ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2001年12月19日(水) 悲しみと憎しみを増幅させた携帯電話

風呂上りに家族の見ているテレビを見たら、
9月11日のアメリカ同時テロのドキュメントだった。
現場に居合わせた人、被害者の家族、そして報道陣に
詳細にインタビューをしていた。
事件当時もペンタゴンにつっこんだ飛行機に乗っていた
コメンテーターの女性が政治家である夫にかけた携帯電話のことが
ニュースになっていたが、
どうやらかなりたくさんの被害者の方が、
最後のお別れを言うために、
家族に携帯から電話をかけていたようだ。

御巣鷹山に日航機が墜落した時も、
何人かの人が遺書を書き残していた。
しかしそれらは、現在の飛行機の情況や、家族にあてたメッセージで、
感情を押し殺し、どちらかと言うと冷静な文章が多くかったように思う。
しかし、電話から聞こえてくる声は違う。
感情も恐怖も、全てを残す者に伝える。

これまでは、何か惨事が起こり、
心配しているうちにその心配が現実となり、
朝元気に出て行った人が、それきり帰ってこなかった、
そういうことが普通だった。
帰ってこなかった人の最後の瞬間を、
残されたものは実感することは出来なかった。
しかし、これだけ携帯やモバイルが普及してくると、
ありとあらゆることが瞬時に別の場所に伝えられる。
それはとても便利なことでもあるのだが、
今回の場合、最後のメッセージを聞いてしまったことにより、
そしてそのメッセージをたくさんの人々が共有したことにより、
より一層悲しみや憎しみが増幅されたような気がする。

悲しんで当たり前、
憎んでもいいと思う。
そうするだけの権利が、いとしい人を亡くした人にはある。
しかし、増幅した憎しみは怪物にとなって逆に人々を襲いだす。
携帯電話を持たず、最後のメッセージを伝えられないまま死んで行く人々も、
メッセージを残して死んだWTCの被害者と同じように、
無念なことにはかわりはないのだ。
そしてアメリカの人々が、憎しみという怪物に飲み込まれないように、
メッセージを送りたい。



colacaco |HomePage

My追加