寝不足をすると、その後数日間は寝不足を引きずるのはやっぱ若くねぇ証拠かな。うっかり昼寝して、その上ガップリ夜も熟睡してんのに、一向に眠気が治まらないってどゆ事なのさ。なんだか頭はぐわんぐわんイテェし。
――― 寝すぎか?
|∧∧ |*゚ー゚) ダレモイナイ・・・ノビルナラ・・・イマノウチ |⊂/ |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ノビー | ∧_∧ ノ | ⊂(゚ー゚⊂⌒ヽつ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ノビー | ヘ ∧_∧ | ⊂´⌒⊃゚ー゚)⊃  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
↑これが非常にお気に入りの美南海ですコンニチハ。
アタシは今のサイトを開く以前、ヘボな写真のサイトを運営してました。そこで知り合ったアタシが尊敬し愛してやまない友達が開いている麻衣子のサイトFAKEZの今現在のTOPに「不安定と言う安定」という言葉があります。この言葉は今のアタシの心臓にドキューンとヒットしています。
不安定と言う安定。 うーん。深い。 この文は一見Paradoxical(逆説的)だけど非常に的を射ていますよね。
以前のアタシの日記に「ジョハリの窓」という話題を出したのですけれども。
---(引用)---------------------------------------------- A.開放領域(自分も他人も知っている自分) B.盲点の領域(自分は知らないが、他人は知っている自分) C.隠している領域(自分は知っているが、他人は知らない自分) D.未知の領域(自分も他人も知らない自分) ---(引用終わり)----------------------------------------- (ここより引用させて頂きました。分かりやすいです。→「ジョハリの窓」)
Aの領域を増やす事で自己理解・自己開放を促すのです。と、簡単に言っても、要するに他人から見た自分の今現在の姿がAとBということですよね。Cは自分にしか分からない自分。Dは誰にも分からない潜在的な部分です。ちょっとややこしい話になっちまいましたね。
アタシ自身にも「C.隠している領域」があります。 誰かに見せるのが怖い「陰の自分自身」です。でもこの陰の自分自身というものは「隠したいのに隠したくない、分かって貰えないと思うけど分かって貰いたい」という奇妙なジレンマに挟まれてしまうんですよねー。 おそらくこの「C.隠している領域」を何とか拡げようとするんだけど、「ありのままの自分を、他の人は肯定的に受け止めてくれるのだろうか?拒否されるのでは無いだろうか?」という不安もあると言うか・・・ね。
で、自分自身を色んな自分に分けて、それに適した人達に理解を求めてしまうのです。 例えば家族には自分のこの一面。友達にはそれに加えて違うこの一面。彼氏にはこの一面・・・と言う具合に。受け入れてくれそうな人を選んで自分の姿を変えてる気がするのよ。
以前、彼氏にアタシの過去のとある事を話した時、彼氏はすごく怒ったんですよ。「どうしてわざわざそんな事を言うんだ。気分が悪い。知らなくても良い事は知らないままで良いんだ。」と憤慨して吐き捨てるように言われました。「とある事」とは2001年12月31日のアタシの日記に書いた中絶の話。
アタシとしてはアタシの過去丸ごとを彼氏に委ねたいと思ったのですよ。ま、それはアタシのワガママと言うか甘えだと思うんですけどね。でもそこでアタシの過去全てを否定されたような気がしました。確かに今のアタシと彼氏に過去なんか関係ない。けど、受け止めて欲しかった。自己チューだと思うけどさ。
少しずつ、恐れながら自分の引き出しを開けて彼氏に見せて、少しずつ、少しずつでいいから理解して欲しかったんだよね。そこで嫌悪の顔で否定された事でアタシの心はクローズしてしまったのです。「この人にはアタシのここまでしか見せてはいけない人なんだ、アタシのこの一面を見せていれば喜ぶ人なんだ」と学習してしまうのですよ。
自分の中で「彼氏とはこの距離で付き合っていけばいいんだ」と言う境界線が出来上がってしまいました。それで良いかも知れない。関係は保たれるからそれで良いかもしれないけど、それで良いのか自分?となるんですねー。「これでいいんだ」と思い込めるうちはまだマシです。疑問を持ってしまったらどんどん欲求不満に陥るのですよ。
有り余った不満は他に向けられます。 それは買い物依存症になったり、ネットにどっぷりハマったり。って、コレまさしくアタシだし(笑 きっと、生活の中でアタシの欲求全てが満たされていたら、今ここで日記を書いてないと思うんですよねー。
小間切れの自分自身が、色んな人に支えられているのです。家族や、彼氏や、リアル友やネット友、仕事関係や知り合い関係。丸ごとではないアタシ自身の小間切れと残像とイメージを人に見せて、たくさんの人に支えて貰っているのです。
そんな関係はとても不安定だけど安定しているのです。どれも大きな作用は無いけれど、何かが欠けたら不安定さの中に成り立っている安定までも崩れてしまうかも知れないですね。
誰か1人にアタシの何もかもを肯定してくれて理解してくれる人が居れば、きっと究極の世界に行けるだろーなー。何もいらないって感じで。それが彼氏だったら良かったのに。
ま、そんな事ってあり得ないだろーけどね。完璧を求めすぎなのかなーアタシ。上手に自分を切り貼りして、裏表を使い分けて生きていかなくてはいけないって、簡単で大変。
大人になると言うことは器用にならなくてはいけないって事なのかしらね?
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