前潟都窪の日記

2005年10月20日(木) 縁日の金魚鉢13(完結編)

 13.
                         
 田所刑事が夜店から持ち帰った金魚鉢の水と金魚からは青酸カリが検出された。木山みどりが落とした一万円札にも青酸カリ反応があった。
 青山刑事が尾行した木山みどりの連れの若い男は刑事に尾行されているとも知らず、横浜市内の高級住宅街へ帰って行った。青山刑事が尾行した青年は早坂工業と同業の工事会社の社長の息子で、将来社長になることが約束されている男であることが判った。早坂工業へ商談できたとき木山みどりを見初めて結婚を前提とした交際を始めて入ることも青山刑事の聞き込みによって確認された。田所刑事は捜査の過程で明らかになったことを頭の中で反芻してみた。
1)田代光一が青酸カリの服毒によって殺されたこと。
2)早坂龍一の秘書木山みどりが所持していた一万円札に青酸カリが付着していたこと。
3)田代光一と早坂龍一の間の山本太郎名義口座を媒体とした金銭授受関係。4)早坂が追突事故に遭い300万円を盗まれていながら崩せない早坂のアリバイ。
 反芻しているうちに一筋の論理が紡がれ始めた。
 田所刑事は纏まりかけた推理を裏付けるために、東京駅周辺の金物屋と鍵屋の聞き込みを精力的に続けた。一方青山刑事は木山みどりの12月7日前後の行動を調べることに精力を傾注した。
 捜査会議で田所刑事は自信に満ちて自分の考えを述べた。


「私は田代光一殺しの犯人は早坂工業の社長早坂龍一であると考えます。早坂龍一は自動車追突事故に遭って、300万円の大金を盗まれましたが、盗難の事実をひた隠しに隠しておりました。ところが過日、追突事件の犯人が大阪で捕まり、早坂から300万円盗んだことを自供しました。早坂もこの事実を突きつけられて300万円盗まれた事実は認めました。何故300万円もの大金を盗まれながら盗難届けを出さなかったのか。それは脱税で蓄えられた裏金だったからです。目下税務当局でも300万円の出所について調査に着手しましたのでやがてそのことははっきりするでしょう。
                                  
 一方被害者の田代光一は化粧品のセールスマンとして早坂の自宅にも出入りし、早坂の妻とも面識がありました。これは田代光一の顧客リストに早坂三智子という名前が載っていたことから明らかであります。世間話の過程で夫が自動車追突事故に遭遇したことを聞いた田代光一は、最初大して気にもとめていなかったでしょう。その後、続けて発生した京浜銀行を舞台とする追突乗り逃げ現金強奪事件の報道を目にした田代は、悪知恵の働く男だけに早坂の自動車事故だけが新聞に報道されなかった事実に疑問を持ちました。所轄署に問い合わせましたが、盗難届けが出ていなかったのです。
                                  
 手口が似た事件なのに早坂だけ現金を盗られていない点に着目した田代は何かいわくがありそうだと考えました。ロッキード事件で政治家や右翼の大物の隠し預金が世間の耳目を集めていた時なので、田代が早坂は裏金を盗られたのではないだろうかと見当をつけるのに時間はかからなかったと思います。もし早坂が裏金を盗まれているとすれば、ゆすりの材料になると考えた田代は一計を案じたに違いありません」
 田所刑事は手帳をめくりながら続けた。               
「追突事件の犯人になりすまして、ゆすることを考えたのです。田代が声色を使い電話で試しに早坂にゆすりをかけてみたところ反応があったのです。相手に正体を見破られずに金を受け取る方法として考え出されたのが、山本太郎という架空名義の預金口座を利用した振込とキャッシュカードによる現金の引き出しです。
                                  
 一回10万円のゆすりはゆする側にもゆすられる側にも手頃な金額だったと思われます。ところが田代の側に急にまとまった金が必要になることが発生したのです。商品取引で穴をあけた田代は12月10日の決済日までに百万円ほどの金を用意しなければならなかったからです。そこで田代は早坂を恐喝して金を巻き上げることにしました。
                                  
