2004年03月17日(水) のろいの言葉
聖書を読む。 私が好きなのはヨブ記とコヘレトの言葉。
ヨブ記はとても敬虔な人間、ヨブという人の話。 ある日神様がサタンに「ヨブほど素晴らしい人間はいまい」というと、サタンが彼の心を試してみようと言い出します。そのとき神様はサタンに「お前のいいようにしてみるがよい」と、恐ろしいことをOKしてしまうんだから大変です。サタンはこれでもかという不幸をヨブに与えるストーリー展開。
苦しみを与えられているヨブののろいの言葉が好き。 神をのろうことはしないけれど、自分の生まれた日をのろった言葉に私は同意する。
なぜ、労苦する者に光を賜り 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。 彼らは死を待っているが、死は来ない。 地に埋もれた宝にもまさって 死を探し求めているのに。 墓を見いだすことさえできれば 喜び踊り、歓喜するだろうに。 行くべき道が隠されている者の前を 神はなお柵でふさがれる。 (ヨブ記3:20-23)
人は死んでしまえば もう生きなくてもよいのです。 苦役のような私の人生ですから 交替の時が来るのをわたしは待ち望んでいます。 (ヨブ記14:14)
私の前世はヨブなんじゃないかと錯覚するほどに、私の心を簡潔に表現している。私では到底表現しえなかった表現で。 さすが世界のベストセラー、2000年にもわたって読み継がれている作品です。
ヨブ記とコヘレトの言葉は両方とも、「神の戒めをまもれ」で終了する。 私はなるほどと思う。だから私は神をのろうことはしない。 ただ、ヨブみたいに己の生をのろうことはするだろう。自然にしてしまうだろう。 それを神への冒涜というのなら、私は神をのろうことになるけれど。でも、私の頭の中で、自分の冒涜と神への冒涜は直線上にない。
ちなみにヨブの最後はハッピーエンドです。
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