「硝子の月」
DiaryINDEX|past|will
「?」 ぞくりと首の後ろの毛が逆立って、ルウファは一人で顔をしかめた。 「どうかなさいまして?」 「いえ、何か悪寒がして……大丈夫ですわ」 問うてきたアンジュにそう返す。 「それよりもどうぞお話を続けてください」 そちらのほうが重要だった。 「ええ」 次に語られたのはルリハヤブサのことだった。ルリハヤブサはかつて、硝子の月を守る番人だったという、グレンも知る伝説である。 一行の中でそれを知らなかったのは、当の鳥を連れたティオだけだった。 「知らなくて悪かったな」 「ピィ」 少年は機嫌悪く呟き、相棒は慰めるようにその頬に頭を擦り寄せた。 「だから君達は、「硝子の月」に到達出来る可能性が高いのだよ」 建国王の血を引く青年王は晴れやかな笑みを浮かべる。 「その時の為にこれを渡しておこう」 彼が取り出したのは小さな鈴だった。 「このとおり、今はこの鈴は鳴らない。「硝子の月」を見付けたら鳴らすことが出来る。その時に、私は君達の元へ行って「硝子の月」を解放する」 「一国の王がそんな軽々しく呼び出されていいのか?」 「軽々しくはないさ。「硝子の月」に関することなのだからね」 半ば呆れたようにいうグレンに、アルバート四世はいたずらっぽく笑った。どうも彼には堅苦しいところが足りないらしい。 「君達は今、アンジュの家に滞在しているのだったね」 「私は違うがな」 「ではどうぞお移りになってください」 アンジュはカサネに屈託無く微笑みかけた。 「城に部屋を用意させてもいいが、彼女のところのほうが気楽だろう」 クリスティン家とて大貴族なのだが、確かに城に比べればそういうことになる。否はない。 「「硝子の月」は『第一王国』と共にある。ゆっくりと探すがいい」 青年王はそう話を締め括った。
「助かったのか……?」 「何だったんだ、いったい」 その頃城外ではアルバート一世の言っていたとおり、謎の攻撃は既にやんでいた。 そしてほんの数瞬後には人々に元の活気が戻り、何事もなかったかのように祭の喧噪が蘇る。実際、彼等の記憶の中では「何事もなかった」ことになっていた。 「『硝子の月』は秘密を好む、か」 シオンは金色の瞳孔を縦に細めて、空中に寝そべっていた体を起こした。 「悔しいかい? でもまだ『その時』じゃないから仕方がないよ」 振り返ることなく、背後に現れた少女に言う。白い布から僅かに覗く唇がきゅっと噛み締められた。 「あの子……ちっとも役に立たなかったわ」 <虫>使いの少年のことだろう。気の毒なことだと他人事として思う。 「ルウファを狙うのは止めるように言っただろう?」 赤い瞳の少女にご執心の青年は、そこでやっと白い少女を振り返った。 「――私、あの女嫌い」 まるでそれ以外の言葉を忘れたかのように呟いて、彼女はふいとその場から消えた。 「やれやれ。もてる男は辛いなぁ」 苦笑して溜息をつき、青年は誰も見ていないというのにおどけた仕草で肩を竦めた。 「けれど僕の花嫁になるのは君一人。待っててね僕の仔猫ちゃん」 本人が聞いていたら間違いなく張り倒されものの台詞を言ってのけると、彼もまたその場から消えたのだった。
|