前潟都窪の日記

2005年07月19日(火) 小説・弾琴の画仙浦上玉堂35

 その意味するところは単に、勤めをおろそかにし、琴や花に明け暮れするそんな玉堂の姿の現象面だけを言っているだけでなく、そうならしめた原因も含めて、郷愿(きょうげん)の目から見れば、陽明学を信奉したことのある玉堂の言動を痴と見、愚と言っているという意味に解釈したい。

つまり、孔子が「郷愿(きょうげん)は徳の賊」と言っているように、<郷愿とは謗ろうにも非難しようにも、まるで尻尾のつかまえどころがなく、流俗と歩調をあわせ、汚れた世と呼吸をひとつにし、態度は忠信に似、行為は廉潔に似、誰からも愛され、自分でも正しいと信じている・・(石田一良 東洋封建社会のモラル 平凡社 思想の歴史六巻)>小人のことである。

 また「陶令は遇うべからず、己(や)みなん、予を起たしむるもの無し」と詠じているのも世間には郷愿がいかに多いと感じているかという心情を吐露したものと解釈したい。

 寛政九年以降に出版された詩集「名公妙評玉堂集」(後集)の中に次のような詩があり五十才で出奔することを予め心の中に決めていたと読みとれる。

   五十年来一嘯中 荷衣衲々鬚瓢蓬
   烟霞深処人声絶 麋鹿群間搏尺桐

    五十年来 一嘯(いっしょう)のうち
    荷衣(かい)は衲々 鬚(しゅ)は瓢蓬(ひょうほう)
    烟霞深き処 人声絶え 麋鹿(びろく)の群間に尺桐を搏つ

 人生五十年、過去を振りかえると、あの腹から息を出して口笛を吹くように一笛の夢のような気がする。衣服はつぎはぎだらけのものとなり、髪は風に吹き飛ばされる枯れ蓬のようにはかない。人声すらない山中に、わたし独り自然と共に暮らしている。鹿の行き来するこの山中に桐の木でも植えようか。
                                  
 人生の節目とされる五十才を機会に転身を図り、世間に向けては人生を終わった者の行動であると宣言した詩だと読み取れる。


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