永久という名の瞬間
2004年03月30日(火) 趣味

私の趣味は
 美術館巡り
 歴史探求
 読書@純文学思考
 クラシック音楽鑑賞
 購読雑誌は科学雑誌『NEWTON』


「ずいぶん高尚なものが好きだよね、あんたも」
 だいぶ前、誰かのツテでオーケストラのコンサートに行く事になったとき、母があきれて口にした。
 私の趣味はかなり硬派で、いかにも・・・なモノばかり。お金がかかることかかること。

 私は純粋にそれらが好きで。好きでたまらないけれど。
 私はバイオリンが弾けるわけでもないし、絵筆を握る事も無い。
 新しい歴史の解釈が出来るわけでもないし、読書もただ読むだけ。
 お金をかけた分、目だけは肥えてはいると思う。
 だけど、私は芸術と呼ばれるものに触ることはできず、外から観客として眺めるだけで。たまに酷く、虚しくなる。結局はどんなに憧れても、私が賞賛するそのものには、何ら私は関係がない。


 私はヴァーグナーが理解できない。
 彼の音楽は聴いてもイライラするだけか、つまらなくて寝てしまう。
 私はそんな自分の感性が悲しい。
 ヴァーグナーがいいと思えない事に昔は(ただ、フィーリングが合わなかっただけ)と済ませていた。だけど最近は、私の感性の貧弱さが現われているのでないかと怖くなってしまった。
 私は実は物事のいい物を、ほんの数%しか味わえていないのではないかと思うと、恐ろしい。
「私、クラシックが好きなんです」
 そういうのもおこがましいような気がするほど。


 うわべだけの綺麗さに、私は酔っているのかな。
 芸術を味わえないのなら、生きる気はしないと思った高校時代。
 というより、芸術を知ることが出来るのなら、生きてもいいやと思った。そう思ったから、私は生き延びたようなものだ。
 潤いのない人生のなかで、芸術は唯一の私のオアシス。
 だけど。私自身の受容体が乏しすぎて、芸術はあっても、受け入れる事が出来ないなら、あまりに虚しい。

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photo by 東雲