2025年01月01日(水) |
おめでたくない新年 |
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2025年になった。しかし、オレは「明けましておめでとう」とは言いたくない。今の日本や世界の状況が果たして「おめでとう」と笑っていられるだろうか。今でも戦争が継続していて、日々戦闘や爆撃の死傷者が出ているというのに何がお目出度いのか。
日本国内でもおめでたくはない。能登半島の復興はほとんど進んでいない。3年経つのに山上徹也の裁判はまだ始まらない。自民党と統一教会の関係を裁判で明らかにされることがそんなに恐ろしいのだろうか。そもそも一国の総理がカルト宗教の広告塔として君臨し、その結果として多くの国民の生活を破壊したことに関して何のお詫びもないのがおかしいのである。関係が明らかになった時点で自民党は下野すべきだったし、そのクソ自民党に国民は投票すべきではなかったのである。ところが自民党は依然として政権政党であり、かなりの国民は何も考えずに売国カルト政党である自民党や維新の会に投票している。そんな状況をどうして「おめでとう」と祝えるのか。
2024年に放送されたNHKにの朝ドラ『虎に翼』にはいくつかの象徴的な台詞があった。
「声を上げた女に、この社会は容赦なく石を投げてくる」
原爆裁判の中で土居志央梨演じる「よね」が語った言葉である。女というだけで差別を受ける理不尽な世の中で、「傷つかないなんて無理だ。だからこそ、せめて心から納得して自分で決めた選択でなければ」と彼女は訴えるのだ。自分のせいで多くの人間を不幸にしてきた連中は何一つそのことを悪いことだとは思っていない。女性への差別の存在する世界で生きていること自体が「地獄」なのだ。
タリバン政権下のアフガニスタンでは、女性は働くことも進学することもできないという。そのアフガニスタンの閣僚は「我が国には女性差別は存在しない」と語る。なんでその場で「嘘つくなこの野郎!」と罵倒しないのか。どうしてそんなクソみたいな政権を存続させているのか。
大阪地検の検事正だった北川健太郎は酔っていた部下の女性を強姦した。被害を訴えた部下の女性に対して、北川健太郎は「合意があった」と無罪主張している。岸和田市長の永野耕平は自らの地位を利用して女性と性関係を持ったことで被害女性から訴えられたが、合意があったと主張をして開き直っている。市議会で不信任案を突きつけられた時に逆に議会を解散するという暴挙を行ったのである。
滋賀医大生が3人で女子大生を輪姦するという事件は一審では加害者の男たちが有罪となったが、大阪高裁の飯島健太郎裁判長は「合意があった可能性も否定できない」と無罪判決を出した。被害者が「痛い」「やめて」と訴えているが、それは性行為の時に通常出る言葉であり「同意していない」という意味ではないという。その解釈をしてしまう飯島健太郎はおそらくAVの世界を現実と思うような貧困な性生活を送っているということである。こんな認知の歪んだクソ野郎は即座に罷免すべきである。
自分の間違いを指摘されても「問題ない」「間違っていない」と平然と言い放つ政治家や権力者が我が国にはどれほど多いことだろうか。国民は声を上げ続けないといけないのだ。黙ってしまえば「同意した」「認められた」と受け止められるのである。
オレは大阪で今年も「維新の会」という利権集団と戦い続けたい。それがおれにとっての正義の戦いであると信じるからである。
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