久々に、ある後輩たちに会う。
朝から歯医者だった僕はかなり遅刻してしまったけれど、 ほがらかなその子たちは僕を笑顔で迎えてくれた。
二人は、いつも、僕がするイベントを見に来てくれた。 そして、いつも影から支えてくれていた。 決して目立つやつらではなかった。 だけど、いつも影から僕を見守っていてくれた。
その暖かい視線は今思うと僕の勇気につながっていた。
だから、大切にしたい二人なのだ。
一人は車椅子の女の子。 一人は保育所で働く女の子。
久々に会って話がしたいと言われ、赴いたってわけ。
車椅子だから車が広くなきゃ車椅子を乗せられなくて、 保育所で働く女の子の車でドライブにでかけた。
保育所で・・・めんどい!車椅子がA。保育所がBね。
AとBはいつも二人で遊んでいたけれど、 Aが車椅子だからなかなか動けない。 Bも運転にそれほど自信がなくて、 なおかつ、車椅子を運び出すだけの力もなくて。
遊ぶときはいつも、 ガストと、隣にあるカラオケだそうだ。
ガストには障害者トイレがあるし、段差もないから。 カラオケは動かなくても楽しめるから。
世界はね、Aから学ぶべきことがある。 Aは世界から学ばなければならないことがある。
だからその「足」という壁をとっぱらいたい。
僕は彼女たちができないだろうドライブをした。
車の中でいくつも僕に質問をしてくれた。 僕はそれに答えながら、また自分の考えや生き方を、 言葉にすることで、見つめなおすことができた。
実はアドバイスをしている俺なんてのはちっぽけで、 うるさいおっさんの話をしっかり耳を傾けて聞けるAやBの方が、 人間的には立派なのだろうなと思う。心から思う。
「雑用は、「仕事」を雑用って思った瞬間に「雑用」になる。 どんな仕事にだってその先にはお客さんや利用する人の顔が あるんやから、手を抜いたらいかんよ。 手が抜けてしまいそうな時は、なんかもちなおせるような アイテムを脳内に、そして体に身につけたりして。 それでもどうしようもないときもあるよな。 そういう時は無理すんなって。
ただ、おごるな。 感謝の気持ちをもって「させていただいている」ということを忘れるな。
学生は、お金を払って勉強してきた。 社会人はお金をもらって勉強させていただいているんやからな。」
つまらない話をしたり、彼女たちの愚痴を少し聞いた。
帰ってきたらメールがきた。
「仕事一年でやめるつもりでした。 今の子らが卒業していったら・・・。 だけど、今日までやってよかった。今はそう思います。 先輩が支えてくれたからです。 来年入ってくる子どもたちのためにも、 明日からがんばっていきます」
嬉しいな。 ホントに。よかった。 役にたてたならよかった。
「辛い」の深さは人それぞれだ。 「辞める基準」も人それぞれだ。
だから、もう僕には、後輩を「こうしろ」って言う風に、 諭すことなんてできない。
「僕はこうしてきた。」「僕ならこうする」
それのみを話すだけなのだ。 「俺の当たり前」を伝えるだけだ。
彼らは彼らの人生があって、価値観があって、 それは否定できないものがある。
人に話す、人の話を聞くというのは、 己を見つめなおす絶好のチャンス。
キミら自身も色々感じたことはあったやろうけど、 俺も、学んだよ。もう一度掘り返すことができたよ。
ありがとう。 本当に、いつも感謝してるぜ。
雑用は、自分の心がそう思った時に、「雑用」になる。
がんばろ。
|