永久という名の瞬間
2004年02月04日(水) 歌うたい

 歌は好きだった。
 歌っている最中、頭が歌詞に、メロディに侵食されるのが気持ちいい。
 だから既成の歌を歌う。・・・自分の歌は苦しくて歌えない。

 LOVE SONGは私には不似合いすぎて、歌うのに疲れる。私が歌ったって・・・と思う。
 私の中に、愛は少ないから。行き過ぎた自己愛しか入っていない、空しいこの心。

 鬼束さんの歌は素敵で、心にしみるけど、歌っているうちに空しさに襲われる。
 結局はどこか共感しきれないみたい。ちょっと残念。


 最近は歌えるものも数少なくなってきたから、学校の聖歌隊にいた頃に配られた楽譜を、シェルフの中からひっぱりだして、モテットを歌った。
 グレゴリオ聖歌を歌った。

 グレゴリオ聖歌は感情の無いような旋律で、とびきり「いい!」とは思わないけど、好き。
 特にディエス イレの旋律は、いろいろな曲の中に紛れているけれど、見つけただけで鳥肌が立つ。
 裁きの日。それは恐怖だけど、早く来て欲しいと思う。
 私の魂が天に向かうことはないだろうと結果は見えているので、じりじり待たされるより楽なのです。・・・べつにキリスト者ではないけれど。裁きの日があれば、という仮定の上で。


 それでもSalva me.と叫んでしまう私は自己中。
 Domine, miserere nobis.と叫ぶ私は、とんでもなく勘違い野郎。 

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photo by 東雲