2002年10月20日(日) |
東林中学 日本一への挑戦(2) 守備の要を育てる【1】 |
私は中学生のとき、野球部に在籍していた。 3年の夏、横浜市大会準決勝の相手は、桐蔭学園中学だった。2本のホームランで常に先手を取りながらも、終盤に追い付かれ、最後は2−3でサヨナラ負けをした。
桐蔭中との試合、印象に残っていることがある。 キャッチャーが1球1球、ベンチにいる監督を見ていた。次に何を投げさせたら良いのか、キャッチャーが考えるのではなく、監督が考えている。監督の指示を受けて、キャッチャーはピッチャーにサインを送る。牽制ひとつとっても、そうだった。全ては監督のサインで試合が動いていた。 試合が終わってから、「桐蔭の野球って汚ねぇ〜よ。配球ぐらい、自分で考えろよな」と選手同士で愚痴りあっていたのを覚えている。
2年前、東林中・佐相先生と初めて会ったとき、この桐蔭中の話をした。すると意外なことに、「オレも1球ごとに球種のサイン出してるよ」と平然と答えた。理由を訊くと、「ベンチからサインを出すことで、キャッチャーに配球を勉強させることができる。あとはもうひとつ。キャッチャーの配球ミスで打たれた場合、キャッチャーにその責任を全て背負いこますのは中学生では酷だと思うから」
不意に後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けた。キャッチャーを育てる意味があるとは思いもつかなかった。
今年の夏の市大会。私は全試合、佐相先生の動きが見える位置に座った。試合中、どんな動きをするのか、どんな指示を出すのか見たかったからだ。 この夏、先生はキャッチャーに対して、球種のサインはほとんど送っていなかった。ランナー三塁など、スクイズやエンドランの可能性がある場面では、指示を出していたようだが、それ以外は任せていた。 「この夏はキャッチャーに任せようかなと思ってね。困ったときだけ、オレの方を見ろと言ってあるんだよ。自分で考えてサイン出して、それで打たれたら納得行くだろう」
上溝中との県大会決勝で、こんなシーンがあった。1−1の同点で迎えた、延長8回裏。上溝中は1死一、二塁とサヨナラのチャンスを作り、打席には右打ちの4番を迎えた。東林中はスライダーとシンカーを武器にする右サイドスローのエースが投げていた。 初球 外ストレート 見逃し ストライク 2球目 外ストレート 見逃し ストライク 3球目 外スライダー 見逃し ボール ポンポンと追い込み、得意のスライダーで誘い、カウント2−1。4球目、キャッチャーは前の球と同じスライダーを要求した。少し甘く入ったボールは、完璧に捕らえられ、レフトオーバーの二塁打。二塁走者が生還し、上溝中の優勝が決まった。
上溝中の優勝を称える表彰式が始まった。東林中の選手は三塁側のベンチ前に一列に並び、その様子を眺めていた。けれども、ひとりだけ、列から外れている選手がいた。配球を任せられたキャッチャーだ。「鉄は熱いうちに打て」といわんばかりに、表彰式そっちのけで、先生は打たれた配球について反省を促していた。
試合後、近くのファミレスで一緒に昼食をとりながら、話した。 「あの場面は明らかにスライダー勝負の配球で、バッターもスライダーを読んでいた。そこに甘いスライダーを投げれば、打たれるに決まってる。もっと考えて、リードをしないと。やっぱり、大事な場面ではオレがサインを送った方が良いのかな……」
先月22日、東林中グラウンドで3年生の引退試合「3年生対1、2年生」が行われた。1、2年生チームのキャッチャーは、旧チームでもサードのレギュラーを掴んでいた選手が務めた。新チームになり、キャッチャーへコンバートされたのだ。
2試合行われた引退試合。1試合目は、「今日は中立の立場だから、ネット裏から見るよ」と、どちらのベンチにも座らず、戦況を見つめた佐相先生だったが、第2試合ではキャッチャーへ配球のサインを送るため、1、2年生チームのベンチに座った。
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