 一方ゆすられた早坂も、馬鹿のように金だけおとなしく差し出すほどのお人好しではありません。まして、相手は自分の脱税の事実を知っている男です。当然恐喝者を密かに闇へ葬ることを考えたのです」          田所刑事はここで一息つくと湯飲み茶碗をとって冷えた番茶を一気に飲み干してから続けた。
「田代光一殺しの犯人を早坂龍一であると想定した場合、今までネックになっていたのは、12月7日の午後5時から午後8時までの時間帯、つまり田代光一の死亡推定時間帯に早坂が西下する新幹線ひかり号の車中または名古屋駅前の料亭『しゃちほこ』にいたという事実です。このアリバイが崩せないために、早坂が田代を殺す動機を充分持ちながら早坂を犯人と断定することができませんでした」
「それではアリバイが崩せたのですか」駆け出しの服部刑事が目を輝かせながら聞いた。
「そうです。田代光一の死因は青酸カリの服毒による中毒死ですが、死体の傍に青酸カリを服毒するのに使われた容器もコップも残っていないし、青酸カリの入った食べ物の残りも発見されなかったので、田代を騙して青酸カリを飲ませた犯人が証拠を隠すために、きれいに片づけたというふうに我々は考えていました。従って田代が殺されたとき、犯人は田代と同じ場所にいた筈だという前提を暗黙のうちに作り上げて早坂のアリバイにこだわり過ぎていました。
                                  
