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| 2002年01月23日(水) ■ |
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| 「教える」のはとても難しい、という話。(兼〜つれづれお仕事日記12〜) |
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バイト12日目にして、初めて「むっかつくわぁ〜」という感情を持った。現地担当職員の男性だ。見かけは若くてあどけない顔をしているくせに、不機嫌だし(今、忙しいから)、なんか人を小馬鹿にしたような物の言い方をする。
仕事内容が変われど、相変わらず数を数える日々。今日は、薄っぺらい書類を「300枚用意してくれ」と言われたので、地道に数を数えていた。その書類は本当に薄く、数えにくかった。しかし、時間も人の数にも余裕があったので、間違わないように数えようと、ペースを少し落としていた。
すると、問題の職員がやってきて、「そんな1枚1枚数えてたら、日が暮れるで。せやから、こうやて数えたら早いで」と言って、私の手から書類を取り上げた。
職員が教えてくれたのは、「銀行員のお札数え」式。手首あたりをちょっと動かすだけで、紙の束が、生き物のように扇状に規則正しく並ぶ。不器用で指の太い私にとって、それは手品に近い。
「こうして、2,4,6…と数えていたら早いやろ」 世の中にそんな便利で素敵な数え方があるくらい分かってますって。それが出来ないから、苦戦してるんでしょうに。
しかし、ここでは明らかに私の立場の方が低いし、癪だけどこれを機会に覚えてみようと見よう見マネでやってみた。
すると、「ああ、もう、そうじゃなくて。ここ、右は動かさないで」、「左は固定しながら、細かく動かすんや」。腹の底に「こいつ、覚え悪いな」と書いてある。その口調の端々にイライラが見えた。こっちもイライラしてきた。
「もういいから、自分の出来るようにしぃや。時間はかかるやろけど」 職員は、嫌味を一つ吐き捨て、姿を消した。
カチンときた。教えられないなら、最初から教えるなよなあと、己の不器用さを棚に上げて思った。これじゃあ、時間の無駄やないかいっ。
カリカリすると余計に仕事がはかどらない。その上、他のバイトに人が私の横で、その見事な「銀行員のお札の数え方」方式を見せ、私が数えた100の束を「これ、103ある」「こっちは97」と、声を上げた。人のいない静かな部屋に、「数もろくに数えられない女」というレッテルが響き渡った。
ますます、イライラする。いつもなら、「やっぱり、私って不器用やなあ」と凹むのだが、今回は違う。いよいよキレかかる。何もそんな大声で言わんでええやん。ちょっと「銀行員のお札の数え方」が出来るからってさ。ただのあてつけだ。
そんな劣等感を煽った彼女らは、平気で私に「そこで食べてるんで、良かったら、一緒にどうですか?」と食堂で声をかけてきたが、「食えるかいっ」と思い、ここは体裁良く断った。ごはんSとサラダと1品もの…のようなメニューの中に、カツ丼とほうれん草とみそ汁なんて並べられるかいっ。
帰り、また電車を逃すし、今日の私は空回りばかりだ。一度ダレた気持ちは、なかなか元に戻らない。
とかく、教えることは難しい。
私は、絵が描ける人を無条件で尊敬する。なぜならば、私は絵を描くのが大の苦手だ。第一、「絵を描く」なんてあり得ないと思っている。
中学のとき、年に1回、校外に出ての写生大会があった。どうしても書けないので、小さい頃から絵描き教室に通っていて、絵が上手い友人に聞いてみた。
「どうしたら、絵って書けるの?」
すると、友人はさらりとこう言ってのけた。
「え?見たまま描いたらいいちゃう?」
え?見たままだって? 私が我が耳を疑った。
見たままってあんた、この世の中は「縦・横・高さ」の3次元世界で、白い画用紙は「縦・横」の2次元世界だ。何をどうしたら、見たまま描けるのか。
むろん、友人の言葉に他意はない。きっと「硬いことを考えず思い切り描けばいいんちゃう?」と言いたかったのだろう。
でも、私はそういう結論に達した地点で、絵を描くなどという不可能なことに時間を費やすよりも、他のことをしていた方がこれからにおいて役に立つと、「描く」ことを完全に放棄した。
それからは、美術の課題で「描く」ことがあると、家族や友人に、「手伝ってもらう」などという甘っちょろいものではなく、丸々やってもらった。高校では、芸術科目は音楽と決められており、学校で「絵を描く」ということもなくなった。もちろん、日常生活においても故意に避けるので、そういうことはまずない。
世の中は、未だ「学歴社会」と言われ、勉強の出来不出来が大きな影響を及ぼすが、これがもし、「芸術社会」で、絵が描ける描けないが基準であったなら、私の人生はどうなっていただろう。ぞっとする。
絵が描ける人というのは、当たり前ながら「絵は描けるもの」という固定概念があると思う。そりゃ、アイデアが浮かばないとかスランプとかはあると思う。でも、根底には「描ける」ということがあるはずだ。
そんな彼らが、「絵は描けないもの」という概念を持っている私のような人間、取り扱うのは正直言って困ると思う。教えるのは、相当難しいんじゃないかな。
きっと俗にいう「勉強の出来ない子」には、そういう子が少なくないんだと思う。そして、それは、恋愛や音楽、語学にもいえることだろう。
そう、野球にだって。
すみません。 今日はかなりジメジメした日記になりました。 機嫌の悪いときや疲れているとき、凹んでいるときには日記を書いてはいけないのかもしれませんね。
追伸:この「教えることはとても難しい、という話」は、後日、パート2をやります。今度は、反対の立場、「教える」立場から書いてみたいと思います。過去にこういう日記があったことを頭のかたすみに置いていただければ、次の日記もより楽しんでいただけるのではないでしょうか?
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