| 2025年10月19日(日) |
朝ドラは真面目に作れ! |
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オレはNHKの朝ドラ、『ばけばけ』を観ている。少し前の放送回だったが、湖からのぼる朝日に向かって手を合わせ、それから今度は湖に背を向けて「出雲の大社様」に手を合わせるシーンがあった。オレはその場面に強烈な違和感を抱いたのである。
この朝ドラは小泉八雲が住んだという松江を舞台としている。だったら湖は松江の西側にあるわけだし、出雲大社は湖と同じ方向にあるわけだ。それなのに湖から昇る朝日が見えるなんてどう考えてもおかしいじゃないか。いくら架空のドラマだからといって、ここまでリアリティーを無視してもいいのだろうか。オレはその場面に対して激しく怒りを感じたのである。「ふざけるなよ!」と。
太陽が水面から昇り、出雲大社が朝日と反対側の方向にあるのなら、主人公達が立ってる場所は宍道湖ではなく中海に面した場所ということになる。そうなるとそこは松江ではなく剣先川の河口付近、現在のJR東松江駅の辺りということになるが、当時はそのあたりには街などなかったと思われる。そして朝日は中海の湖面からではなく、その先の半島の陸地の上から昇るだろう。どう考えてもおかしいのである。
源氏物語のような古典文学では実はそういう部分のリアリズムは徹底されている。たとえば『若紫』の小柴垣からの垣間見の場面では、西向きの部屋の中に西日が差し込むから部屋の中の様子が光源氏からよく見えるという描写があるわけで、古典文学の中では夜に月の出る時間とか見える方角というのは常に科学的に正しく書かれているのである。
朝ドラの多くは実在の人物の評伝のような作られ方をしている。つまり視聴者はそこに描かれる世界をほとんど実話だと思って観ているわけである。植物学者の牧野富太郎の妻は浜辺美波のような美女だったと思っているわけだし、淡谷のり子を菊地凛子が演じるとかなりイメージが変わってしまうのである。だからというのではないが、リアリズムというのはドラマの場合でも大切なことであるとオレは思っている。
朝ドラで戦争の場面が描かれることは多い。『あんぱん』では飢えに苦む日本軍の兵士が中国人の家に押し入って食料を奪おうとする場面がある。補給を軽視した日本軍が、現地の住民から食糧を略奪するのはよくあったことなのだろう。それを描くことで抗議が起きるだろうか。「皇軍兵士は略奪などしない!」と怒る人が居れば、そちらの方こそリアリズムに反しているとオレは答えたい。略奪や暴行、強姦などを行ったのが中国での日本軍なのだ。オレの父親は少し年上の帰還兵達からまるで武勇伝のようにそうした話を聞かされたという。「人を殺すことって楽しいのか?」と素朴な疑問を父は抱いたそうである。ただ、オレの知っている父は朝日新聞を購読し、熱烈な共産党支持者となり、「戦争なんか絶対にしたらダメだ」と最後まで言い続けた。戦場で人間の心を失って狂気に走る人たちの姿を知ったから父は平和を愛する人間となったのである。
リアリズムを失ったら映像作品は終わりである。そこに描かれることを100%のホラ話だと思うのではなく、そこに真実味があるからこそ読者はその世界に惹かれるのではないのか。だったらなおさら、中学生でもわかるような理科の知識もないレベルのクソ場面を作ってしまった『ばけばけ』制作陣は、公開謝罪すべきだとオレは思うのである。
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