顧客の方を向いているのだということ。たったそれだけなのだ。そして、サム・ウォルトンが体現していたその原則が、企業が大きくなっていく中で少しずつベクトルをずらしはじめてしまう。それを絶えずかつてサムが指し示した、死してなお指し示し続けている方向に修正していくのが現経営陣の重要な職務のひとつとなっているのだ。そのためにたとえば、店舗での作業を5日間で集中して教え込んでいた新人研修用プログラムを、作業の習得は徐々にと変更し、最初にウォルマートとは何を目指している企業なのかという企業文化を伝えるように変更するといったアクションがなされている(そうすることによって、現にパートタイマーの90日以内の離職率が減ってきている)。従業員をアソシエートと呼び、親密な帰属意識を持たせることを重要視していたかつてのウォルマートの姿勢を保ち続けようとしているのだ。
本書の中でも、この企業文化の熟成のためになされたことや、その重要性について繰り返し説明されている。様々な企業の中で、言葉は古いかもしれないけれど愛社精神のようなもの、自らの所属する企業に対しての親密感や気持ちの距離が近いと胸を張ることのできる企業はどれほどあるだろう。多かれ少なかれ、従業員が自らの所属する企業を誇りに思っていないということは起こりえる話だ。 そして、そういう従業員ばかりの企業が、これからますます厳しく激しくなる競争時代の荒波をどうやって乗り切っていくことができるのだろう? そういったことを考えると、ウォルマートが具体的かつ先進的な取り組みに力を入れる一方、その類まれな企業文化を保持し維持し続けることに注力する姿にも納得することができる。自分たちが何を目的としている企業なのかというこということを、みながシンプルな形で理解していること。それが浸透し、行動レベルで実施されていること。こうやって書いてしまうと簡単だけれど、それを徹底し実行し続けることは並大抵のことではないし、だからこそウォルマートは一社しかないのだ。
いままでよくわからなかったサム・ウォルトン後の10年について、わかりやすくまとめられている本だった。
印象に残った点をいくつか。
リー・スコットは、ウォールストリートやメディアがウォルマートの業績に興味を示しても、普通の買い物客が感心することはないと言う。「わが社がナンバーワンだからという理由で来店していただいたお客様には、お目にかかったことがありません。お店に来ていただけるのは、お客様に相応の価値を提供しているからなのです」(18ページ)
買い物が負担になってはいけないという考え方を土台に、企業文化全体を築きあげた。 販売員が顧客の手助けに熱意を持てば、そうした企業文化を築きやすくなる。店長と店員が力を合わせて、店内を清潔に保ち、職務を能率よくこなし、顧客サービスに努めれば、気持ちのいい企業文化をつくりだせる。従業員が創造性をフルに発揮し、老若男女の顧客を引きつけ、店内を楽しくぶらついてもらえれば、買い物は冒険ともなり、1時間か2時間の楽しい夕べともなるのだ。(63ページ)
「サムの哲学は実に基本的なものでした」と、デイヴィッド・グラスは言った。「誰かを仕事のパートナーにしたいなら、労使関係を結ぶよりサムのアプローチのほうがいいでしょう。相手を個人として尊重し、正しくてもまちがっていてもその話に絶えず耳を傾け、良い結果も悪い結果も、また利益をも分かちあう、つまり従業員を真のパートナーとすること。それがあらゆる人の望む関係であると、サムは信じていたのです」 三つの文化的礎石――個人を尊重する、顧客に奉仕する、最高を目指す――のうち、最も重要なのは顧客に奉仕することだろう。(76ページ)
「文化を受け入れない人びとには、厳しく対処すべきです。こうした問題を放置してはなりません。店舗にとってもアソシエートにとっても有害です。地区担当マネジャーと地域担当副社長は、こうした問題に積極的に介入し、解決しなければならないのです」(154ページ)
