永久という名の瞬間
2004年04月18日(日) 業の深さを感じるとき

 友達に語る言葉が、全てマイナス思考の産物になりそうで嫌だ。
 本心を一つ語るくらいなら、寒い冗談を100つ放つほうがまし。
 その方が私が私を許せる。

「『悩んだ分だけ得られるものが大きい』だって?
 じゃあ悩んだ挙句、お墓に行くことになったら、それは大きな成果だっていう私の思考回路は正常ってこと?」
「人間関係に悩んでいるなら、一切の人間関係をたってみれば?私は親以外は、全て希薄にしたけど、あなたもどう?」
「人の傍にいて安らぐってよくわからないんだよね。そりゃ、しゃべっている一瞬は楽しいかもしれないけれどね。別れたあとのえもいわれぬ心理状態に比べれば、一瞬の楽しさなんて、敢えて欲するものではないと痛感するんだけど」
「私、楽しんで生きたことってないんだよね。教えてよ、楽しみ方ってやつを」

 まさに八つ当たり、上げ足とりのような言葉。
 こんな言葉を相手に言うという事は、相手に「お前と居ても楽しくないんだよ」と宣言しているものでして。
 私が相手にこんなことを語れるのは、相手を信頼しているからなのよ、といくら言い繕っても、信じてもらえないでしょうな。 

 本心を語れば、相手を傷つける。
 本心を言えないことに、私は自分の業の深さを感じる。

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photo by 東雲