前潟都窪の日記

2005年11月07日(月) 雀と強盗 

    雀と強盗             
                                      
1.
                         
 大寒に入り、シベリア方面から寒気団が、日本列島の上空に張り出してきた。布団の中で腕時計を眺めながら、一分でも長くとうたた寝の快楽を貪った中年の銀行員が、意を決して布団を抜け出してからの行動は素早かった。歯を磨き、髭を剃りながら頭の中で、家を出るまでの身支度の手順を考えている。
 今日は茶色の背広にしよう。服は洋服箪笥の右端の方に入っている筈だ。ネクタイは昨日、取引先の社長からフランス土産だといって貰ったのが、鞄の中に入っている。あれが茶色の背広に似合うだろう。Yシャツはクリーニング屋から夕方届いたのが下から二番目の引き出しに入っている。
 靴は下駄箱の一番下の段に茶色のが仕舞ってある筈だ。今日は寒そうだから厚手のオーバーにしたほうがいいだろう。オーバーは妻に言って出しておいて貰おう。
 中年の銀行員は外気の寒さに思わずオーバーの襟をたてて駅へ急いだ。
 今日は何か変わったことがあるかもしれない。あの頑固者の工事会社の社長が、定期預金をしてくれるかもしれないと思いながら、いつもの惰性で足が動いていた。
                                      
2.
                         
 一羽の雀が銀行内に飛び込んで一寸した騒ぎがあった。開店前でシャッターがまだ開いていなかったので、通用口から入ってきたのだろう。女子行員はキャッキャッ陽気に騒いでいる。両手をVの字に曲げて肩を震わせながら怖がっている女子行員もいる。
 箒を持ち出してきて雀を叩き落とそうとしている若い男の行員がいた。
 雀は行内の騒ぎをよそに、高い天井から吊り下げられたシャンデリアの上に止まって人間共の騒ぎを見下ろしている。中年の銀行員がどこから見つけてきたのか、採虫網と脚立を持ち出してきて素早く雀を捕らえてしまった。 可哀相だから逃がしてやろうと言う者もあれば、焼いて食べようという者もある。鳥籠に入れて飼ってみようと言う者もある。
 雀は中年の銀行員が子供の教材に貰い受けることになった。彼は伝票を仕舞っておく段ボールの箱を捜し出してきて千枚通しで空気孔を作り、雀をその中へ放した。雀は寒さのせいか暴れもせずにおとなしかった。
                                      
3.
                         
 中年の銀行員は、猟銃を抱えた若い男がサングラスをかけ、マスクをして入り口から入ってくるとカウンターへ近づいて行くのを目撃した。はてな、今日は防犯演習の日だったかなと考えていると、雀を箒で叩き落とそうとした若い男が、その猟銃を抱えた男に飛び掛かっていった。
 ズドンという鈍い発射音がした。若い行員はのけぞるようにして崩れ落ちた。キャーという女子行員の悲鳴。
「動くな。動くと撃つぞ」
 サングラスの若い男は,叫びざま天井と床に向けて一発ずつ発射した。
 逃げまわり悲鳴をあげていた行員と来客は動くのをやめて声を出さなくなった。防犯演習ではなくて、本物の銀行強盗だという認識が、一瞬間のうちに居合わせた人々の脳裏に刻みこまれた。この強盗は人を殺すことを何とも思っていないようだ。
 中年の銀行員は、入り口の硝子戸を開けて制服の警官が右手にピストルを構えながら入ってくるのを目撃したとき、まずいなと思ったが口がこわぱって声が出せなかった。
 バーンという物のはじけるような音がすると、制服の警官は前へ崩れ落ちて動かなくなった。パーンと再び銃声がした。反対側の入り口から同じようにピストルう構えながら入ってきた制服の警官も前者と同じように倒されてしまった。行内には重苦しい空気が漂い静寂が支配した。
                                      
4.
                         
 犯人の声だけがいたけだかに響き渡った。
 行員は全員犯人の前に一列に並ばせられた。右端から男子行員、女子行員来客という順番で。
「責任者は前へ出ろ」
「私が責任者の支店長だ」
 初老の眼鏡をかけた大柄な男が一歩前へ出ると
「十五数える間に五百万円用意出来なかったから、こんなことになったんやお前が悪いからや」これだけ言うとズドンと腹部へ発射した。支店長は倒れて両手をピクピク動かしていたが、間もなく動かなくなった。
                                       
5.
                         
 ガサ、ゴソという紙をはひっかくような音がした。
「なんだ」犯人は猟銃を音のする方向へ発射した。
 ガサゴソという音は前よりも大きくなった。
「あの音は何だ。お前調べてこい」犯人は中年の行員に命じた。
「今朝、店の中に迷い込んできた雀を段ボールの箱に入れているのでその音です」中年の銀行員は犯人の顔色を窺いながらおずおずと答えた。
「可哀相なことをするな。逃がしてやれ」
「可哀相なのはこちらですよ。どうか逃がして下さい」中年の銀行員はチャンス到来とばかり犯人に懇願した。
「お前ら大切な人質や。逃がすわけにはいかん。雀は逃がしてやれ」
 中年の銀行員はおそるおそる段ボールの箱に近づくと、段ボールの箱の蓋を開けた。雀はバタバタと飛び立ち、行内の天井裏を慌ただしく逃げまわった。
「うるさい」犯人は雀に向かって発射した。雀は石ころでも落ちるように落下した。
「逃げようとする奴はこうなるんや」犯人は銃口を並ばせた人質達の方へ向けながらニタリと笑った。
「オイ、お前。あそこに倒れとるポリ公が死んだか生きとるか確かめて来いナイフで耳を切ってみるんや」犯人は中年の銀行員に銃口を向けた。
「そんな酷いことを」中年の銀行員は銃口に怯えながら思わず口走った。
「なにおっ」犯人が声を発するのと猟銃の発射音が同時に聞こえた。
 中年の銀行員は右肩を撃たれて倒れ、床の上を転げまわった。
「おい。今度はお前の番だ。剃刀を持ってきて、あの男の右耳を切り取ってこい」犯人は身近にいた若い男子行員に命じた。
「はい」
 目の前で何人もの人間が虫けらのように射殺されるのを見せつけられたその若い男子行員は、顔を真っ青にして、剃刀を右手に持つと、まるで魔法にでもかかったように、今、倒れた中年の銀行員の傍らへ近寄ると、右耳を剃刀で切り取った。鮮血がほとばしり、ギャッーという声がした。
                                      
6.
                         
 銀行強盗事件は犯人が疲労して隙を見せたとき、突入のチャンスを狙っていた機動隊の狙撃隊員に狙撃され解決した。犯人は逮捕されて病院へ運ばれた。
 中年の銀行員も救急車で病院へ運ばれた。右耳を切り落とされ、右肩に散弾10発を受け、重傷であったが一命はとりとめた。強盗犯人は病院で手術を受けたが意識を回復しないままに息う引き取った。
 犯人に撃ち落とされた雀はごみ箱に捨てられた。
                                      
7.
                         
 中年の銀行員の耳を切り落とした若い銀行員は、事件解決後、奇妙な言動をするようになった。刃物を見ると「僕の耳を切り落としてくれ」と懇願するのである。
     (了)                                
無料で使える自動返信メール

アフリエイトマニュアル無料申し込みフォーム


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加