2004年07月15日(木) |
【宗教対立を象徴するピースウォール・・北アイルランド】 |
▼イギリスの旅3(北アイルランド) ベルファスト、コーズウエイ 2000年6月26日〜7月11日
北アイルランドのベルファスト空港は出口をでると空港施設内に手洗いの ない珍しい空港である。ベルファスト市内中心部のヨーロッパ・ホテルへ到 着して市内観光とゴルフプレイをコンシェルジェに相談すると早速アレンさ んという若いガイドがワゴン車で迎えにやってきた。ゴルフ場も三時からプ レイの予約ができたという。
先ずハウスペインティングの場所へ連れて行かれた。ここは、ベルファス ト市南部のフォールスロードやアンダーソンタウンという名の住宅地域であ る。長屋風の切り妻造り二階建ての切り妻部分の壁面一杯を使って、銃を手 にした男の絵とか覆面をした男達

の絵が描かれている。IRAの指導者ゲーリー・アダムスの肖像を描いた壁もある。どうも北アイルランドの分離独立運動をモチーフとした絵のようである。中には鳩の絵とFOR PEACEという標語が描かれている壁面もある。住宅の周りには橙色、白色、緑色からなる三色旗がはためいている。これはカソリックの旗である。ここは北アイルランド独立運動の拠点地域であるようだ。後に調べてみると旅行のガイドブックには危険な地域だから立ち入らないようにと注記されている場所であった。
壁に描かれた絵の意味するものにきな臭いものを感じながらも、一種独特 の趣のある住宅の壁面に施されたペインティングを鑑賞したり、カメラに納 めていると、通りすがりの広場に大勢人々が集まって、制服を着用した軍隊 か警察の集団を取り囲んでいた。瞥見しただけなのでその集団が何をしてい るのか或いはしようとしていたのか判らない。運転手も見られては拙いもの を見られてしまったというような顔をして急いでその場を通り抜けようとし たので敢えて誰も質問をしなかった。
これらのペインティングの施された家々の地域から離れていくと道路に門 がある。この門は夜間には扉が閉められて通行できなくなるのだという。何 故そのようなことをするのかと訝っているとやがて「ピース・ウオール」

と運転手が指さす所に高い壁がある。冷戦時代にベルリンを東西に隔てていたような隔壁である。これはカソリック教徒とプロテスタント教徒の居住区を区分する隔壁なのである。カソリックのほうが人数的にも少なくて狭い場所に閉じ込められているようである。聞いてみると運転手はカソリックであるという。宗教問題や民族問題に深入りすると旅行中のことでもあり、紛争に巻き込まれる恐れがあるので同行者の一行は運転手がこの場所へ異邦人を案内した意図を忖度しながらも正面切った質問は避けることにした。
翻って北アイルランドの宗教紛争と民族紛争の歴史を繙いてみるとその遠 因は一五三六年のヘンリー八世の宗教改革にまで遡及る。元来ケルト系原住 民が居住していた北アイルランドにアングロ・サクソンが侵攻してきて十三 世紀半ばにはその四分の三を支配するようになった。そしてイングランド国 教がローマ教会から独立したのを機にイギリスは宗教改革をアイルランドに も強制し、ヘンリー8世はアイルランド国教を導入しアングロ・ノルマン系 の反抗を受けたのである。18世紀に入ると異教徒刑罰法が制定されてカト リック教徒は政治経済の権利を剥奪され、プロテスタント地主にカソリック 小作という支配関係が定着した。そしてカトリック教徒の間に自治と独立の 運動が始まったのである。
1916年のイースター蜂起の失敗ののち反英運動は独立運動に発展し1 916年愛英条約によってアイルランド自由国が成立した。しかしアルスタ ー地方の北部6州はイギリス領に留まり今日の北アイルランドとなった。し かし、カトリック教徒の公民権が制限される等の制限が残ったため独立運動 が後をたたず,1969年にイギリス治安部隊が常駐するに及んでIRAの テロ活動が活発化したのである。
ピース・ウオールを万感の思いで見学した後、午後3時からパルモラル・ゴルフ・クラブでプレーした。

電動カートはなくて手押し車にバッグを積んで自分で持ち運びながらのプレイであった。フラットなコースであったがラフに入ったらまずボールは見つからないという深さである。プレーも夕方になると体が冷えてきて体がかじかんでくる。最終ホールになったとき突然前方のピンの旗や建物が二重に見えだし距離感が全然なくなってしまった。初めての経験なので脳細胞の血管に異常をきたして脳血栓乃至は脳溢血でも始まったのではないかと一瞬恐慌をきたした。片目をつぶると二重に見えていた建物が一重に見える。どうにか最終ホールを無事終えてから、この体験を同行の堀家氏に話すと頭が冷えたときには三半規管の機能が低下し二重像が見え距離感がなくなることはしばしば起こる現象だと説明してくれた。小樽という寒冷地育ちの氏には何度もそのような経験があるという。それを聞いてほっとしたが生まれて初めての体験であった。なるほどプレーを終えて体が温かくなると二重像は消えてしまった。
翌朝九時に昨日の旅行社バリュー・キャブスの運転手アレン氏が迎えに来 てくれたのでワゴンに乗り込みジャイアント・コーズウエイの見学にでかけ た。
車はひたすら北上を続けるがよく整備された自動車道路には殆ど車が走っ ていない。周囲には広大な牧草地と麦畑が開けていてポプラや松、白樺、杉 などの樹木も畑を区画するように繁っている。緑地には羊と牛がのんびりと 草を食んでおり、どこまでも牧歌的な風景が続いている。暫く走行するうち に海が見えだした。大西洋である。
ポートラッシュの集落に到着したようである。天候に恵まれて海の色は青色に輝いており広がる緑地と共に美しい海岸線が続く。そして気温は肌に快く、七月という時節に日本ではとても考えられないような涼しさである。海岸沿いの緑地にはゴルフ場も認められた。 スコットランドの名門ゴルフ場セントアンドリュースゴルフ場に似た佇まいである。ポートラッシュの集落を通り過ぎると、前方に古い城跡が見えだした。その昔海からの外敵に備えて築城されたダンルース城