サム・ウォルトンの後継者のほとんどは冷静沈着で穏やかな人物だったが、トム・コフリンはちょっと違った。大柄で精力的なコフリンは、年をとったプロフットボール選手といった感じだった。1979年にウォルマートに入ったときの仕事が警備担当の副社長だったのには、それなりの理由があったわけだ。入社当時、彼の妻はもう一つ気分が浮かなかった。ベントンヴィルを初めて訪れたとき、彼女は夫に、なぜその町で働きたいのかをしつこくたずねた。その日発行された町の週刊新聞の見出しが「ベントンヴィルに初の信号機がおめみえ」だったからだ。また彼女は、サム・ウォルトンがコフリンに午前5時半に会いたいと頼んだと知り、いっそう気を滅入らせた。妻をなだめるため、コフリンは、ウォルマートにいるのは3年だけだと約束した。だが、彼は約束の期間を過ぎても会社を離れず、物事をなしとげる、大胆で強靭な意志を持つ人物という評判をとるようになった。(170ページ)
2002年の中国のウォルマート・ストアは、この会社の最も先進的な部分を活用している。テルソン、リテイル・リンク、ラインラッシャーなどだ。無人レジをテストする実験も進められていた。リテイル・リンクとは、インターネットを利用して毎日更新される情報システムで、納入業者にウォルマートとの取引情報を十分に提供するためのものである。納入業者は注文書を直接ダウンロードできるし、送り状の処理状況をチェックできる。また、ウォルマート各店で前日に売れた商品の量を判断できる。ラインラシャーとは、レジ待ちの行列のスピードアップを図るプログラムで、顧客が列に並んでいる間に、ショッピング・カートの商品を読みとる装置が利用されている。(211ページ)
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今日は休日だった。 11時過ぎに部屋を出て、新聞や雑誌などで見ていて一度行ってみたかった新宿の伊勢丹メンズ館に行ってきた。 これは、百貨店の中ではどちらかと言うと不遇を囲っていた紳士物だけの別館で、昨年の改装以来毎月予算を上回るペースで売り上げを上げているという評判の場所だったのだ。ちょうどバーゲンの時期だったし、会社に持っていくカバンが欲しいなと思っていたので覗いてくることにしたのだ。 実際に行ってみると売れているのはなるほど、という感じの場所だった。 紳士物に一館丸まるつかっている建物はいままでもなかったわけではないけれど、メンズ館が従来の同様の施設と異なるのは、ブランド毎の仕切りもある程度以上取り払ってしまっているところだ。従来であれば、それぞれのブランドが壁で区切られ、テリトリーと化していたものを、平場のような売り場にして、柱などにその周辺においてあるブランドは○○ですよというのがわかるだけにしてあるのだ。そうなっていることによって、客はブランドに囲い込まれることなく、よりスムーズに様々なブランドを見比べていくことができる。従来の売り場が売り手側のスタンスだとしたら、買い手側のスタンスになりつつあるという感じだ(もちろん、完全にというわけではないけれど)。 内装も落ち着いたシンプルな男性向けの感じだし、全館紳士物だけあってショートタイムショッピングもできるだろうから、売れるだろうなというのが印象。 けれども結局何も買わず、そのまま横浜に戻ってくる。 カバンは横浜で買った。茶色の革のカバン。いままで使っていたのがナイロンのものだったので、別の素材の方が新鮮かなと思ったのだ。 新しいカバンを買うと、小学生のときに新学期がはじまるときにノートを新調したときのように、なんだか一新されたような気分になる。別にカバンが変わったからと言って仕事がバリバリはかどるわけではないのだけれど(そういうカバンがあったらいいな……)、それでもなんとなく身の回りのものを新しくしたり、お気に入りのものを持っていたりすると、より頑張ることができるような気がする。 単純だけど。
そして、横浜そごうで開催中の『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』を見てくる。17時くらいに入ったのだけれど、がらがらで、僕の他には60代くらいのご婦人が1人いるだけだった。 はたから見ると、一人で600円払って『「水戸黄門」放送1000回記念特別展』を見ている29歳男って怪しいよな……と思いつつ結構楽しく観ることができた。 実際に収録に使われていた印籠や3人組(黄門様、助さん、格さん)の衣装、風車の弥七の風車(!)なんかが展示されていて、なんだか妙におかしくて熱心に見入ってしまった。これを投げていたのか……と思ってみたり。 