★★☆ 想 う ☆★★
目次|過去|未来
今は体験型のイベントが求められているらしい。
その世界にひたれた。 触ることが出来た。 着ることが出来た。 遊ぶことが出来た。 食べることが出来た。 造ることが出来た。 捕まえることが出来た。
なんらかの体験をわれわれは求めているのか。
子供を持っていると、 子供に体験させたいっていう要望も結構強いよね。
スキー バイオリン ボランティア 旅行
結局非日常的なものならなんでも体験になる。
体験を求めるために、休日を使ってみよう
前に進もう
前進しよう
進むと成長しているって感じがあるよね。
でも、進む前にもっともっと大事なことがあるんだ。
それは、「今自分はどの位置にいるのか?」ってこと。
現在地のわからない海の真ん中にいたら、
進む方向なんてわかるはずがない。
今いる位置は高さも重要だ。 向きも必要だ。
会社で、社会で、地域で、 自分が関与している環境の中で 自分がいる位置。
そしてそれはたぶん、人の見ている、思っている位置と
自分が思っている、思い込みたい位置とギャップがあるはず。
本当の自分の位置がわかりかけると、
おのずと進む方向に体が向き、足をふみだせるようになる。
あなたは今どんな存在であって、何を期待されているか?
草葉の呼吸が感じられるような、自然の声がきこえるような
心の状態で、自分の位置を感じよう...
たくましいって言葉。
子供には使いやすいけど、大人にはちょっといいにくいかな。
特に自分。
今の自分ってたくましさがあるだろうか?
人に思われなくてもいいから、
自分の心の中でほんの少しでいい たくましさ を
もっていたいものだ...
小才は、縁に出会いて、縁に気づかず、
中才は、縁に気づいて、縁を生かさず、
大才は、袖すりおうた縁をも生かす。
柳生宗矩
袖すりあう縁を損得や、感情で処理してしまってないだろうか?
そしてその生かしていないほとんどの縁は、
実は自分にとって本当は有効な縁にならないのだろうか?
街ですれちがうほとんどの人は見知らぬ人だが、
知っている人であればなにがしらの縁がある。
また知らない人であっても、ほんの一言がきっかけで
新しい縁が生まれる...
チームで頑張る。
自分も頑張る。
精一杯やる。
でも、頑張らないやつがいる。
許せない。
チームとして評価されない。
おまえのせいだ。
ばからしい、やめた、やめた。
評価されない原因を
自分以外に求められる時は要注意だ。
いいわけしているときも、要注意だ。
ものごとは、普遍のようでそうでない。
立場によって見方は変わるものだ。
例えば、手に持ったりんごを落とす。
まっすぐに落ちる。誰が見てもそうだ。
でも、それが移動中の新幹線の中だったらどうだろう。
中にのっている当人達はそう確信していても、
家の窓から新幹線を見ている人にとってはりんごは
まっすぐに落ちてはいない。
立ち止まっている人も、宇宙から見ている人にとっては
地球が自転している以上動いている。
世の中ほとんどの断言は前提条件があるのだ。
私の言っていることは絶対に正しいって本当に言える?
だいたい人は強い人間に惹かれる。
弱い人間には惹かれることはない。
人は、強い人間になりたがっている。
明るい人になりたい。
好かれる人になりたい。
頭のいい人になりたい。
みな同じ。
自分にない物をもとめる...
自分より弱い人間もいる。
自分より好かれていない人もいる。
自分より頭の悪い人もいる。
自分より、嫌なやつもいる。
その人より自分は勝っているのだ。
そのことを最初にみとめることは非常に大切なことだ。
人は落ち込む時に、往々にして自分を好きでなくなる。
自分だけが嫌なやつじゃないよ。
嫌なとこは人間誰にでもあるのにそこだけを嫌ったら
そこだけを見つめたら
だれだって落ち込んじゃうよ。
どれだけ最悪のことがあるかわからないけど、
それにつりあう、最高のことも存在してるからね!
よく思う。
今毎日7時間寝ているとしよう。
もし1時間短くしたら、1年間で365時間
余分に生きれる。
変な表現だが、雰囲気はわかるよね。
あと30年生きるとしてざっと10000時間。
これは1年と1ヶ月以上ある計算になる。
あなたは今のままの生活に、プラスして1万時間の時間を
追加することができる。
この1万時間。何に使いますか?
いや、無理に使おうとしなくてもいいんだよ。
そのまま今までどおり寝ていればいいんだからね。
愛は憎しみを生む。
軽い気持ちでいうなら嫉妬と言ってもいいかもしれない。
愛すれば愛するほど、嫉妬心がでる。
愛と憎しみは対になる。
世の中に、自分達に、愛だけがあると思うのは間違いだ。
しかし愛だけを表面化しておくことはできるだろう。
無理に憎しみや嫉妬の感情を否定することはない。
ただ、存在する可能性のあるものだと知っておけば
おもいもよらない自分の感情のゆさぶりにも
うろたえることはない。
節分に、一家の主だから豆をまくように言われた。
その時は言われるままに豆まきの役をやった。
しかし、恥ずかしい話、なぜやるのか、どんな意味があるのか
知っているわけではない。
会社でも地域でも言われたことはしていかなくては という考えもある。
ここでもし、なぜしないといけないの?と自分の価値観で
問いかけしていくとどうなるのだろう?
成人式に若者が暴発するのは、彼らは一方で
慣習に対して、自分なりの疑問を投げかけているのかもしれない。
是非はわからないが、
疑問を投げかける気持ちと、
疑問を感じてはいけないと思う気持ちと、
何もおもわず従っていた自分に気づきいてしまった
そんな一日だった。
自分の感情が高ぶると、感情が理性を上回る。
感情が高ぶっている状態、いわゆるストレスが
たまっている状態では、けっして後で後悔しない判断が
くだせるとは限らない。
一日の中で、いったいどのくらい感情が高ぶるだろうか?
ストレスがたまっている状態の時は、できるだけ抑えておこう。
とりかえしがつかない言葉を発する前に...
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