である。今は廃城であるが史跡として観光名所になっており、沢山の観光客が訪れていた。
ダンルース城を跡にして暫く走行するとジャイアントコーズウエイへの入 り口に到着した。沢山の観光客が集まっていたが不思議なことに日本人の姿 が全然みかけられない。その後暫くして、日本人女性の二人連れに会っただ けであった。ここにはコーズウエイ・ホテルや売店の建物が並んでいる。六 方石の奇岩のある景勝地

はここから徒歩で約15分位の所にある。
ここには六角形をした石の結晶が柱状に重なりあって何本もそそり立っている。

尖端が折れて石の階段のようになっていて小高い丘の上に登ることができる。その珍しい形が海の青、山の緑、岩肌の焦げ茶色と絶妙のコントラストをなしていて素晴らしい景観をつくり出している。

コーズウエイ・ホテルで昼食を摂った後、1608年創業の世界最古のウ イスキー工場ブッシュミルズを見学した。

ここでは女性職員が50人ほどの一般見学者を引率して工場内を工程毎にてきぱきと説明して歩き、その統率力には小気味良いものがあった。見学が終わり食堂でアイリッシュウイスキーを試飲したらまろやかでとても美味しかった。スコッチに勝るとも劣らない味であると思った。
本日の観光を終えベルファストのホテルへ戻り部屋へ入るとベッドサイド の机の上に置いておいたピロウチップがそのままになっている。このことは 先日ロンドンのボニントンホテルでも経験したことである。我々の解釈はピ ロウチップは文字通り枕の上に置いておかないとベットメークに入室したメ イドはお客が置き忘れたものであると認識し、手をつけないのではないかと いうことであった。ここにホテル従業員の躾けの良さを垣間見、イギリス人 の律儀な国民性を見た思いであった。
夜はホテルの真向かいにあるバー・クラウンに入ってビールを飲み、アイ ルランドのバーの雰囲気を楽しんだ。このバーは相当古い建物で、天井に施 された彫刻や柱の彫刻、部屋を囲む壁に使われているガラス細工の模様など 贅を尽くしたものである。この街が造船で栄えた頃に建てられたものであろ う。シティ・ホ−ルにしろ、アルバート・メモリアルホールにしろ何れ劣ら ぬ贅を尽くした建造物である。こんな所にこの街の過去の栄光の面影を見る 思いであった。
翌日は同行の友人三人でこの市内にあるクイーンズ・ユニバーシティと ボタニー・ガーデンを散策した。

たまたまこの日は大学の卒業式の日であり、大学構内でガウンを身に纏った卒業生をそこここに見ることができた。ボタニー・ガーデン内には博物館もあり、アイルランドの先住民の生活の模様や歴史等を実物で知ることができた。
午後からはまだ見ていない市内の主たる観光名所を昨日も頼んだ旅行社の ワゴンで見て廻った。運転手は昨日のアレン氏と違って判り易い発音の英語 を喋った。
百年前に建設されたシティ・ホール
、
アルバート・メモリアルホール、オペラハウス、パーラメント、ベルファスト・キャッスル、ハランド・エンド・ウルフ造船所等を駆け足で廻った。
ハランド・エンド・ウルフ造船所はかの有名なタイタニック号を造

った造船所であるが現在船台には殆ど船が入っておらずかつての栄光と賑わいが嘘のように感じられる閑散さであった。周辺の工場地帯にも活気がなく、なんとなくうらぶれた感じが漂っていた。しかし工業地帯の再開発を積極的に進めているようであちこちにクレーンが林立し、古い建物を壊している現場を目撃することができた。かなりの投資がなされているようで僅かながら活気が蘇りつつあるなとの印象を受けた。
ベルファスト・キャッスルは海と市街地を見下ろす小高い丘の上に立って

おり、今はホテルに転用されている。ここで昼食を摂ったが料金もリーズナ ブルで美味しかったし、宿泊料も高くない。ベルファスト観光の穴場ではな いかとの感じを受けた。市の中心地から離れた所に位置しているので外来の 観光客には足の便の点で敬遠されているのではないかと思った。
ロンドンへ帰りボニントン・ホテルでテレビのニュースを見ていると,我 々が北アイルランドを離れた7月3日の夜、ベルファスト市内でIRAの手 になるものと思われる爆発騒ぎが発生したという報道があった。このニュー スを見て紛争に巻き込まれずに済んでよかったと胸をなでおろしたものであ る。
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