| 2025年11月13日(木) |
隣室のHな思い出 |
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オレは大学生の頃、家賃3万ほどの汚い木造アパートに住んでいた。部屋の床は傾斜していて、テニスボールを置くと転がった。2部屋あったので、一室を3台の自転車置き場にして、もう一方の部屋で過ごしていた。所有していた自転車は合計4台だったので、オレはサイクリング部の活動をメインにして学生生活を送っていたわけである。
隣室には京都女子大の方が住んでいた。押し入れの隙間からは隣室の物音がよく聞こえた。その隣室だけ玄関扉の横の小窓に頑丈そうな木枠が取り付けられていた。なんでも彼女の父親が娘のことを心配して取り付けたのだと大家さんから聞いた。東京で警察官が女子大生を殺した事件が起きていて、女子大生の一人暮らしということで父親は心配したのである。
ところがその部屋には来訪者がいた。夜になると隣室を訪れる男性が居て、その後でお風呂に水を張る音がして、それからしばらくすると男女がいちゃいちゃしてるだろう音に変わった。せっかく父親が防犯対策してくれたのに、彼女は部屋を訪れる男にドアを開き、おそらく股も開いていたのである。そしてオレはその物音をこっそりと聴いている残念な若者だったわけである。
おそらくその女子大生は4回生だったのだろう。翌年春には入居者が入れ替わって、医学部に2浪の末に入ったという方になった。その方の母親が郷里から来訪されて我が家にふとんを借りに来たということがあり、入室するとTVの上に駿台の成績優秀者の盾が飾られていて、それが2枚あったので2浪だとわかった。我が家に来客用のふとんがあったのは押し入れがけっこう大きかったことと、サイクリングで知り合った人を泊めてもいいと思っていたからである。そういうわけで家から余ってる布団を持ってきていた。女性を泊めるのにその布団が役立つのは4回生になってからであり、一緒に寝ることを考えたら布団が二つある必要もなかったわけである。
医学部の方はその後もっとリッチな部屋に引っ越していき、その後の住人とは交流がなかったし、自分にとっても単に寝に帰るだけの部屋だった。そのボロアパートに他にいかなる方が住んでいたのかをオレはほとんど知らない。オレが卒業してしばらくしてからアパートはすっかり取り壊されてしまっていた。
オレがこうして一人暮らしを経験したのは大学の4年間だけで、その部屋は木造のとんでもないボロアパートだった。大学を卒業して実家に帰ってきたオレは、両親と同居して今に至る。これから先また一人暮らしを経験するかどうかはわからない。今は妻と母との3人暮らしだが、子たちが居なくなった家をいつまで維持するのか、この家も手放して介護付きの高齢者マンションに移った方がいいのか、何が最善なのかオレにはわからないのである。
夜になると隣室で行われる性行為の気配や物音、それはまだ童貞だったオレにとっては衝撃だった。オレが逆の立場になったのは3年後だが、その時にオレが隣室に聞こえないようにと思ったことは言うまでもない。
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