前潟都窪の日記

2005年07月18日(月) 小説・弾琴の画仙浦上玉堂34

   万金奇鳥困羅孚 千里名駒閙馳駆
   菽麦不分傍袖手 生来吾自守吾愚

     万金の奇鳥、羅孚(らふ)に困(くる)しみ、
     千里の名駒、馳駆に閙(さわ)がし。
     菽麦(しゅくばく)分たず、傍らに手を袖にす。
     生来、吾れ自ら吾が愚を守るのみ。

 万金に値する珍しい鳥は捕鳥網から逃れるのに苦労するし、一日千里を駆ける名馬は人を乗せて慌ただしく走りまわる。それに比べ無能の私は菽(まめ)と麦の区別もつかなくて袖に手を入れて珍鳥や名馬が活動しているのを傍らで眺めているだけだ。私は生来のこの愚かさをひたすら守って行くだけでよいのだ。

   梅花暗綻旭江春 独酌独吟懶益真
   唯有竜山峰上月 夜深来照鼓琴人

     梅花暗(ひそ)かに綻ぶ旭江の春。
     独酌独吟懶(らん)益々(ますます)真なり。
     唯だ竜山峰上に月あって、
     夜深くして来たって鼓琴の人を照らす。

 ここ岡山は旭川のあたりにも春が訪れ梅の花がひそかに綻びだした。独り酒を酌み独り琴を弾いては吟じていると、私のこのなげやりな生き方はますます本物になっていくようだ。旭川の向こうに遠く見える竜山の峰の上にかかった月だけが夜が更けて琴を弾いているこの自分を照らしてくれている。                                
   万銭買一琴 千銭買古書
   朝弾幽窓下 暮読寒燈余
   有衣聊換酒 有宇足求魚
   時或得佳客 論心歓何如
   酔歌忘日夕 襟期一清虚
   陶令不可遇 己矣無起予

     万銭もて一琴を買い、千銭もて古書を買う。
     朝には幽窓の下に弾じ、暮れには寒燈ののこりに読む。
     衣有りいささか酒に換え、宇(いえ)有り魚を求むるに足る。
     時に或は佳客を得、心を論(かたっ)て歓び何如(いかん)ぞ。    

 酔歌して日夕を忘れ、襟(むね)に期すひとたび清虚ならんと。陶令は遇うべからず、己(や)みなん、予を起たしむるもの無し。

 莫大な銭で琴を買い、多額の銭で古書を買った。早朝に人気のない静かな窓の下で琴を弾き、夕暮れには僅かに残った灯火の下で古書を読む。酒のないときは質入れして酒を買うだけの衣服はあるし、ちゃんとした家だってあるから、魚を買って調理することもできる。ときには気のあう客を迎え、胸襟を開いて語り合う歓びは、どれほどのものであろうか。酔い歌っていると昼夜を忘れ、まずは清浄虚静の境地に至ることができる。五斗の米のために阿ねるのを嫌って彭沢令の職を辞した陶淵明のような人物に出会えることももうあるまい。ああ悲しいことだが私の心を奮い立たせてくれるものはないのだ。
   
 これらの詩の中には脱藩前の玉堂の姿と心理がよく表現されている。この心理の動きを時の流れに従って柴田承平氏は次のように見事に読み取っておられる。
<若い生真面目な藩士であった玉堂にも宿志・・・・・・・・・つまりかねてからの希望が心の中で燃えていたのであるが、それも、いつのまにか、成らざることを認識するようになる。いわゆる希望から挫折へと落ちこんでゆくのであろうが、こうした精神的転換の中に、むしろ本来的な文人のパターンがあるともいえる。宿志成らずして、やがてその生活態度にも大きな変化がめだつようになり、それに気づきはじめた周囲の人々は、彼の行動、考え方、そして人間そのものを痴と見、愚と呼ぶようになる。そう呼ばれることを知っていた玉堂は、志をとげえなかった挫折感から、痴、愚と見られる境地にみずからを追いやらざるをえなかったのであろうが、そこには、やはり悔恨の念も去来していたようである。しかし、やがて、人が自分の痴愚を笑い、それを甘んじてうけ入れ、愚であることを自ら積極的に守ろうとするまでに心境は移行してゆく。これが脱藩時の頃までの玉堂の心の自然な流れであったとみてよかろう。(佐々木承平著浦上玉堂 小学館刊日本の美術56巻より引用)>


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