また、パネル展のようなものもあって、名シーンを映したものが並べられていたのだけれど、そのパネルのテーマがファンには笑えてしまうものだったのだ。たとえば、1000回の中から「偽黄門様」登場の回をピックアップしたパネルであるとか(こんなにいたのかよとか思いつつ)、弥七の名シーン、お銀の入浴シーン(←本当にこういうテーマのパネルが集められているところがあった)、他にも飛猿の名シーンなどがあった。一番笑ったのが「うっかり八兵衛」の名シーンのパネルで、6枚のパネルのうち2枚のパネルが食べ物を食べているところ……しかも1枚は饅頭を一気に食べて喉を詰まらせているシーンで、これが名シーンなのか……とちょっとだけ八兵衛に同情してみたり。 基本的に展示数が非常に少なく、もっと様々なものを展示してくれればいいのにという感じはあったのだけれど、それでも結構笑えたし懐かしくも思えた。
これは地方によって違うのかもしれないけれど、僕が学生の頃、北海道では夕方17時から1時間水戸黄門や大岡越前などを再放送していて、小学生や中学生の頃に友人と遊んだりしない日には、家でよく見ていたものだった。よくDaysのユーモアでもうっかり八兵衛ネタなどを使うけれど、僕はかなり水戸黄門とかが好きで、かなり見ていたのだ(西村黄門様のイメージが一番強いかもしれない)。もちろん、ビデオに撮って見る程ではないのでいまは見ていないけれど、それでも子供の頃に集中して見ていたあの頃に、自分の中の日本人的なある種の部分は、影響を大きく受けているのだと思う。
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お知らせ
由美かおるが別の役名(疾風のお娟)で、いまもレギュラー出演しているのにはびっくりです(もちろん入浴シーン有で)。
水戸黄門ホームページ
http://www.tbs.co.jp/mito/
| 2004年01月02日(金) |
年末年始+『ローマ人の物語�将供戞棔悒妊侫譴帽遒諜詢繊�人事』+『ジョン・コッターの企業変革ノート』 |
29日(月):仕事(8:00-22:00)。後輩2人とプチ忘年会。年末だからと、普段行かない高めの焼肉屋に行く。3人ともほとんどお酒を飲まなかったのに1人8000円……でもとてもおいしかったのだけれど。
30日(火):仕事(8:00-22:30)。後輩4人(前日とは違うメンバー)とプチ忘年会。普段は行かない関内へ(ホットペッパー持参)。
31日(水):休日。6時起床。やり残した仕事があったので、9時まで会社にいる。それから羽田空港へ。急遽2日まで3連休になり、ラッキーにも航空券が取れて、2泊3日の駆け込み帰省をすることにしたのだ。 新千歳空港に着いて、実家へTEL。親戚の到着が遅れていることを知り、札幌駅近くの映画館蠍座で『シェフと素顔と、おいしい時間』を観る。ジュリエット・ビノシュが年をとったということにしみじみと驚いてしまう(もちろん、いまでもとても魅力的だしきれいなのだけれど、『トリコロール』の頃から10年くらい経っているのだと感じ入ってしまったのだ。自分も年をとったなあとしみじみと思う)。 札幌駅周辺をぐるぐる歩き、それから札幌駅上に出来た大丸とステラプレイスをぐるぐると見学。
今回の連休はあまりにも急な話かつ2日にはすぐ帰ってしまうので、誰にも連絡を取らなかった(みんな忙しいだろうし)。ということで、今回の帰省の目的は姪っ子のみと言っていいくらい。夏に妹の子供が産まれていて、次にいつ帰ることができるのかがわからなかったので、とにかく1歳になる前に一度見ておきたかったのだ。
姪っ子はもう、本当にかわいかった。これまでの人生であまり赤ん坊と関わってこなかったおじさんとしては(おじさんなんだとあらためて思ってみたり)、抱き上げるのもおっかなびっくりで笑われてしまったのだけれど、動作や表情のいちいちがとてもかわいくて(きっと何にも考えていないのだろうけれど)、もうやられてしまったという感じだった。妹の子供でもこんなにかわいいのだから、自分の子供だったらどんな気持ちになるのだろうと思いつつ。 ちょうど人見知りをはじめる直前だったのか、まったくと言っていいほど泣かれず、それもタイミングが良くてラッキーだった。 また、両親がおじいちゃんとおばあちゃんになっていることにも(当たり前のことではあるのだけれど)驚いてしまった。初孫ということもあって、それはもう猫可愛がりなのだ。最高のプレゼントをもらったとでも言わんばかりに嬉しそうな二人を見ていると、なんだかかなり新鮮だった。
