前潟都窪の日記

2005年08月15日(月) 三村一族と備中兵乱20

 一方、荘ではこのことを夢にも知らず鶏が暁を告げたのを合図に先陣、後陣の順で撃ってでた。荘が敵陣五、六町まで進んだとき、隊列の中ほどへ両手を広げて飛び出してきた百姓の風体をした若い男がある。
「止まられえ。とまられえ。お館様に御注進じゃ。一大事じゃ」
「何者じゃ」
と誰何するものや槍を突きつける兵の動きで隊列の動きが乱れた。
「なんだ、お主、庭番の小田崎ではないか。慌てふためいてどげぇした」
と騒ぎに気付いた荘為資が言った。
「今宵の夜討ちの計画は敵に漏れて、敵はいろいろ先手をとって待ち構えておりますらぁ。夜討ちはおえません。おやめんせえ。危険ですらぁ」
と小田崎が答えた。
「お主誰から聞いたのじゃ」
「わたしの長年の知人が、成羽におりますのじゃが、先ほど密かに私のところへ訪れて夜討ちの事が三村方に漏れていると知らせてくれたんですらぁ」
「そうか。よく知らせてくれた。それでは敵の気がつかないうちに引き揚げよう」
と下知をだし、行吉を殿にして静かに諸軍を引き返した。
 荘軍の動きに気付いた三村の物見の者が急いで馳せ帰り家親に報告した。
「なんでそのようなことがあろうか」
と再度物見を出したが同じ報告であった。
「敵は夜討ちを止めて引いている。一気に追って攻めよ」
と家親が下知すると、一千騎が鬨の声を一斉にあげながら荘軍をおいかけたので、五郎兵衛、三徳斉らもこれを聞いて追撃に加わった。孫兵衛、松山、水落末田などの後詰隊も荘軍の横合いをついて撃って掛かった。
 攻撃を受けた荘 為資は
「一方を討ち破って引き揚げよう」
と言って兵士を一か所に集めて様子を窺っていた。
「お館様はここを引いて下さい。先方の敵の数は鬨の声からすると僅かなものだと思います。殿(しんがり)はそれがしが仕りましょう」
と為資に向かって行吉が言って引き返そうとしたとき藤井四郎次郎もこの場に駆せ寄ってきて両勢合わせて七百騎が死を決して進んで行った。家親軍がこれを迎え討ち、孫兵衛、熊谷、天野らが藤井、行吉軍へ前後左右から襲いかかり大激戦となった。荘為資も三村孫兵衛と渡りあったが次第に押されて、荘軍は引いていった。
 村田掃部助は先陣の方からの鬨の声が近くに聞こえたので心配になり物見を出した。
「味方は、敵に押されて引いているところです」
という報告なので、
「お館様のもとへ」
と叫んで馬に鞭を加えて為資軍と合流しようとした。そこへ、藤井、行吉が散り散りになって逃げてきた。為資は集まってきた藤井、行吉、村田らの荘軍と共に反撃した。両軍が切り合い、突き合いの激しい戦いとなった。しかしながら暗夜の戦いなので、敵味方の区別がつきにくく、名乗りを挙げる声や合言葉を頼りに走り廻りながら討ちあった。
 三村軍はかねて打合せた通りの戦いができたが、荘軍は不意の戦いであったから次第に押されて負けるところとなり退いた。
 家親は勝ちに乗じて逃げる者をしきりに追ったので行吉は為資を逃がすために取って返し、激しく切り結んで壮烈な討ち死にをした。
 藤井四郎次郎は大小三カ所に傷を受け郎党に助けられながら逃げのびた。為資の手の者は散り散りになってしまい為資一騎のみでようよう猿掛け城へたどり着いた。
「勝って兜の緒を締めよじゃ。戦いはこれまで。深追いするな」
と家親が言って引き返した。
 討ち取った首を改めてみると、村田掃部助行吉某、池上七郎四郎、加藤十兵衛らの大将首をはじめとして百七十余あった。
 荘為資は家親の謀略によって戦に負けたので、もう一度戦って鬱憤を晴らしたいと思った。しかし、冷静に考えてみると夜討ちをかけるという謀りごとが敵に漏れたのは内部に密通者がいるに違いない。内部を固めてからにしないとまた、負けるかもしれないと考えるようになった。
 一方の三村家親も今回は為資を討ち取ることができた筈なのに、彼が途中から引き揚げたのは、味方の兵が敵に情報を与えたからに違いないと思うようになり自重して戦を仕掛けようとはしなかった。
 為資は尼子の力が衰えてきたいま、三村と戦うことは毛利を敵に廻すことであり、いずれ家を潰してしまうことになると考え、人質を出して和睦した。
 その後毛利元就の斡旋で三村から家親の長男元祐を養子に貰い受け為資は家督を譲って隠居した。



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