
|
 |
2006年01月28日(土) ■ |
 |
バイトとおばあちゃんと私 |
 |
おばあちゃんと見るにつけ、一抹の寂しさを感じる。私の勝手な思いこみかもしれないけど。戦争をくぐりぬけ、経済成長期には懸命に働いて、長い人生を生き抜いて、それでも必ずしも幸せだとは言えない現状。年寄りに優しくない社会。
私の社会人生活の大半がアルバイトだ。そのバイトの中で接したおばあちゃんについて書いてみたいと思う。
23〜4歳にかけて、居酒屋でバイトしていた。祇園祭の日は書き入れ時。夕方早い時間から忙しかった。そんな中、一人のばあちゃんがやってきた。おばあちゃんは酒を飲むわけでもなく、普通の一品ものをご飯を頼み、温かいお茶を持ってきてと言った。普通の夕ご飯だった。「家に帰っても、一人だからね」とおばあちゃんは寂しそうに笑った。この日は祇園祭だからこそ、尚も寂しく思った。次にきたのは、おじいちゃん3人、おばあちゃん2人の団体さん。おばあちゃんの一人が、ごはんを頼んだ。持っていくと、「ちょっと多いわね。もうちょっと少なくしてもらえるかしら」と申し訳なさそうに言った。私は、すぐ厨房に戻り、料理人の男の子に「もう少し減らしてもらえる?」と言ったら、露骨にイヤな顔をされた。店内は忙しさのピーク。厨房もてんてこ舞い。言葉ははっきり覚えてないけど、「そんなんやってられへんわ」的なことを言われた。商売は、お客さん第一だ。だけど、それより私はいつも顔をつきあわせる仕事仲間の機嫌を損なうことを恐れた。私は、ご飯を減らさないまま、再びおばあちゃんの場所に戻り、「召し上がれない分は、残していただてかまいません」と言った。すると、おばあちゃんは、「もったいないから」と、カバンからタッパを取り出し、食べれないごはんを詰め始めた。“最低だ、私”と思った。おばあちゃんは、そんな私を叱ることはなかった。ただ、「もったいない」と言っていた。叱られなかったが故に、余計に響く言葉だった。彼女は、物が豊かになった今でも昔と代わらない意識で生きている。そんな人は、店で小さくなっていて、忙しさのあまりお客さんに対するサービスを怠った私や厨房の男の子たちがのうのうを生きている。これでいいはずはない。
居酒屋を辞めたあとは、呉服問屋で営業事務をしていた。が、事務とは名ばかりで、接客は展示会の準備、発送の荷造りなどいろんなことをしなければならない職場だった。出張に行ったことがある。取引している小売店が、会場を借りて、展示会をする際の販売のお手伝い。販売は、営業さんや小売店の従業員に任せて、私はお茶をだしてり、お客さんが見た着物を畳み直す作業を主にしていた。もう腰が曲がって、着物なんてとても着れないおばあちゃんにも売らないといけない。営業さんは、「娘さんやお孫さんに残してあげるためにも」と説得に入るけど、おばあさんは黙って首を振り、「今の子たちは着物なんて着ませんよ。うちにも、娘や孫が着ればと思ってあつらえた着物があるけど、タンスの肥やし」そう言って、小さく笑った。時代が違うといえばそれで片づけられてしまう話。営業さんも、言葉をなくしてしまった。
呉服問屋を辞めたあと、2年弱のぷー太郎と経て、今の仕事を始めた。去年行った店で、店の片隅でひたすら一人でおしゃべりを続けるおばあさんを見た。店内は昼ご飯を買う人たちで混み合っていて、忙しそうにレジを打つ店員さんはそんな彼女に構っている場合ではなかった。昔は、年輩者でも家から歩いて行ける距離に、「八百屋」や「魚屋」や「肉屋」があって、店主と世間話をし、「何がおいしいの」「今日は、これが取れたてで」などといながら、買い物をしていた。私が幼い頃もまだそんな光景があった。店員と客が見える場所にいた。この日見たおばあちゃんは、コンビニでもそういう感覚で買い物をしているのだろう。時代は過ぎていくってやるせないなと思った。
今日、こんなことを書いたのは、1年前、一人でしゃべっていたおばあちゃんがいた店で仕事をしたからだ。そこで、あの日と同じおばあちゃんではないけど、別のおばあちゃんと店員が和やかにおしゃべりしていた。店は、10時過ぎ。朝でもない昼でもない落ち着いた時間。「おばあちゃん、いつものパン、入ってるよ」「今日は暖かいですねえ」。よかった。あの日はたまたま忙しかっただけなんだ。ちょっと時間をずらせば、こういう光景がまだある。
|
|