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2001年10月20日(土) ■ |
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ある幸福論 |
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学生時代、アルバイトをしてお金を貯めて、海外旅行へ行った。行き先はアジア方面が主で、この年はミャンマーという国に行った。旅先ではいろんな人に出会い、いろんなことを学ぶ。ここで出会った人が印象的なお話をしてくださった。 その方は世界中を旅して回っている50代の男性だった。冬に集中して働き、春から秋はたっぷり世界を回る。はたから見たら夢のような生き方をされている方だった。当然、周りにいる50代とは顔つきから雰囲気から何もかもが違う。ミャンマーの片田舎の町にもう数ヶ月いるという。 「ここらの子は貧乏でな、生活するのが精一杯。学校にも行けずに仕事をするなんてざらな話。店にアイスクリームとか売ってるけど、高級品で、一生涯かかってもありつけない代物なんだよ。だから、僕は近所の子供を連れて、アイスクリームを食べさせてあげるんだ。みんな喜んで夢中で食べてね…」 話しながらも目を細めてその時の光景を思いおこしているようだった。 「でもね。こういう風にいう人がいる。「一生もう二度と口に出来ないような一番の高級品の味を幼いころに知ってしまうのは不幸なのでないか。あなたはいいことをした気でいるかもしれないけれど、子供がもう普通の食べ物では満足できなくなってしまう。それが子供を不幸にしていると思わないのか」って」 確かに一理あるなと思った。人は「今よりもっといいことがある」「もっとすばらしいものと出会える」、そう信じて生きているように思う。たとえば、「貴方にこれ以上の幸せは訪れません」と言われたら、後に待ちかまえる幸せでない日々に憂鬱にはならないだろうか。
今日、急遽、高校野球の近畿大会を観戦しに奈良に行った。報徳学園ー天理という名門校同志の試合は、評判にたぐわぬ好ゲームになった。 流れはずっと天理にあったが、報徳は耐え忍んでチャンスを待ち、延長にも持ち込んで、サヨナラ勝ちをおさめた。報徳の大谷投手は、にわかに注目され始めて投手だ。足腰がしっかりしていて、体格もいい。中盤はあぶなっかしかったが、踏ん張りどころの終盤では三振を獲るなどしっかり抑えていた。デジカメで投球フォームを撮ってみた。技術的ばことはわからないが、「絵になるな」と思ったし、ユニフォームがぴったりくる選手だった。終盤の粘りもあり、報徳というチームに今後の注目してみようと思った。 また惜しくも敗れた天理だが、ここもすばらしいチーム。背番号「12」の小柄のピッチャー・中野投手を中心によく守っており、特に内野手のスローイングがすばらしかった。秋の地点でここまで出来上がっているとは、さすが近畿大会に出場するだけはあるし、またその中でも上位レベルだと思う。序盤の3つのエラーが不思議でならなかった。 とてもいい試合だった。でも、いまいちのめりこめなかった。私は報徳のスタンドで観戦していたのだが、父兄さんは夢中だったし、制服姿の応援団は声もよく出ていて元気で好感が持てた。でも、ダメだった。そこに一種の疎外感を感じてしまう。それは物足りなさでもあったのかもしれない。 これまで何度となく書いてきたが、私には長年応援している特定学校がある。公式戦はもちろん練習試合にまで見に行き、そこで泣いたり笑ったりしてきた。ありがたいことに甲子園のアルプススタンドで応援させてもらったこともある。夏は2度京都大会の決勝戦にまで進出した。応援団に混じって応援したときもある。父兄さんとともに熱くなってヤジを飛ばしたこともある。逆転につぐ逆転の試合は地元だけではなく他府県でも注目を集めるほどのものだった。ただの観客である私は、ここで「応援団と一体になること」という最高の快感を覚えてしまった。 今日も試合を見ているとき、「もしこれが応援している学校だったら…」と考えてしまった。でも、現状では近畿大会はおろか京都大会上位進出も厳しい。もし、それが実現したとしても、今の自分の年齢や立場を考えると、あんな経験はもう二度とできないかも…と弱気になる。試合に負けたときはとても辛い。気持ちが沈む。自分は何もできないのがやるせなくなる。大会はまだ盛り上がっている。そこに入っていけない孤独感。特定校を応援しているとつねにつきまとう感情。せめて他の野球を楽しみたいのにそれもいまひとつ出来ない自分がいる。どんなにいい選手がいても、どんなに面白い試合をするチームでも、「所詮は他人事」と冷静に受け止めている自分がいる。もっとランダムに野球を楽しみたいと思うのに、あの一体感がそれを邪魔する。そんなことを感じているときに、前述のミャンマーで出会ったおじさんの話を思い出した。私はとうてい食べれないアイスクリームの味を覚えてしまった不幸なミャンマーの子供なのだろうか。
その方の話には続きがあった。 「でも僕はそうは思わない。その子の心に「子供の頃食べたアイスクリームの味」にたいする感激や想い出は一生残るから。たとえそれが二度と得られないものだとしても知らないより知っている方が幸せなんだと僕は思うんだ」。 そうかもしれない。 もしかしたら、私の応援している学校は二度と甲子園には行けないかもしれない。そして、私にもいつかスタンドに足を運べなくなる日は必ず来る。それでも、今まで応援してきたことは無駄ではないし、後悔もしていない。私は幸せ者だと思う。
追伸 お久しぶりです。 ようやく日記を復活させました。 ちょっぴり新鮮な気持ちでキーを打つ自分がいます。 休んでいる間もメールをいただいたり、アクセスしていただいていたようで、心から嬉しく思います。ありがとうございます。 「野球に対する愛情」を見失うことのないように、これからの日記を書いていきたいと思います。 拙文ではありますが、今後ともおつきあいをよろしくお願いいたします。 管理人・あるこ
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