※今日は、恋愛以外のことです。
「おじいさんの容態がどうも芳しくないみたい」と母から聞かされた。 母方の祖父がここ数ヶ月、入退院を繰り返している。 最初に入院した後、一旦自宅に戻ったけれど、また再入院。 先週辺り、おじいちゃんからお母さんに「流動食を食べられるようになったから大丈夫だ」という電話が病院からかかってきたっていうのを聞いて、少し安心していたのだけど…。 今はまた点滴だけの絶食生活らしい。 とにかく、普通に食べることが身体にとって良くない、とのことだった。
「お盆前にはダメになるだろう」と母も叔母も言っている。
おじいちゃんは、まだ生きる気力のある人だから、それで持っているところもあるのだろうけど。
いずれ、高栄養の点滴を打つか、そのまま普通の点滴を打つか、選択を迫られる。 高栄養の方は少しは長く生きていられるようだけど、おじいちゃんもそれは最後の手段だと知っているから、「自分はもう長くない」と分かってしまうだろう。 普通の点滴では、もっと生きる時間が短いかもしれない。
高栄養の点滴をするかどうかは、今すぐ決めなくてはいけないことではないし、それは叔父が決めることだとも。
どちらにしろ、おじいちゃんが病気に倒れる前の状態には戻れない。
私にも、おじいちゃんにも『死』はいずれやってくる。 それが早いか遅いかだけのこと。 おじいちゃんは私の3倍も4倍も生きてきた人だから、早くて当たり前。
私にとって親しい人が亡くなったのは小学校の時、母方の祖母が最後だ。 あの時の私はどうだっただろうか。 母も叔父も物凄くショックを受けたらしい。 泊り込みで看病していた時もあったくらいだから、母は疲れと悲しみでいっぱいだったと思う。 叔父も「3日間うなされた」とつい最近零していた。
朝早くに危篤だから、と聞かされて、家族全員で母の実家に行ったのを覚えている。 着いた時におばあちゃんは既にこの世の人ではなく。 私は死んだ人が非常に怖いらしく、近づけなかった。 何人もの親戚や母がいて、おばあちゃんの顔から一番遠くに座っていた。 お通夜もお葬式でも、ただただ、黙っていただけだった。
涙も出なかった。
あの頃の私は、人が死ぬということがそれほど現実的じゃなかったのだろうか?
今、おじいちゃんがこの世からいなくなってしまうという、未来を、現実を考えると。 とても悲しくて、涙が溢れ出てくる。
今思うと、一度退院した時に無理してでも会いに行けば良かった。 私は家にいるおじいちゃんが好きだから。 最後に見た姿が病院で見ただけの姿だなんて…悲しすぎる。
いずれ、父も母も私も弟も友達も未来の旦那様も神様の元へ行く日が来る。 誰がいつ召されるかなんて分からない。 かえだに祖父のことを話した時 「サークルの合宿に行ってた時、高校の時お世話になった塾の先生が突然亡くなったって友達から聞いたの。嘘でしょって。びっくりだよ。だって、何があっても死ななそうだよねって言ってた先生が、だよ? 本当だって分かると、もうわーわー泣いてた。みんな心配してくれたけど、放っておいてって、体裁なんて構わずに泣いたよ」 という話をしてくれた。 「だから、心の準備をしていても、びっくりすると思う。今は出来る範囲でりうのしてあげられることをしてあげたらいいんじゃない?」
母は、自分の母親が亡くなった時でそういう面での覚悟はあるらしく、非常に落ち着いている。 少なくとも、おばあちゃんが亡くなった時よりは。 それに一度、大病をして死にそうになったのを乗り越えて今日まで生きてこられたんだからって。 それに、今日明日危ないわけじゃないし。 前々から行きたかった旅行にも行くって。
私のほうが来るべき未来に対して右往左往している。 そう遠くない間におじいちゃんがいなくなること、覚悟しなければならないって分かっているのに。 どうしても受け入れたくない自分がいて。
もがいてしまうだけ。
東照宮へ行った時、色んなところでおじいちゃんのことをお願いした。 その後、病院から電話があったって聞いて私の願いが通じたって思ってすごく嬉しかった。
だから、おじいちゃんは電話出来るまでになったんだよね?
お葬式の時、私はどうだろうかとか、子供みたいに泣きじゃくっているのじゃないかとか、色々思うんだけど。 そんなことを考えていられるのなら大丈夫なのかもしれない。
生きとし生けるもの全て、物にも訪れる『死』。 生まれた時からそれに向かっているということ。
ここまでお読み下さり、有難うございました。
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