妹には姪っ子が産まれてから撮り続けている写真を見せられたのだけれど、すでにアルバム何冊分もあって、違いが全然わからない……親ばかだなあと思う。まあいいのだけれど。もちろん、僕が姪っ子を抱いている写真も撮られる。 大晦日の夜は両親と妹夫婦と祖母と叔母がいて、にぎやかに過ごす。 紅白歌合戦を見たり、ときどきチャンネルを変えてボブ・サップ対曙を見たりして(アメリカ国歌をハーモニカで演奏するスティービー・ワンダーには驚かされた。ジャパン・ツアーからずっと日本にいたんだ……)。 午前2時過ぎに眠る。
翌日は10時起床。お雑煮を食べた後、買い物があったので札幌に出る。最近では1日から開いている店が結構あるのだ。 途中、足を伸ばして大通り公園周辺や狸小路周辺を散歩する。札幌なのだなとあらためて懐かしく思う。 もうこの街を離れて10年以上経つのだと、あらためて思う。 考えてみれば、ここ数年帰省をしたときはいつもなんだか慌しくて、街中をのんびりと散歩するようなことはほとんどなかった。もちろん、いつだって少しは歩いていたけれど、今年はなんだか妙に静かな心持で散歩をしていたのだった。途中、バッグの中に入れていたデジタルカメラで何枚か写真を撮った。元旦の正午過ぎといった時間のせいなのか、大通り公園周辺は驚くくらい閑散としていた。時折観光客めいた人たちが写真を撮っていたり、母親と手を引かれた小さな男の子が通り過ぎていくのを見かけたりしたくらい。なんだか、元旦だけ、別の場所になってしまったみたいだった。
お昼は札幌に来たのだからと「味の時計台」でラーメンを食べて、3時過ぎにはグランドホテル1階にあるスターバックスに入る。そこでカフェモカを飲みながら、音楽を聴きながら、今年の目標を考えていた。仕事や、自分の時間の中で、こうしたいというリストのようなものを。他愛もないことばかりになってしまったのだけれど、まあいいかと思う。それからリストを見直して、頑張ろうと思う。 そして、バッグの中に入れていた本を読んだ。『ローマ人の物語�将供〔汰�する帝国』だ。行きの京急や飛行機内でずっと読んでいた本で、分厚いので読み終わっていなかったのだ。 昨年読み始めてはまってしまったこのシリーズも、ついにリアルタイムの発売に追いついてしまった。あと3冊で全15巻が終了するわけだけれど、3年後にはいったいどこにいることやら。
夜は北海道に帰るのだからとリクエストしていたジンギスカンを食べる。久しぶりのジンギスカンはやっぱりおいしい。 また、普段テレビをほとんどみないのだけれど、今回のお正月はかなり見た。特に過去20年間のヒット100をカウントダウン形式で見せる番組と、「どっちの料理ショー」はおもしろかった。 そして眠る前に『ローマ人の物語』の残り50ページほどを読んで読了。
2日はすでに帰る日。姪っ子を抱きながら、今度会うときにはいったいどんなに成長していることやらと思う。 途中、札幌駅に立ち寄り、大丸に入っているきのとやで職場へのおみやげを購入(白い恋人と六花亭とロイズ以外のものにしようと思っていたのだ)。それから新千歳空港へ。空港ではラーメン道場(北海道各地の名物店5店が一堂に会した一角)に入り、旭川ラーメンの「特一番」のラーメンを食べる。 また、移動時間で2冊本を読み終える。『デフレに克つ給料・人事』蒔田照幸著。文春新書。と、『ジョン・コッターの企業変革ノート』ジョン・P・コッター著。日経BP社。
部屋に帰ってきたのは午後9時少し過ぎ。数日振りの部屋で、自分のために買っておいた「きのとや」のロイヤルホワイトボックスを食べる。かなりおいしくていい感じ。おみやげのスフレも期待ができるかもと思う。
というわけで、全体としては慌しく、部分的には静けさに包まれていた年末年始だったのだけれど、明日からはさっそく仕事なので、また気持ちを入れ替えて頑張っていこうと思う。
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お知らせ
長い移動時間や散歩中は、年末に購入したiPodが大活躍だったのでした。
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