前潟都窪の日記

2004年05月02日(日) 【路面に湧き出るモーターバイクの大群・・・べトナム�◆�

初日は9時にホテルを出発してホーチンミン廟を見学した。ハノイの気候は
まだ肌寒いくらいでこの季節の3月、太陽が顔をみせずどんよりと空は曇っている。しかし雨が降るわけではない。特異な天候である。

 ホーチンミン廟近くへ来ると長い行列ができている。これは廟内にガラスケースの中に冷凍保存されて安置されているホーチンミンの遺体に対面し、祈りを捧げるためにやってきたベトナム人や外国の観光客達である。毎日このようにひきもきらさずベトナム人達の長い行列ができるということだから、民衆に慕われ「ホー小父さん」と呼ばれた建国の父ホーチンミンの人柄と偉大さが偲ばれる。廟の裏手には1969年に亡くなるまで住んでいた高床式の住居も残されていて質素な遺品なども当時のままの姿で保存され展示されていた。

次に訪れたのは文廟である。この廟は1070年に孔子を祀るために李朝によって建てられた廟で、1070年には境内にベトナム最初の大学が開設された。大学施設として使われていた建物の中でも19世紀の阮王朝時代にできた奎文 閣には82の石碑がそれぞれに顔の違う亀の上に乗って建っているこの石碑には15世紀以降約300年間の科挙試験合格者82名の名前が刻まれている。

 石碑には本人の出所や来歴がこと細かに記載され称賛の言葉に満ちているこの文廟を見ていると碑文は全て漢文であり、建物も中国風なので、中国の勢威がこの地にまで及んでいたことを史跡として現実に認識することができた。

李朝は1010年に李公蘊が昇竜(タンロン現在のハノイ)を都として定め国号を大越と称したベトナム最初の長期王朝であった。李朝は宗代の中国の制度を多く取り入れて国家を充実させた。科挙の制度や仏教を取り入れたのもこの王朝である。仏教の導入により文学や芸術も普及した。ベトナムの歴史はその大半が異民族に支配され続けた歴史であるともいえるのだが、この李王朝はほんの一瞬だけベトナム人が輝いてみせた独立王朝であったと思うと感慨深いものがある。

この後ホアン・キエム湖の中ほどの島にある玉山寺へ行った。この寺は18世紀に建立され、文学の神スオン王や武将チャン・フン・ダオ(陳興道)等が祀られている。この武将は13世紀に3回、元の侵攻に対してこれを撃退した民族的な英雄である。1257年、1285年、1288年の3回にわたっての来襲に対して、よく戦いこれを撃退した。その戦法の一つは例えば、海岸線の浅い海底に沢山の杭を海面と垂直方向に設置しておいて干満の落差を利用して大型戦闘船で来襲した元の船隊の船底に穴をあけようというもので創意溢れるものであった。ベトコンが地下にトンネルを掘って米軍に抵抗した時、落とし穴に仕掛けた釘や針の山もこの民族の英雄チャン・フン・ダオの戦法に学んだのではないかとふと思った。

民族学博物館では54もある各種民族の衣装や生活用具、住居の模型等を見学した。ベトナムは多民族国家であり民衆は国籍とともに民族籍とでもいうようなものをもっていることがよく分かった。民族分布の地図を見るとそれはあたかもモザイク画のような細かい模様になっている。一番多いのはキン族(ベト族とも言われる)で約5600万人おり、主に平地に居住し全人口の90%を占めている。残りの10%が53民族に別れる少数民族である。


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