ぶつぶつ日記
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2001年09月30日(日) |
もっとも残酷な、でも人気のあるショー |
その昔、ローマでは民衆の気持ちをつかむために、 皇帝はありとあらゆる見世物を用意しなければならなかった。 動物対動物だったものがエスカレートし、 人間対獣、人間対人間になるのにはそう時間はかからなかったし、 人間を主人公にした身の毛もよだつような「競技」の方が、 人々の熱狂を得られやすかった。 「人道」意識や「贅沢」意識に駆られて これらのショーの予算を縮小した皇帝たちの人気は、 あっという間に落ちてしまう。 社会的な様々なひずみ、それから目をそらすために、 これほど簡単な見世物はなかったようだ。
タリバンの「非道性」をクローズアップするために、 極秘で取られた公開処刑の映像が巷に出回っている。 それはもちろん、非道で残忍な全時代的な行為である。 アフガンの人々はそれを見て恐れ、 しかし一部熱狂しているのだろう。 抑圧された思いを一時的に「殺される人間」への 意味のない憎悪に転化していることが映像からも見て取れる。 残忍な行為ももちろん問題だが、 本当の問題は処刑を「公開」することではなく、 罪状も大して明らかでない人物が、 弁解も謝罪もする機会も与えられないことこそが、 一番の問題ではないだろうか。 夫を殺したという罪状の女性に、 民衆の前での自己弁護は許されなかったし、 イスラム法で決められているような 4人の証人ももちろん登場してこなかった。
しかしタリバンに言わせれば、 「公開処刑」自体でうんぬん言われるのは心外かもしれない。 何せ「イスラムのお膝元」サウジアラビアでも、 公開刑は毎週行われているのだから(さすがに処刑は少ないだろうが)。 サウジは良くて、自分達だけなんでだめなのか。
サウジ政府に言わせれば、 きちんと裁判をして証拠を固めてからの刑の執行だ、 と言う事なのだろう。 しかし、「公開刑」を行なわなければ守られない何かがあること。 実はこういう社会的なひずみも、 無視できない「要因」であるのではないだろうか。
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