永久という名の瞬間
2004年03月22日(月) mement mori

言わずと知れた、中世の某有名修道院のごあいさつ。
「メメント・モリ」で「死を覚えよ」の意味。
 通りすがるたび、こんなことを言い合ってた当時に天晴れ。

 我が家は日本によくいる中途半端な仏教徒ですが、幼い頃から「死の準備」をしろ、と言われて育ちました。
 まさにmement moriの精神。
 魂は中世と変わりありません。

『ねぇ、私、本当はね。死ぬことばっかり考えて、他の事頭に入らないんだ。
 明るいこととか、笑いとか、未来の話とか。平気でやってのける自身があるけど、それはやっぱり嘘で。本当は今日の夜中に死ぬことばかり思っているのです。
 それは私が一桁の年齢から思っていることで、貴方たちと一緒に過ごした時間もそうだった。
 髪を切りたいけれど。
 私はいま、口紅が欲しいけど。
 ネイルポリッシュが欲しいけど。
 勉強しようと思うけど。
 明日死ぬかもしれないと思うと、ついやる気が萎えるのです。
 この無気力、何とかしたいけど、だけど『私は明日も生きる』と思った瞬間、私は途方もなく絶望してしまう。一寸先は闇だからこそ、私は闇に期待して生きていけるのです。
 このジレンマ、どうしたらいい?』

 こんなコメントを、知り合いのBBSに書き込もうとして、あまりの馬鹿さに気づいた。
 必死に積み上げた嘘を、すべて白日の下に晒すのは、あほくさい。
 私は知り合いに、「私は嘘つきだよ」と宣言しているけど、何に対して嘘をついているのか、一切語っていない。それは私のテクニック。
 私の愛する人は、何も私のことを知らず、生きていけばいいのです。それは私の望み。

 つつかれたら噴出しそうな真実を覆って、私は密かに、着実に死の準備。
 死にたいという思いこそ、私の真実の全て。
 死は決して忘れない。

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photo by 東雲