ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2001年10月01日(月) 天国行きバスの切符

一番最初にアラビア語を習った先生はエジプト人だった。
日本人女性と結婚していて日本滞在が長い先生は日本語堪能、
女の子の友達はたくさんいたが(友達、だからいいんだそうです)、
それ以外は敬虔なムスリムだ。
何人かでプライベートレッスンをしてもらうようになって気心も知れてからは、
私たちはなかなか聞きづらいイスラムについての疑問を先生に質問した。
天国行きの話しになった時、
「じゃあ、私たちは地獄に行くことが決まっているんですね?」
とちょっと意地悪く質問した私たちに、
先生は勤めてさりげなく、「多分、ね。」とだけ答えた。
この時、私はこう答えた先生に対して、ある種の信頼感を強めた。
なんて正直な人だろうと思った。
そして、彼に答えられる精一杯の答えが「多分」であることで、
先生の信仰のまっすぐさを感じたように思う。

ジハードで死んだものは天国の鍵を手に入れたと言われる。
パレスチナの自爆テロで死ぬ若者や、今回のテロリストたちも、
自分たちの天国行きを疑わずに死んでいったのだろうか。
でも、「自分は天国にいける。」そう思うことは、
とてもおこがましいことなのだ。
心あるムスリムに言わせると、これをしたから天国にいける、
そんなことは、誰にもわかりはしない。
ただ、「その時」になってアッラーの御心が決めること・・・。
私たちが生れ落ちた日から、
常に右の肩と左の肩にいた天使たちによってつけられていた記録が、
冷酷なまでにその人の人生を暴き出す。
誰も何も、自分を弁護してはくれない。

ムスリムになれば天国にいける、と勧誘(?)するエジプト人もよくいたが、
それは単に、「天国行きのバスの切符」が手に入るという事だけだ。
私は残念ながらこの天国行きバスの切符すら持っていないので、
天国の門にたどり着くこともないそうなのだが、
実は天国で門前払いされて、
すごすごと私たちと一緒に地獄に落ちるムスリムもたくさんいる。
その中に、テロリストはいないのだろうか?
私は「地獄の一丁目行きバス」でオサマ・ビン・ラディンと隣り合わせたら、
ぜひあの美しいアラビア語を教えてもらいたいと、心ひそかに楽しみにしている。
最後の審判の後で、時は永遠だ、
アラビア語を勉強する時間も、それこそ永遠にあるだろう。


colacaco |HomePage

My追加