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| 2002年01月09日(水) ■ |
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| お元気ですか? |
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部屋の掃除をすることはタイムスリップすることでもある、と思う。 物置の中で眠っていた青い手帳の中から出てきた手紙が、私を9年前に連れて行ってくれた。
高校生のころ、しばしば憧れの高校球児にファンレターを出すことがあった。それは恋をすることに似ていた、便せんや封筒にも神経を使ったし、下書きを何度もして、字の下手さや雑さで定評のある私が、一生懸命上手な字を書こうと奮闘した。
学校宛に送るのだが、時期が時期だし、返事など来ようはずがない。でも、ただ一度だけ、返事が返ってきたことがある。それが前述した手紙だ。
高校2年の冬、ブラウン管越しに見たある高校のエースにファンレターを送った。何故そんな季節はずれな時期に送ったのかといえば、夏や秋は大切な進路を決める時期なので、学校側が絶対本人に渡してくれないと思ったからだ。あと、他のファンレターと一緒にされたくないという思いもあった。
彼がいたチームは、初戦でいきなり大会ナンバーワンと言われ、今でもプロの世界で活躍しているスラッガーを擁するチームと対戦した。長打は打たれたが、ホームランは許さなかった。でも、彼のチームは大量点を取られて負けた。
超高校級スラッガーを擁したそのチームは、次の試合で負けた。そのスラッガーが5連続敬遠という類まれに見る作戦により、全く勝負をしてもらえなかったのだ。決してそれが直接的な敗因ではなかったのだろうが、社会問題にすらなり、当時は大変な騒ぎになった。
だからというわけではないのだが、彼がそんなスラッガーに真っ向勝負を挑んだことがかっこよく思えた。
どんなことを書いたかはあまり記憶にない。
それから、2週間後、返事が来たのだ。びっくりした。 筆圧の強そうな濃い字で、私の住所と名前が書いてあった。貼られている切手は、まだ62円だった。裏には、彼の名前が書いてあった。
深い紺色の封筒に、薄い線だけが入って白い便せん。行間一杯に文字は広がっていた。
甲子園は良き思い出であったこと、対戦したチームやそのスラッガーはやはりすごいなと思ったこと、もう大学が決まりこれからは準硬式野球でプレーすること、今風邪をひいていることなどが書かれていた。手紙の最後に、丁寧に「お手紙、ありがとうございました」と書いてあり、彼の自宅の住所が追記されていた。
嬉しくて、嬉しくて、何度も読み返した。夜は枕元において寝て、朝はそれを一読して目覚めた。いつでも読み返せるようにとスケジュール帳に挟んでいた。生まれて初めて、「これが私の宝物だ」と思えた。
その後、自宅の方にお返事をいただいたお礼の手紙を書いた。それ以上の発展はなかった。今にして思えば、返信用の便せんや封筒、切手も同封していなかったのに、返事を頂けたのはものすごいことだと思う(私の手紙の内容が質問ばかりだったのかもしれないなあ)。
東京の大学に行った彼がその後どんな活躍をして、どんな人生を歩んでいるかは知るよしもない。でも、どこかで幸せに暮らしていることを信じたい。
竹内正人さん、お元気ですか?
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