凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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母から小包が届いた。 母の日のプレゼントのお返しらしい。 ご近所からのおすそわけらしい野菜の中からアイ宛に手紙が入っていた。
何故私でなくアイに。 訝しんだけど、元々母の考える事なんか昔から理解できたためしがないので とりあえずアイに渡した。
アイに「なんて書いてあるの?」と聞くと 「なんかお母さんが子供の頃の事が書いてあるけど内容が重くてよくわからない」という。
見せてもらうと、私が中学の頃、自分がどれだけ苦労していて、 娘に手をかけてあげられなかったか、がダラダラと書いてある。 更には私自身が何度も何度も何度も何度も聞かされた 母自身の子供の頃の学校での自慢話エピソードも。
「私にこんな事言われてもどうすればいいかわからない」とアイは言った。 そう。それは私もずっと母の子どもとして育ってきて思い続けていた事。
子どもの私に向かって己の不幸な幼少時代の話を延々話して聞かせる。 父親が死んで周りは手のひらを返すように冷たくなった話だの 父親が生きていればそこそこの生活が出来たのにだの 学校で自分はいかに成績が良かったか、 それなのに家庭の事情で上の学校に行けなかっただの なにくそ、と頑張ってきたけど、どうしてもひがみ根性が出てしまう、という話だの。
だからあなたはどうこうしなさい、とか、 私は子供であるあなた達にそんな思いはして欲しくなくて こうしてあげるんだ、とか そういう我が子へ繋がる話は出ない。 延々、己の不幸な境遇を子ども相手に愚痴り続けるだけ。 呪詛のように、延々と、何度も何度も。
子どもである私は、それを私に聞かせてどうしたいの?といつも思っていた。 いらいらいらいらしていた。 ただ単に、愚痴のはけ口にされている事も分からず。
子育ては己の子供時代の追体験をする、という。 母は私を育てながら、己の不幸な生い立ちを思い、自分自身が、そして自分の母が、不憫でならなかったのだろう。 そして、今、子どもを育てる私に、やっと、自分が母親になってからの体験を思い出し、その苦労して子育てをしてきた自分の姿を思い出し、また自分が不憫になって、今度はその愚痴を孫であるアイに垂れ流している。
どこまでも、自分が世界の中心で、悲劇の主人公。 周りは皆、恵まれた人達で自分を助けてくれる人なんかいない。 そこでも負ける事無く必死に生きている健気で不憫な自分を ただひたすら愛しているのだろう。
この人を反面教師にして生きていかねば。 最低限、我が子を愚痴のはけ口にしない事だけでも、気をつけていかなきゃ。 そうは思うのだけど。 私は、母の呪詛が解けないままなのかもしれない、という恐怖は消えない。
暁
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