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| 2002年01月30日(水) ■ |
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| 手のひらの憂鬱 |
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たとえば、熱があるとか、足を骨折したとかであれば、仕事や学校を休むことができる。
むろん、社会に出たら、それですら「自己管理」の範ちゅうにされてしまうのだが、病む終えずの「欠勤」になりうる。
私はこの26年間、大きな病気をしたことはないが、「健康体ですっ!」という体であった期間はごくわずかしかない。学校に行くのもしんどい、会社に行っても全く仕事にならない。でも、それは欠席や欠勤理由にはなれない代物。
たとえば、小児ぜんそく、たとえば、目いぼ(目の回りにできるおでき)、慢性鼻炎、偏頭痛、生理痛、何故か突然低音が聞こえなくなる原因不明の病気(すぐ治ったけど)、アレルギー性結膜炎、じんましん、自律神経失調症…。
経験された方はよくおわかりだと思うが、ほんまにたまらない。社会に出てからは、ひどい時は休むようにしたが、まだ親の監視内にあった学生時代はそうもいかず、本当にしんどかった。
最近、すごく憂鬱なのは何故かなあと考えてみた。 ニュースで聞いた不景気の話、一向に減らない体重と自分の意志の弱さに対する自己嫌悪。次の仕事は割に合わない上、駅から遠い、ああ行きたくない。ずっと書けずにいる友人からの手紙の返信。
そして、最大の憂鬱は私の手のひらにある。 今、私の手のひらは荒れずさんだ砂漠状態で、とても人に見せれる代物ではない。
もう10年近くつきあっているこの憂鬱は、アレルギー皮膚炎の一種であるとも言われているが、実は原因不明の「現代人病」。洗剤やクリーム、紙や繊維に弱く、手のひらがかゆくなるのに始まり、かきすぎると汁みたいなのが出て、落ち着くと皮が張るのだが、それは、魚の鱗のようにボロボロと剥がれていく。そして、またかゆくなり…の繰り返し。
有効な特効薬みたいなものは、今のところない。1ヶ月ほどで治った人もいるが、周囲にいる同じ病気を抱える人間の大半は長年それで苦しんでいる。
病院を何度か変わった。治りかけたこともあれば、かえって悪化したことある。また、はなから治療を拒否した皮膚科医もいた。
多くの人は「クリームを塗ればいい」とか「洗剤を使わないで」とか「水にさわるときは、綿手袋の上にゴム手袋をして」とか、口当たりのいいことを言う。
でも、本当にひどいときはクリームを塗ったらかえってかゆみは増すし、手洗いいや入浴は毎日ついてまわる。手袋を使っての日常生活はかなり億劫だ。(ちなみに今、右手に綿手袋をして、キーを打っています。だいぶ慣れました)
またひどいときは空気に触れるだけでも染みたり痛かったりするので、外出の際にも綿手袋をする。他意のない友人知人は「どうしたん?なんでそんな手袋してんの?」と聞く。悪気はないのは分かっているが、「やかましい、ほっとけや」と心の中で毒づく自分がいてイヤになる。こういう事態になったときは、もう本当に鬱のまっただ中にいる。
作業ひとつするにも、手のひらが気になる、かゆくならないか、商品に血や皮がついては大変だ。クリームはいつつけようか、手がすべるから今は無理だな。そういう仕事に関係ないことにしか頭が回らなくなるときもある。
手を洗うのが億劫、顔を洗うのもコンタクトを換えるのも、頭や体を洗うのも、今の私にとっては、大作業であり、戦いである。
しかし、そんなときにふと思い出す一人の野球選手がいる。その人の名前は、庄司智久さんという。
庄司智久さんは、1972年、和歌山・新宮高校からドラフト3位で巨人に入団。第二の松本(青い稲妻と呼ばれた巨人きっての俊足選手)と期待された。イースタンリーグでは三冠王に盗塁王を獲るなど活躍したが、一軍では出場機会がほとんどなく、ロッテに移籍してから、活躍した選手だ。
しかし、そんな庄司さん、オールスターに出場するなど華やかな活躍をし、「さあ、これから」というときに、手の皮膚がむけるという原因不明の病気に襲われている。
バットを持つことはもとより、日常動作にも支障をきたすほどひどいものだったとある雑誌の特集で読んだ。ひどいときは、Yシャツのボタンをはめおえたら、シャツが血だらけになっていたという。
そんな中で野球をする。相当大変だったと思う。そして、長年、何を施しても効果がなかったが、ある日オロナインを塗ると嘘みたいに治ったという(この話を読んで、私もオロナインを試したが、ダメだった)。しかし、そのときにはすでに体のピークは過ぎており、これといった成績を残せないまま引退せざるおえなかったとか。
症状の重さも病気の種類も全く違うのだが、手のひらに苦しめられた庄司さんのその当時の心境、ほんのかけらではあるけれど、私はわかる。
私は庄司さんの現役時代を知らない。でも、友人知人に八つ当たりしそうになるほど自分がいらだっているとき、ふと庄司さんの存在を思う。
この長いプロ野球の歴史の中にはシャツを血だらけにしても、野球を続けた選手がいる。今の私にはまだ見つからないが、手のひらがじゅくじゅくであっても、荒れきった砂漠になっても、続けていこうと思うこと、きっとあるはずだ。
投げやりになりそうなとき、彼の存在だけが私を落ち着かせることができる。原因不明の病気と闘っていたときの彼のプレーをこの目で見ていたかったな、と今にして思う。
私も手のひらの憂鬱と闘おう。それしか道がないことだし。
追伸:世の中にはアレルギーやアトピーによる皮膚炎で苦しんでいる方は大勢いらっしゃり、私はその中では比較的症状の軽い方だと思う。薬の副作用をわかっても飲まざるおえない人、病気の悪化で家から一歩も出れない人、退職・転職を余儀なくされる人、食べ物を制限されている人…。みな、笑顔を見せているけれど、心の中では不安や苦しみや苛立ちを抱えておられることだと思う。症状のひどい友人が、「私は子供を産まない。こんな苦しみは自分だけで充分。だから、私の血を残すべきではない」と言っていたことが強烈に心に残っている。安易に「そんなことないって」とは言えなかった。
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