 私は木山みどりが持っていた一万円札から、青酸カリが検出されたのを知ったとき、目を開かれる思いがしました。私は一つの仮説をたててみたのです。早坂龍一が田代光一からまとまった金額の金をゆすられたのを奇貨として青酸カリを塗布した札束を田代光一へ手渡したとしたらどうでしょう。札束は新券で用意されたに違いありません。札束を受け取った田代は花園マンションの自室へ帰り、青酸カリが塗布されているとも知らず、夢中になって指に唾をつけながら札束を数えているうちに毒が廻ってそのまま絶命したのではないでしょうか」
 一息ついて田所刑事は更に続けた。
「もしこの仮説が正しいとすれば、早坂は12月7日、東京発午後4時の新幹線ひかり号に乗車する直前に田代光一に何らかの方法で青酸カリを塗布した札束を渡したであろうと考えました。そうすると、金の受け渡し場所は東京駅ということになります。ところで金の受け渡しに銀行口座の振込という慎重な方法をとっている田代が早坂に顔を見せるような受け取り方をする筈がありません。
 そこで思いついたのがコインロッカーを使う方法です。コインロッカーの鍵を予め複製しておけば、コインロッカーの番号を指定するだけで、鍵の受け渡しなしにロッカーの中に置かれた札束を受け取ることができる筈です。コインロッカーを金の受け渡し場所に指定したのが、田代であるか早坂であるかは捜査してみなければ判りませんが、田代を毒殺する意図のある早坂にとっても、コインロッカーを利用して人知れず、凶器の札束を田代に渡すことは良い思いつきだった筈です。
 そこで私は東京駅周辺の鍵屋、金物屋の聞き込みをしてみました。すると12月6日の日に田代とおぼしき男がコインロッカーの鍵の複製をしていたことを突き止めたのです。早坂は完全犯罪を狙って名古屋行きのアリバイ工作をしたものと思われます。早坂が新幹線ひかり号の車中若しくは『しゃちほこ』に着いた頃、田代が札束を前にして中毒死するという筋書きだったのです」
「なるほど、見事な推理ですね。だが、田代の部屋から毒を塗った札束が発見されなかった事実をどう説明されるのですか」
「それは、木山みどりが、花園マンションの田代の部屋を訪れ、死体の前に投げ出されている札束を着服し、素知らぬ顔で逃げ出したと考えれば、簡単に説明がつきます。浅草のほうづき市で木山みどりが青酸カリの塗布された一万円札を持っていたことに不審を持った私と青山刑事は田代光一と木山みどりの素行を調べてみました。驚いたことに木山みどりと田代光一とは密かに交渉を持ち肉体関係を結んでいることが浮かび上がってきたのです」
「田代のプレイボーイ振りは既に調査済でしたから、田代が行きつけのモーテルや連れ込み宿を中心に木山みどりと田代光一の写真を持って聞き込みをしたところ、相模原のモーテル『相模』の授業員がこのアベックには見覚えがあると証言したのです」
「田代と木山が密接な関係を持っているとすれば、木山みどりが青酸カリの塗布された一万円札を持っていた事実がうまく説明できます。つまり、商品相場で大穴をあけた田代は早坂から金をゆする一方、木山みどりにも無心をしたものと思われます。田代から言葉巧みに窮状を訴えられた木山は、惚れた女の弱みから金を用意して花園マンションを訪問したのです。部屋の鍵は予め、田代から予備鍵を預かっていたことでしょう。
 合鍵を使って部屋へ入った木山がそこに見たものは、札束を前にして中毒死している田代の死体であり、最初びっくりした木山みどりも目の前の手の届くところに投げ出されている札束をみて、邪心を起こしたのです。田代とは人目をはばかって密会していましたから二人の関係は誰にも知られて居ません。木山は札束を着服して逃げても自分が疑われる心配はないと考えました。預かっていた鍵に石鹸をつけて丁寧に洗ってから、田代のポケットへいれました。木山みどりには一つの計算があったと思います。部屋への出入りは誰にも見られていませんから、合鍵をポケットに入れておけば、捜査陣の目を誤魔化せると考えたことでしょう。我々も田代と木山のつながりは全然知らなかったのですからね。ところが、まさか札に青酸カリが塗ってあろうとは気のつかなかった木山は、浅草のほうづき市で盗んだ一万円札を金魚鉢の中へ落としてしまい、今回の殺人事件の謎を解く手掛かりを我々に提供してしまったのです」
 田所刑事はうまそうに煙草の煙を吐き出しながら説明を終えた。早坂龍一は殺人容疑で、木山みどりは窃盗容疑で逮捕された。凶器に使われた一万円札は、木山みどりの財布の中から二枚見つかった。木山みどりの預金通帳に12月10日付けで90万円預金されていることも確認された。裏付け証拠が次々に集められ、突きつけられて早坂龍一は田代殺しの犯行を認めた。
 窃盗容疑で逮捕された木山みどりは次のような供述をした。      
「私は田代さんと手を切りたいと思っていました。最近、工事会社の社長の息子さんと交際を始め、プロポーズされました。もし田代さんと関係のあったことが判ったら、この話は壊れてしまいます。たまたま、田代が商品相場で大穴をあけて金策に頭を悩ませているのを知りました。私にも金を貸して欲しいと言って来ましたので、かねて用意しておいた青酸カリを紙袋に入れて田代の部屋を訪れました。田代は札束の勘定に夢中になっていました。田代が水を飲みたいと言うので、私は丁度よい機会だと思い、青酸カリを入れた水を田代に渡しますと田代は一気に飲み干し、やがて苦しみだして間もなく死にました。証拠を残さないように後片付けをして、合鍵を田代のポケットへ入れ、札束をハンドバッグに納めて、誰にも見られないように部屋を出ました。まさか札束に毒が塗ってあり、私よりも前に田代に殺意を持っている人がいたとは夢にも思いませんでした。しかもそれが早坂社長であるとは全然知りませんでした」
 田代光一の殺人事件は落着したが、早坂龍一の札束に塗った青酸カリが直接の死因となったのか、それともコップの水に入れた青酸カリが直接の死因になったのかは判定の難しい問題として残された。
 第一の問題は田代が札束を数えるとき、指に唾をつけながら数えたかどうかということ。
 第二の問題は田代が札束をかぞえるとき、指に唾をつけながら数えたとして、指先についた青酸カリが人を殺すだけの力があるかということである。もし致死量に達しないとすれば、早坂は明らかに田代に対して殺意を持ちながら実行行為において不能な犯罪ということになり、木山みとりが田代を直接死に追いやった加害者ということになる。
「早坂という男は、悪運の強い男ですね」と田所刑事は、裁判の結果を予測するように青山刑事に言った。
「国税局が活躍し、彼を裸にするのを期待して待つしかないのかもしれませんね」
 青山刑事は自嘲するように応じた。 


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