母が深夜に体長を悪くして救急搬送されることとなった。母は昭和11年生まれの89歳、終戦を鹿児島県の坊津で迎え、米軍の艦砲射撃の中、山に避難したこともあったという。日本本土に空襲した記録は残ってるが、軍艦から砲撃されたという記録は他にあるのだろうか。母ははっきりと「艦砲射撃」と言ったのである。対岸にあった久志という集落は空襲されて街が炎上したという。それを母は対岸から見ていたそうである。
89歳になっても元気で、一日に4キロくらいは平気で歩くし、長い距離を歩くときは老人車を押して、近所のスーパーに買い物するときは普通に歩いて行けるし、部屋が二階なので階段の上り下りもできる。介護認定も受けずに家族と同居して元気に暮らしていたのである。
トイレから出てきてそのまま這いつくばってじっとしていた母は呼吸が乱れて苦しそうで、オレはすぐに側に寄って声を掛けたのだが立ち上がることもできず、そこでオレが「救急車呼ぶか?」と訊くとうなずいた。それでオレは救急車に同乗して病院に行くことになったのである。そのまま入院となり、いったん帰宅したオレは翌日改めて病院で医師と面談した。母の症状は「肺炎」ということだった。
年齢から考えて何があってもおかしくない。医師との面談でオレが訊かれたのは「心停止した場合、蘇生しますか?」という究極の選択だった。オレは相談しなければならない他の兄妹のことを一瞬考えてから、「しません」と答えたのである。残酷かも知れないし、望みがあるのならそれに賭けた方がいいのかも知れない。しかし、仮にそこから退院できたとしてもこれまでのような生活は無理だろうし、かえって本人が後で苦しむかも知れない。それならそんな選択はしない方がいいと思ったのだ。
人の生き死にをこうやって決めてしまうことにはためらいがある。そしてオレはそうした判断をしたことをもしかしたら妹や兄から責められるかも知れない。そんなことをあれこれ考えながら帰路についたのであった。
その2時間後、病院から電話があった。オレは「もしかして・・・」と恐る恐る電話に出たが、なんと病棟の看護師さんからの電話で、「元気になって本人がTVを見たいと言ってるのでテレビカードを買ってあげてください」という連絡だった。オレはあわててクルマに乗って病院に向かい、その場で1000円のテレビカードを3枚買った。一枚で20時間視聴できるそうである。合計60時間テレビを観ることができるなら少しは楽しみになるだろうし、何よりオレは「TVを見たいと思うほど元気になった」ということに安堵したのである。
母は韓流ドラマをよく視ていた。録画して好きな時間に視ることもできたが、いつもその時間には部屋でTVの前で座っていた。きっと母はその習慣をそのまま続けたかったのだろう。しかし一日中TVをつけていたらすぐにカードを使い切ってしまうじゃないかと思ったのである。また切れるくらいに届けようとオレは誓ったのであった。もっともそんなに何枚もカードを使わずに帰ってきてくれる方が嬉しいのだけど。
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