2004年08月31日(火) |
北の国から ’04 台風 |
「そういえば、“盛岡冷麺”以降、おまえ、ぜんぜん更新してねえじゃねえかよ」 3皿目に手を伸ばしながら友人はそんな心無いことを言った。 築地の某回転寿司。お互いにずっと渡しそびれているものがあって、いい加減に渡してしまいましょう、ということで、先日の土曜の夕方、食事がてら久しぶりに会うことになった。いいおっさんふたりで肩を並べて回転寿司に入る、という図式はいまいち理解に苦しむところもあろうが、まあそこは寛大にスルーしてほしい。 確かに彼の指摘どおりだ。今月に入ってたった二度の更新のみ。微妙に増え続けるアクセスカウンタの数字に胸を締め付けられる毎日。 酷いことに、「のづ写日記」のほうも時折更新を忘れてしまうことがある。そもそも「のづ写日記」は本家のほうの更新がままならなかったとしても、ケータイ電話からのお手軽更新が可能なココだけはほぼ毎日更新を続けてお茶を濁す、という主旨ではじまったものだが、どうも最近「のづ写日記」も更新頻度が落ちている。 考えていないことは、ない。頻繁にココを訪れてくれている人には判るような工夫もある。「のづ写日記」で軽くネタフリをして、ココで本編が綴られる、という図式だ。いつぞや新宿の有名ラーメン店『麺屋武蔵』を訪れた際には
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更新されそこなった原文はここで終わっている。約二週間前の週末の出来事を綴ったわけだが、どういうわけかこの時点では完成せず、更新にも至っていない。『麺屋武蔵』で食べたラーメンのお味はどうだったのか。それはもう永遠に語られることもなく闇の向こうに消え去ってしまったのか。
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ということで、久々の更新であります。ライバルblogが復活したから、というわけではないが、月間最低更新回数2に並ぶという不名誉な記録は残したくない、という一身で、札幌のビジネスホテルから更新をしております。 そう、タイトルからも分かるように、いまワタクシ、北海道は札幌市、不夜城すすきのに程近いところに3泊滞在する出張に来ております。すでにご覧になっている方もおられるでしょうが、「のづ写日記」のほうでは北海道出張の出発時点から嬉しがって写真を更新し続けております。ほとんど食い物ばっかりだけれどね。 8月末から9月にかけて、また出張三昧となる。先週は木曜日の夜に四国・徳島県に入り、高知県、愛媛県と移動して土曜日に帰ってきた。そして週が明け、月曜日から明後日の木曜日までが北海道出張。そして来週末には岩手県へ2泊3日の出張という予定だ。「SMAPみたいですね」と同僚は言ったが、中居くんたちはこんな中途半端な移動はしないだろう。売れっ子芸能人というよりは「過去のヒット曲と地方営業でなんとか食いつないでいる演歌歌手」といった具合だ。 北海道、何の話をしようか。滞在はあと二日ある。中途半端な更新で失礼いたしました。
夕飯に盛岡冷麺を喰った。 先日、同じ部署の後輩が盛岡に出張に行く、というので1000円札を握らせて「これで、盛岡冷麺を」と買って来させたもの。我が家は夫婦そろって冷麺好きで、焼肉を食べに行ったときは必ずシメに冷麺を注文する。ツマに本場の盛岡冷麺を食べさせてやりたかった、と言えば聞こえはいいが、「オットが盛岡に出張に行ったときは必ず冷麺をお土産に買って帰ってくるように」と事前指令も出ており、早めにこの使命を達成しておきたかった。 そう言えば、今朝のブランチは“フグ雑炊”。これはずいぶん前に山口県は下関へ加盟店の取材出張に行ったときに土産に買ってきて、そのまま我が家の食料庫に保存されていたもの。下関と言えばフグ。出張のときは半日滞在したくらいだったので、たとえば夕飯にフグをたらふく食う、というわけにはいかなかったが、朝粥気分でいただいた今朝の熱々のフグ雑炊は、香ばしい出汁の香りが鼻腔をくすぐり寝起きの身体に沁みた。期せずして、今日の我が家の食卓は日本全国うまいもの図鑑の様相を呈していた。そうだ、昨晩はツマが会社からもらってきた“北海道限定じゃがりこ(※)”をつまんでいたが、これはちょっと方向性が違うか。 仕事柄、日本各地へ出張する機会が多く、それぞれの基本的な“うまいもの”を食べることが出張の大きな楽しみでもある。なかでもカンドーしたのが高知で食べたカツオのたたきと仙台の牛タン。たしかココでもそのカンドーを綴ったような気もする。 今月末くらいに北海道へ出張する予定なので、その出張にようやく取れそうな夏休みをカラメて、うまいもの三昧を満喫してこようかと思っている。札幌、函館──。さあ、うまいもの調査の開始だ。
そのニュースを聞いて、胸の奥からなんだか判らない熱いものが込み上げてきた、というのは実は大袈裟でもなんでもない。 昨晩、遅い夕食のカレーライスを食べながらスポーツニュースを見ていると、アテネオリンピックに出場する野球代表チームの長嶋監督が、アテネでの采配を断念した、という。テレビ画面では息子の長嶋一茂が沈痛な面持ちでその内容を話していた。 正直なところ、俺は長嶋監督には“優しくない”ファンなのだと思う。このニュースを聞いて、率直に長嶋監督が代表チームの指揮を執れないことを残念だと思った。俺は、アテネの地で背番号3の監督姿をテレビで応援したかったし、ゲームに勝利したナインをベンチ前で迎える長嶋監督の笑顔が見たかった。長嶋監督が脳梗塞で倒れ、大変なリハビリに取り組んでいる、ということを知りながら、だ。 一方では、長嶋監督がアテネ行きを断念したことにほっとしている自分もいる。 3年半前、実家の母が脳梗塞で倒れた。 知らせを受けた俺は、その日大事な顧客へのプレゼンがあったが、訳を話して母が担ぎこまれた茨城の病院へ走った。集中治療室で意識の薄い母はかなり危険な状態だった。なんとか一命は取りとめたものの、今でも後遺症で左半身が不自由で、俺の顔を見るたびに、母は自分の身体の不自由さを嘆いて相当後向きなことを口にしたりする。「そんなこと言うなよ」と俺は軽く流すようにしていて、今はぶつぶつと文句を言いながらリハビリに通っている。 俺はきっと、母にこう言いたかったのかもしれない。
『長嶋監督もオフクロと同じ脳梗塞で倒れたけど、ほら、元気にオリンピックに出場してんじゃん。オフクロも頑張ってリハビリ続けろよな』
長嶋監督が指揮を執らなくても、あの野球代表チームは「長嶋ジャパン」である。 監督不在という緊急事態を迎え、俺自身の応援体制もさらに強化しなければならない。 で。 今日はほぼ定時に会社を後にし、御茶ノ水にあるミズノのショップで長嶋ジャパングッズを買いに走りました。『NAGASHIMA』のネームが入った、胸には『JAPAN』のロゴが入ったTシャツ。 長嶋ジャパンの試合はこれを着て観戦するぞ。がんばれ、長嶋ジャパン。
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