昨日の『その時歴史が動いた』のおかげで、奥州藤原氏への萌えが再燃しました。 ずっと燠火みたいにとろとろ燻ってるので、なんかあるとぐわあっと燃え上がるんですよね。
しかし現在平泉に行く余裕はなく。 時間的なものは頑張って捻り出したらどうにでもなるんですけど、財政的なものが立ちはだかって…orz 名古屋からは遠すぎる、平泉…!!
仕方がないので奥州藤原氏の世界に浸って燃え上がったものを満たそうと思います。 高橋克彦の奥州三部作は奥州藤原氏好きのバイブルだと思うよ…!! 奥州藤原氏、っていうか、奥州に住まう蝦夷に連なる人たちの、かな。 アテルイから萌芽して、経清・清衡・泰衡で生い茂って、九戸党で結実する。
もちろんそれは『物語』なので、実際の歴史とは違うのだけど。 でもじゃあ、『本当の歴史』がどうだったのかを答えられる人もいないわけで。 だってタイムマシンはないから、実際そこの場所へ行って見てくるなんてことは出来ないので、文献や史跡や、残されたものから推測するしかないわけで、絶対どこかに空白は出来てしまう。 空白は、各自で想像して埋めるしかないので、少しずつ光が当たる部分は変わってくる。そしたら見方も変わる。 歴史を追うことは、いかにその場所、その時、そこにいた人々のことを想像できるか、欠片しか見えない世界を創造できるか、だと私は思うので。
例えば十人のうち九人が、「藤原泰衡は鎌倉に負けて奥州藤原氏を滅亡に導いた愚か者」だと判じても、残りの一人は「藤原泰衡は確かに鎌倉に負けたけど、最後まで平泉を守ろうとあがいていた人」と考えるかもしれない。 「平清盛は朝廷を蔑ろにして権力を欲しいままにした」のも一つの意見だし、「平清盛は慣習に縛られた朝廷権力から脱し広い世界を見ていた先見者」もそれもまた一つの意見。
文献の行間に、史跡のひびに、そこに遊ぶ余地があるから歴史は楽しい。
『火怨』『炎立つ』『天を衝く』の奥州三部作、オススメです。 さて、読み直してこよう。
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