「硝子の月」
DiaryINDEX|will
「へへっ、こいつぁツイてるぜ♪」
小脇にルリハヤブサを抱え、男は走りながらニヤニヤ笑った。 いかにも金の無さそうな子供の肩にこの鳥を見つけたときは、思わず自分の目を疑ったものだ。
美しい羽を持つ、世界中に数十羽しか存在しない不思議な鳥。 捨て値で売っても楽に3月は遊んで暮らせる額になるだろう。それを考えると、全力疾走中だというのに笑いが止まらない。
「クァアアアアッ!!」 少年から引き離されたルリハヤブサが怒ったように暴れている。 「ああこの、大人しくしろよ!」 少々苦労しながらそれを抱え直し───…
「待てっつってんだろこのクソッタレ!!」
ガッツーン! 唐突に後頭部に何かがぶち当たり、男はよろめいた。
「んなっ…、あ!?」 腕が緩んだその一瞬、パッとルリハヤブサが舞い上がる。
「アニス!」
男の握り拳よりも大きい石をぶん投げた少年が、戻ってきた紫紺の鳥に手を伸ばす。 ルリハヤブサは優雅にその肩に舞い下り、少年の頬に頭をすり寄せた。
2001年09月28日(金) |
<街にて> 朔也、瀬生曲 |
「らっしゃいらっしゃい! 奥さん娘さんの土産にどうだい旦那! おっと姐さん、お似合いのブローチがあるよッ! 真珠のネックレスなんかもどうだいッ?」
「ねぇおニイさん寄ってかない? 今なら歌姫ベラルーナの歌をいい席で聞けるわよ〜っ。 お酒もお料理も保証つき! ねぇねぇ、どうっ?」
慣れない喧騒に圧倒され、少年はうろうろと街を歩いていた。夜の街に入るのは、そう言えば初めてである。
最初の街に着いた頃にはもう夜だった。月も高く辺りは暗く、せめてどこか寝る場所くらいは見つけなければならない。
(…どーするよ、オイ…)
途方に暮れて天を仰いだ。当たり前だがお天道様も見えやしない。 持っている金は雀の涙、野宿の場所でも探さねばならないだろう。
「明日になったらまずは仕事探しだなぁ…。 なあアニス、今日はどこで寝る?」 「ピィ」 ぶつぶつ呟くティオを慰めるようにルリハヤブサが鳴いた。
ドンッ!
「うわっ!」 その時、後ろから思い切り何かがぶつかってきた。踏ん張りきれず、ティオは石畳にすっ転ぶ。
「おっとすまねえ小僧!」
続いて慌てたような声が上から降ってきた。
と思うや否や。 「じゃあな!」 声はそのまま通り過ぎた。 「ってぇなチクショウ! って…」 直後に違和感。何やら肩の辺りがスースーするような…… 「おい! アニス!」 呼んでみても親友の答える声はない。 「っんの野郎ぉ……!! 人の相棒盗むたぁいい度胸だ! ぜってぇブッ殺ス!!」 周囲の注目を一身に浴びつつそう怒鳴ると、ティオは声の去った方向へと走りだした。
「じゃあね、おばあちゃん」 立ちあがりながら勝気な笑みを浮かべて。しかしそれがふと曇る。 「もう……会えないのかな」 老婆は初めて顔を上げる。 「運命ならな」 「そっか」 少女の顔に笑みが戻る。 ――運命(なら、会える。 「じゃあ、またね」 テントを出て日の光の下へ。高く結わえた赤い髪が揺れた。
2001年09月25日(火) |
<旅立ち> 朔也、瀬生曲 |
やさしいばかりの暮らしではなかった。けれど憎みきれるほどに悲しい日々でもなかった。 …振り切るように、少年は前を見る。道を。
「───行こう」
ピィ、と鳴くルリハヤブサの声だけを連れ、少年は歩き出した。 道の果ては空の境目に消えている。どこまで行けるのかも知らないけれど。
(…どこまでだって)
くっと顔を上げる。…得たばかりの慣れない自由を胸に。 どこまででもゆけるのだと、高い空を見上げた。
―― ☆ ――
「まぁ、いいんだけどさ」 少女は右手のカードを唇に、仕方なさそうな溜息をついた。 「これがあたしの運命だって言うんなら」 「ルウファ。嫌ならおやめ」 薄暗いテントの中で、卓を挟んだ向かい側に座る老婆が視線だけをちらりと上げる。 「嫌じゃないわよ、別に。嫌じゃないわ」 そう言う割には「不本意だ」と顔に書いてある。 「行くわよ。行かなきゃ始まらないんだし。どうしたってあたしの人生だし」 半ば以上独り言のように呟きながら卓の上に広げてあったカードをまとめ、荷物の中へ。彼女の服装は旅をする為のものだ。
2001年09月21日(金) |
<旅立ち> 瀬生 曲 |
「さーて。どこに行くかな」 やっと手に入れた自由に少年は大きく伸びをする。ルリハヤブサは肩を離れた。 「なぁ、お前はどこに行きたい?」 自分の頭上でくるりと輪を描いた親友に尋ねる。彼はまた少年の腕に止まり、肩まで移動すると頬に頭を摺り寄せた。 「ピィ」 「うん。俺もお前がいればいいよ、どこだって」 そう言う少年の微笑が寂し気なのは仕方のないことなのだろう。おそらく本人の自覚はあるまいが。
2001年09月20日(木) |
<旅立ち> 瀬生曲×2 |
「ああ、もうっ! わかったよ!」 真横に差し出した腕にルリハヤブサが止まる。 「出て行くんだからいいだろ! 世話んなったなクソババァ!」 悪態を投げつけて、少年は居心地の悪い家を後にした。
少年――ティオ・ホージュには両親がいない。物心ついた時には既に今の家にいた。彼を育ててくれたのは父親の弟夫婦だった。 「仕方が無いからな」 それが彼等の口癖だった。無理もないと言えば無理もないのだろうが。彼等には子供が三人いて、生活は楽ではなかったのだから。兄の子供を自分の子供と同じように扱うだけの余裕は金銭的にも経済的にもなかった。 おまけに、その子供はルリハヤブサまで連れているのだから。 ティオにすれば居心地が悪いのは当然である。いつか出ていってやるのだと常々思っていた。 「お前が売られちまわなかっただけ、まぁ感謝しといてやるよ」 頬に顔を摺り寄せられて微笑する。 この一羽のルリハヤブサと自分、それとわずかばかりの金と今身に着けている粗末な服と外套(。それだけが彼の持つ総てだった。
ここではない、どこか。いまではない、いつか。 「じおぐらふぃー」と呼ばれる大陸があった。三つの大国に数十の小国、更に数百以上の部族を有する、巨大な大陸であった。 そこに、一つの伝説がある。「硝子の月」。それが何かは誰も知らない。しかし、それを手にしたものは世界を手にするという、ありがちといえばありがちな、モノ。だが、この大陸の歴史においては、確かに幾度となく登場し、時の為政者達を熱狂させ、流血を引き起こし、そして何時の間にか闇の中に消えて行くものであった。
|