コラム 金財茶房 〜 投資のゴマはこう開け!〜


2005年06月14日(火) アメリカもイギリスも、結構ひどいことをしてきているのです


こんにちは、カン・チュンド です。

あらゆる「争いごと」の火種は 過去 にある と云われます。

過去(歴史)は、
長い時間の中で何度もその 価値観 をひっくり返してきました。

(善も悪も、その「時代背景」によって決定づけられてしまう・・)


第1次大戦当時、イギリスは中東のほとんどを植民地としていました。

イギリス人は、中東に住むユダヤ人にこう嘯きます。
「戦争に協力してくれ。その見返りにユダヤ人の国を作ってやる」

そしてアラブ人にはこう嘯きます。
「戦争に協力してくれ。その見返りにアラブ人の国を作ってやる」

(この二枚舌が、今日のパレスチナ問題をここまで複雑にしています・・)
しかし、イギリスはどうして「二枚舌」を使う必要があったのでしょうか?


20世紀に入り【石油】というダイヤモンドを発見したイギリスにとって、
中東の安定 はどんな犠牲を払ってでも確保したいものだったのです。

中東の石油は巨大な一塊の油田であり、原油が直接自噴するため、
生産コストが極端に安かったのです。

(1バレルあたりのコストは10〜20セントくらいでした)

1950年代の原油価格が3〜4ドルですから、
石油会社(メジャー)がいかに巨額の富を得られたか想像できますよね。


さて、わたしは今日の中東問題の多くは
「イギリス」がその種を蒔いたと思っています。

(歴史の高台に立てば)
アメリカは、イギリスの「利権」を奪い取ったにすぎません。

(その証拠として第1次大戦後、石油貿易の決済が徐々に
ポンド建て から ドル建て に移行していきました)


今度はアメリカですが・・、
第2次大戦後、アメリカは中東において数々の「謀略」を繰り返します。

その主な目的は、

1.石油利権の確保
2. 反共産主義の友好的な政権の樹立(もちろん自分にとって、)
3.反米的な雰囲気を一掃する(一種の情報操作・・)


例えば1953年にはクーデターの黒幕となり、
イラン のモサデク政権を崩壊させています。

そして、パーレビー国王による親米政権の樹立があります。

しかしのちに(これはわたしもよく覚えていますが)
イラン革命 が勃発し、アメリカの中東政策は大きな挫折を味わいます。

また、1980年に始まったイラン・イラク戦争では、
イラク側に武器供与など さまざまな支援を行いました。


91年の湾岸戦争当時、フセイン政権を最後まで叩かなかったのも、
イラン の存在が念頭にあったからなのですね。

(アメリカの中東政策には常にイランの存在があったのです・・)

一方 イラク ですが、1968年にバース党が政権を掌握、
その流れを汲む フセイン が79年に大統領に就任しています。

★ アメリカは実に長い間、
フセイン政権について見て見ぬ振りを続けていました。

それが現在、イラク攻撃 → フセイン政権崩壊 → 新政府樹立 という
事態に至っています。


★ 歴史 は遠い彼方から、
今起こりつつある事象にさまざまな光を当ててくれるのです。

その時々の「善し悪し」に翻弄されるだけの 政策 は
ほんとうに愚かなものです・・。

ドイツの宰相 ビスマルク が言っていたではないですか。
「愚者は 体験 からしか学ばないが、賢者は 歴史 から学ぶ」と・・。


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