前潟都窪の日記

2004年05月03日(月) 【路面に湧き出るモーターバイクの大群・・・ベトナム��】

 翌朝4時半にまだ暗いうちにホテルを出発し、フエへ赴くべく空港へ向かった。早い時間にもかかわらず続々と白人の団体観光客が集まってきた。飛行機はほぼ満席であった。ガイドの話ではベトナムを訪れる観光客はフランス人がもっとも多く次に日本人であるという。韓国人も増えつつあり、アメリカ人も最近多くなってきたそうだ。アメリカ人や傭兵のような立場で参戦した韓国人にとっては苦い思い出しか残らない国なのであろうが父祖が戦役で苦労した場所を次世代に見せておきたいという戦跡めぐりツアーに人気があるようである。

フエはベトナム中央部にある古都であり、阮王朝の首都がおかれていた所である。四季のある美しい学都でもある。日本でいえばさしずめ京都といったところか。1993年には、ユネスコの世界遺産に指定された。人口は80万人で農業従事者が60%に及ぶ農村である。この町の美しい風景を題材にした音楽が沢山作られていることでも有名らしい。

先ず阮朝の王宮を訪問した。この王宮は外堀に囲まれており、ほぼ方形の敷地の広さは38haもあるが建物として残っているのは午門、大和殿、顕臨閣、フラッグタワーだけである。その他はベトナム戦争時1966年のフエ攻防戦で破壊されてしまった。

 午門は第二代皇帝ミン・マン帝(1820〜1840)の時創建され第12代カイ・ディン帝(1916〜1916)の時再建された。この門には三つの入り口があり中央の入り口は皇帝しか使用できない。この門を通ると正面に赤い屋根で平屋の大和殿があり、建物内の中央には金箔の玉座が置かれている。ここでは皇帝の即位式が行われた。最後の皇帝バオ・ダイ帝(1925〜1945)もここで退位したのである。
 フエのマーケット
この建物は紫禁城を模して作られたといわれている。初代ザー・ロン帝(1802〜1820)が創建したものであるが、ベトナム戦争中に破壊されたものを1970年に再建した。この大和殿の屋根の上には皇帝の権威の象徴である竜の彫刻が九つ置かれて舞っている。大和殿の横には顕臨閣があり阮王朝の菩提寺である。残りの広い敷地には草が生えところどころに礎石だけが見受けられる。僅かに残っているコンクリート製の壁には銃弾の痕跡が今なお残されていて激しく戦われたフエの攻防戦を偲ばせる。またこの阮朝の王宮跡に佇んで掲額や調度品に書き込まれた漢文に接すると改めて、中国文化の影響の大きさを感じる。

翌日の午後ホーチンミン市から70km北西に位置するクチの地下トンネルへ向かった。クチへ到る道路には依然としてモーターバイクの大群が疾駆しており、しかも排気ガスから呼吸器を守るために、布切れで覆面をしているライダーが多い。一見覆面強盗の群れが疾駆しているかと見紛うような異様な光景である。アオザイを風に靡かせながらサングラスに覆面をしてモーターバイクを走らせている若い女性の姿は見物であった。
クチ近くになると交通量も少なくなり道路の周辺には稲田や林が広がっており、樹木の下では牛がのんびりと草を食んでいる牧歌的な風景が現れる。このように静かで長閑な田舎で激しい戦闘が行われたとは俄には信じられない。


ベトナム戦争当時、この地域には解放戦線の拠点が置かれ、鉄の三角地帯と呼ばれ難攻不落の場所であった。アメリカ軍は何度も空爆を繰り返し、大量の枯れ葉剤を投下して密林を裸にしてしまった。身を隠す樹木が無くなっても解放勢力は地下に掘ったに籠もってゲリラ戦を続けた。総距離250kmにも及ぶ手掘りのトンネルは深さ3m、6m、8mの三層構造になっておりトンネル内には会議室、参謀室、寝室、台所、病院まで備わっていた。トンネルの土は粘土質で意外に固く、入り口は直径30cm程の穴で穴の上に板を置いて落ち葉を被せれば発見することは難しい。またトンネル周辺やトンネル内の要所には落とし穴が設置されていて落とし穴にはさまざまな工夫の施された針が仕掛けられていて容易に敵が侵入できないようになっている。トンネルの一部は観光用に開放されている。
翌日、ホーチンミン市内を観光した。サイゴン大教会は19世紀末に建てられた赤煉瓦作りのカトリック教会である。サイゴン大教会のすぐ横には一見鉄道の駅舎かと思わせるような建物がある。これは中央郵便局でフランスの統治時代に建てられたものである。このあたりはいかにもフランス文化の香りが漂うような町の佇まいである。


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