前潟都窪の日記

2005年10月19日(水) 縁日の金魚鉢12

12.
                         
 田代光一殺人事件の容疑者として早坂龍一が捜査線上に浮かびあがりながら決め手がないままに時間が徒過していった。
 捜査陣に焦燥の色が濃くなり始めた頃、事件解決の手掛かりとなるような事件が発生した。
 大阪で追突事故を装った自動車乗り逃げ事件の現行犯で犯人が捕まったのである。阪南銀行のお客が現金を引き出して自動車に乗り、交差点で信号待ちをしている時、後続の車に追突された。追突された車のお客が降りて後部の損傷箇所を調べているうち、犯人に車を乗り逃げされた。この時、たまたまこれを目撃した後続の個人タクシーの運転手が追跡し、車内無線で配車本部へ通報したため、高速道路の入り口で待機していたパトロールカーに捕まったのである。横浜で起きた同種の事件と手口が類似していることから横浜中署に照会があった。
 横浜中署で天川、佐藤に犯人の顔写真を見せたところ、横浜で発生した事件の犯人と同一人であることが確認された。大阪で捕まった犯人は余罪を追求され、簡単に自供した。犯人は早坂の車を盗んだ時、300万円の現金も盗んだと供述した。
 早坂龍一は横浜中署に任意出頭を求められ、大阪で捕まった犯人の顔写真を見せられ、確認を求められたが、早坂が車を盗まれたときの犯人とは似ていないと証言した。
 しかし、犯人が早坂の車を盗んだ時300万円の現金も車の中にあり、松山という名宛人の計算書が一緒に入っていたと自供しているということを聞かされ、早坂も観念したのか、事件当日京浜銀行で300万円の無記名式定期預金を松山の印で満期解約し、これを盗まれたことを渋々認めた。
 田代光一殺人事件捜査本部では、五菱銀行新宿支店の山本太郎名義の普通預金口座を媒体として、早坂龍一と田代光一の間に金銭の授受があったと断定し、早坂を厳しく追求した。最初は坂元高志、富士川健一、仲河 勉などという名前を使って山本太郎宛に銀行振込をした覚えはないと主張していた早坂も左手で坂元という字を書いてくれと捜査員から求められたとき、がっくりと肩の力を落とした。早坂が左手で書いた坂元高志という署名は、筆跡鑑定したところ、銀行振込依頼書に残されていた筆跡と同一人のものであるという判定であった。更に山本太郎名義で作られていたキャッシュカードの暗証に使われていた四桁の数字は早坂龍一の生年月日と同じであった。早坂は渋々坂元高志、富士川健一、仲河 勉の名義を使って山本太郎宛に銀行振込したことを認めた。
「刑事さん、私も男ですから妻に内緒の浮気の一つや二つはあります。あいにくそのことを田代に嗅ぎつかれて、妻に知らせるぞと脅かされたので小遣いを与えたのですよ。人を殺すなんて大それたことは神に誓ってしておりません。田代光一の死んだ時間には私は名古屋に居たんですよ。名古屋にいる人間がどうして、東京で殺人事件を起こすことができるんですか。これだけは信じてください」
 早坂は取り調べに当たった田所刑事にアリバイを主張した。捜査本部では早坂を重要人物と睨みながら、早坂の主張するアリバイが崩せなかった。裏付け捜査によって早坂の主張通り、12月7日午後4時東京発の新幹線ひかり号で早坂は名古屋へ赴き、名古屋駅前の料亭『しゃちほこ』で得意先を接待していた事実は確認された。
 師走の寒い時期に発生した田代光一殺人事件は早坂龍一に容疑がかけられながらアリバイが崩せず、未解決のままいつしか夏祭りの時期を迎えた。
 久し振りに定時に退勤した田所刑事は近くのアパートに住む青山刑事と家庭サービスのつもりで、子供達を連れて浅草のほうづき市へ出掛けた。子供達は、一年に数えるほどしかない父親との外出に、喜んではしゃぎ廻っている。
「お父さん、金魚掬いしてもいい」
「ああ、いいとも」
 田所刑事は青山刑事と顔を見合せながら微笑んだ。人垣の後ろから覗き込むと子供達は一所懸命に金魚を追っ掛けている。
「お客さん、細かいのはないでしょうか。お釣りがないんですよ」
「困ったわ。これしかないのよ」
 浴衣姿の若い女性が一万円札を出して、金魚屋の親父とやりとりしているのが目に入った。どこかで見た顔だなと田所刑事が考えていると、熱心に金魚を追っていた田所の子供が急に立ち上がった。立ち上がったひょうしに頭が浴衣姿の若い女性の伸ばした右腕にぶっつかった。
「あらっ」
 見ると一万円札が手から離れて、折からの風にあおられてひらひら舞いながら、傍らの金魚鉢の中へ舞い落ちた。人混みを掻き分けながらその女性は金魚鉢へ近づいて一万円札をつまみあげた。              
 その時、異変が起きた。                      
 同時に田所刑事はその女性が早坂工業の総務課の木山みどりであることを思い出した。今まで金魚鉢の中で元気に泳いでいた金魚が二尾、白い腹をみせて浮き上がってきたのである。
「おかしいなぁ。さっきまで元気だったのに」             
 金魚屋の親父は首をかしげながら怪訝な顔をしている。
「お嬢さん、その一万円札を両替してあげましょう」
 田所刑事は五千円札一枚と千円札五枚を取り出して木山みどりに渡した。
「あらっ、刑事さん。今晩は。どうもありがとう」
 木山みどりは千円札を一枚金魚屋の親父に渡すとビニール袋に入れて貰った金魚を受け取り、連れの若い男を促してそそくさと帰っていった。
 田所刑事が青山刑事に耳打ちすると青山刑事はうなづいて、木山みどりと連れの若い男の後ろ姿を見え隠れに追いかけて行った。
「つまらないな。もう帰るの」                    
 子供達の抗議をよそに、田所刑事は金魚屋の親父から先程一万円札の舞い降りた金魚鉢をそっくりそのまま譲り受けると帰路を急いだ。寸暇を家庭サービスに割いている父親の顔から刑事の顔に変わっていた。青山刑事のアパートへ子供を届けてから田所刑事は自宅で青山刑事から電話のはいるのを待っていた。
      

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