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2001年12月03日(月) ■ |
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お兄ちゃん |
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今朝の朝刊に興味惹かれる記事があった。 知的障害のある15才の少年が、所属していた市内の少年野球チームを無事に卒団したといういわばローカルニュース。
今から4年前の小学校6年生のとき、彼笹村正城君は、弟の練習を見に行ったのをきっかけに、チームの代表者に入団を勧められ、野球を始めた。公式戦に出る機会はほとんどなかったが、試合ではバットやボールの整理をしたり、練習では後輩を手伝ったりして、みなに「お兄ちゃん」と呼ばれて親しまれてきた。
聴覚障害のある選手や目の不自由な生徒が野球をすることは、わりと知られている。だが、私の記憶する限り、この知能に障害を持つ子が野球するという話を聞いたことはなかった。それでも、ただやるだけではない。本格的にチームに所属しているのだ。
野球だけではないが、スポーツには様々な危険が伴う。それだけに、ハンディギャップのある子供がプレーすることはきわめて困難だ。少子化等の影響で、野球をする子供が減っているから、こういう生徒を受け入れる余裕が出来たのかもしれないが、リスクを考えると、チーム代表の方の判断は勇気あるものだったと同時に素晴らしいものだと思った。
近所に住む同級生の男の子に、知的障害を持っている人がいる。小学校では何回かクラスが一緒になり、同じ時を教室で過ごした。でも、言葉の通じない彼と一緒に遊ぶことはなかった。それは、私だけではなかった。
友達にいない彼は、よく一人で近所を自転車で走っていた。ゆっくりゆっくりペダルを踏んで。道行く人を切なそうな目で見ていた。当時の私は気持ち悪くて、避けて通っていた。
その後、私は、中学を卒業して、高校に行き、大学にも行った。 その間も、彼は同じルートを自転車でこいでいた。ゆっくり、ゆっくり。時が止まってしまったかのように。
早くに亡くなったそうだが、私の母は知的障害を持つ姉がいたようだ。だから、母は彼によく声を掛けていた。「おはよう」「どこ行くの?」、声をかけるたびに彼は嬉しそうな表情をしたのだという。
きっと、彼は友達が欲しかったんだ。ひとりぼっちが淋しかったんだ。ゆっくり自転車のペダルを踏みながら。友達を捜していた。誰かが声をかけてくれるのを待っていた。日常から、脱出したかった。それは、きっと私たちも同じ。
今となっては、彼を見掛けることはない。長い年月でつもりつもった言いしれぬ孤独は彼にどんな影を落としているだろう。
野球を通じて、友達と夢中になれるものを見つけた笹村君の存在に癒されたようでもあり、また切ない気持ちにもなった。
卒団後は、チームのコーチとして野球に携わるのだという。 「高校野球には挑戦しないのかな」。ふとそういうことが頭によぎった自分に、「器のちっちゃい人間だなあ」と思った。世の中にはシビアな現実があるし、高校野球が全てではない。
「おにいちゃん」には、素敵なコーチになって、素敵な人生を送って欲しいと思う。
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