カウンセリングに行って、そういえばそろそろ心療内科の薬もないし、お盆休みになっちゃうから行かないとと思ったのでそっちにも。 咳が出て、って話をしたところ、やっぱり暑くて疲れてて、それで咳が出るんじゃないかと言われてお薬を貰いました。 んで、薬は院外処方なのでいつもの薬局に行って、「その後調子はどうですか〜」と既に顔なじみになってしまった感のある薬剤師さんと話していて。 「ほてりとかはないんですか」と聞かれて、「はあ、暑くなってからずっと身体の中に熱が篭ってる感じでいっつも微熱がありまして…ほてってるというのか分からないんですけど」と答えたらば、「そういう症状をまさにほてりというんですよ」と苦笑され。 ギャース!!(恥) そして「ほてりのリーフレット入れておきますね」と貰ったリーフレットを読んでたら、『更年期障害の方に』とか書いてあって更にギャース!! 違う、確かにホルモンバランスは多少崩れているかもしれませんがまだ更年期には…!!わ、私まだ20代前半…!
さてタイトル。某御大のところで『脱オタファッション』の話がありましたが、ちょうど今日カウンセリングでもそんな話になってね。 いやもちろん『脱オタ』ではないですが、『服装やメイクによって周りに与える印象も自分の心境も変わってくる』という話で。 私は今でこそ「ひらひら〜、ふわふわ〜、リボンにフリルにレース〜vv」とか言ってますが、まともに洋服のこととか意識しだしたの大学入ってからでして。 それまでは…えーと、ちょっと目も当てられない格好をしていたような気がします。いえ、今だって大してセンスは良くないのですが。 何ていうのかしら、コンプレックス?綺麗で可愛い服を着て、お洒落をすることに関心がないわけではなかったのですが、なんかね、「私には綺麗で可愛い服は似合わない」っていう思い込みがすっごいあって。 太ってたってのもあると思いますけどね、今はちょっとやせ過ぎらしいですが(苦笑)最高で今より15キロくらい太ってたので。 太ってて、肌とか顔とかのお手入れもろくにしなくて(その頃はまだ今ほどの敏感肌じゃなかった)、髪も適当に括っただけで、その上腐女子だった(笑)あ、腐女子なのは今もか。 ともあれ、今とは違う意味で自分に自信がなかったんですな。 可愛い洋服店のオーラの中に入っていく勇気がなくて、「こんな子が着たって似合わないのに」って笑われてる気がして、結果余計ちょっとその格好はどうなのよ、って服ばかり着てた。スカートとか絶対履かなかったしね。もちろんノーメイクさ!化粧水と乳液ってなーにー?くらいの勢いで。
今はスカート大好きで柔らかい女の子っぽい服が好きで、コムサとか組曲とかバーバリーとか好きで(もっとも後ろの二つは滅多に買えませんが)、ちゃんとお化粧もするし、「なんか私、女の子だ」って自分で笑っちゃう事もありますが。 でも楽しいもんね、好きな服着てるの。だからそういう意味では高校まで損したなあと思いますよ。
…で、今日は8月6日です。 過ちは、過ちなのです。悔いても時は戻らないし、押してしまったボタンは押されたままなのです。 戻らない、戻せない代わりに、未来があるわけですから。 後で悔やむと書いて後悔ですが。私なんぞは毎日何かしら後悔してますが。 でも、悔やまないよりは、真摯に悔やむ方が良いと思うのです。 悔やんで泣いて苦しんで、それから未来を真っ直ぐ見れるなら、『過ちは繰り返しませぬから』ときっぱり言えるなら、それはとても強いことだと思います。 言葉は力で、歌は祈りなのだそうですよ。強く思って口にして、そして生まれた種は、小さくてもきっとどこかで芽吹くのだそうですよ。そしていつかは大樹になる。 可愛い服〜、とか、萌え〜、とか。言えるのは今が平和だからで、その平和の下にはたくさんの無念と、後悔と、悲しみと、痛みと。その『過去』があってこその『今』で、幸せに、平和に、大切な人たちと。そう願う『未来』はみんな変わらないはずなので。 せめて忘れないで、覚えておいて、きっとそれが戦後60年目を生きてる私たちのすべきことだと思うので。 …夏になると、いつもそんなことを思います。 歴史を専攻に選んでからは、特にね。戦争に、どっちが悪い、はないのです。両方被害者、両方加害者。 自分の住んでいる国が選んできた道を、両親祖父母、その前から、ずっと続く、『歴史』を知ることは、務めだと思います。 歴史って別に難しくないのよ?例えば今日、朝起きて、何をしました? 私は朝起きてジュースを飲んで電車に乗ってカウンセリングに行って、バスに乗って心療内科に行って、お昼はカフェでパスタを食べて、手芸店で少し買い物をして家に帰って夕食の支度を手伝って御飯を食べてテレビを見てお風呂に入って、そして今こうして日記を書いてます。 これは、今日一日分の『私の歴史』。朝起きて、夜寝るまで。その1日が、『歴史』です。それが積み重なって、西暦2005年目です。 そして本当は、『歴史』とは穏やかなものであるべきなのです。大切な人が笑ってくれていて、楽しいことがあって、時々ちょっと騒動があって、でも解決したらまた笑う。 難しくないのです、歴史の本質は。毎日人々はどう生きるか、その記録だもの。 でも戦争は、その穏やかな歴史を崩します。笑い声も、楽しみも、大切な人も、奪います。 うちは田舎だけど、それでも空襲はあったのです。明日、8月7日は豊川海軍工廠の慰霊祭です。沖縄戦集結、9日は長崎、そして15日へ。 重箱の隅を突っつくような歴史学のお勉強なんてものは、私みたいなそれが楽しい人間がやって「うひひ」とか楽しんでればいいのです。 でも覚えておいて。かつてこの国は戦争をしました。今の平和はその上に成立しているものです。あって当たり前だとは思わないで。
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