前潟都窪の日記

2005年08月21日(日) 三村一族と備中兵乱26

  十一、興禅寺の暗殺
                      
 三浦貞勝が薬師堂で自刃したとき、お福は郎党の江川小四郎に三才の桃寿丸を背負わせ女とともに、山中を歩いて真庭郡の久世へ逃れた。その後、旭川を下り、備前領内の下土井村(現御津郡加茂川町下土井)の山中へ難を避けていた。
 遠藤又次郎は三村家中にあったとき、鉄砲隊を編成して装備を近代化するという提案を実現するため、見本の鉄砲を仕入れる目的で、堺へ行ったが、旅籠で資金を盗まれてしまった。これを機に三村家を離れ、堺で手に入れた鉄砲を頼りに故郷へ舞い戻り猟師生活をしていた。
 ある日、加茂郷の山中で猟をしていると笹の葉が揺れている。獲物の熊がいるのかと鉄砲を構えたところ、
「おなかが空いたよ」
という子供の声が聞こえた。
「若、お静かに、声を出してはなりませぬ。三村の者達が追ってきているかもしれませんぞ」
とたしなめる若い男の声が続いた。
「もうすぐ土井の婆(ばば)さまのところへ着きますからね。それまでの辛抱ですよ」と若い女の声に
「早く婆さまのところへ行こうよ」
と再び子供の声である。目を凝らして見ると笹の葉の合間から人影が見える。どうやら四人のようであるが武士は一人しかいないようである。
「こんな所で何しとる」
 遠藤又次郎は、鉄砲を構えて大声で叫んだ。
「何者だ」
不意に声をかけられて驚愕した若い武士が刀を構えて立ち上がった。
「動くな。動くと撃つぞ」
鉄砲に気がついて、若い武士は構えを崩さず言った。
「三村の者か」
「違う。この辺りを仕事場にしている猟師じゃこんなところで何しとる」
「敵に追われている。見逃してくれ」
「三浦家中の者か。落人だな」
「そうだ。拙者、江川小四郎と申す。土井一族と縁のある者じゃ」
「危ない所じゃったぞ。熊と間違えられて、ズドン」と言って笑いながら又次郎が鉄砲の構えを解くと江川も刀を下ろして言った。
「土井氏の館は近くか」
「もうじきじゃ。案内してやろう」
と又次郎が先頭に発った。
 この村の豪族土井氏を頼るためお福主従は土井までたどりついたところであった。お福の母方の里が美作勝山の三浦氏であったからその嫁ぎ先の縁故を頼りにしたのである。
「どうじゃ。この城で三浦の遺児達を匿うのは憚りが多い。そなたの兄の宇喜多直家は知恵者じゃから、沼城へ挨拶に伺候させては」
と虎倉城主伊賀久隆が妻の梢へ言った。お福主従に転げこまれた土井氏は、三村家親が探索している落人を匿っていると面倒なことが起こると考えて、いちはやく上司の伊賀氏のところへつれてきたのである。厄介者を虎倉城で預かってもらおうと、思ってのことである。
 一方、土井氏から相談をもちかけられた伊賀氏は、従来松田氏に服属し臣下の礼をとってきたが、松田氏の勢力の衰えとともに縁を切り宇喜多氏と誼を通じて、直家の妹・梢を妻として迎えていた。今、三浦一族の遺児を匿うことは三村、松田、浦上に対しても憚りがあった。できれば厄介者は宇喜多直家に預けてしまいたかったのである。結局、盥廻しさせられてお福は宇喜多直家の沼城へつれてこられた。梢が口をきいたのである。
「お兄さん、御無沙汰しておりました。お盛んなようでなによりです」
と梢が兄へ挨拶した。
「梢、久振りだな。久隆殿とは仲良うやっているか」
「はい。お蔭様で」
「子供はまだか」
「ええ、そのうち。ところで兄さんの方は後添えは如何なっておりますか」 「その話はまだ早い。奈美の七回忌も終わっておらぬ」
「何時までも奈美さんが忘れられないのね」
と言う梢の言葉に直家は表情を険しくした。



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