雑感
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パリに行くと、ルーブルやオルセーはパスしても、マルモッタン美術館 をはずすことはない。 パッシー近くの閑静な住宅街を抜けて、ブローニュの森の入り口に なるあたりに、邸宅風の建物がひっそりと佇んでいる。 美術史家マルモッタン氏のコレクション。中でも、モネの作品群は ひときわ光彩をはなっている。地階にある、まあるい部屋の壁一面に 睡蓮が咲き乱れ、ソファに座って眺めていると、その部屋だけ時間から 切り離されたような感覚を受ける。
モネの作品を眺めていたら、シュテファンのことを思い出した。 シュテファンは当時、50代半ばだったろうか。銀縁メガネに、ごま塩 頭で、ジーンズのベルト通しに、重たげなケータイを引っ掛けて、 "Hallo! Wie geht`s?"「よっ、調子はどうだい?」と派手な動作で 入ってくるのだった。
女性ばかりの絵画教室はなんとなくもの静かだったが、快活なシュテファン が現れると笑いが渦巻いたものだ。たしか、モネの風景画を模写していた。 私が、細かなタッチのところをさして、「ここむずかしいね。」と言うと、彼は「なあに、細かいところは先生にやらせたらいいさ。」と涼しい顔を していた。後にスヘラが加わり、教室は二人の漫才のようなかけあいで 賑やかだった。
ある日、彼が2週間出張で来れないと言い置いて、さらに2週間が 経過した。 私たちが変だねえと噂していた日。シュテファンの娘と息子が 赤い目をしてやって来た。シュテファンは2週間前にドイツで心臓発作で 他界したということであった。 その日私たちは、一言も口をきかずに一心に絵筆を動かした。もう少し したら彼のドアのノックの音、ハロー!という声が聞こえるんじゃないか と思った。 モネの雪の風景画を見るたびに、所々塗られないままに子供たちに 返却された未完成の絵を思い出す。
そんなことを振りかえりながら、立ちあがって、そろそろと美術館を出た。 午後3時の陽射しは、だんだんとその強さを失いつつある。焼栗の温みが 恋しい、人が恋しくなる晩秋の日。
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