2005年11月09日(水) |
仮説 小野小町は男であった2 |
従五位下陸奥介小野氷見の第三子岑守は嵯峨天皇の皇太子時代から侍読、近臣として仕えた。小野氷見には岑守の異母妹にあたる娘があり大町と呼ばれていた。 「岑守、賀美能皇太子が即位されて弘仁の治世が始まったが、帝の御機嫌はどうかね」と氷見は退出してきた岑守に聞いた。 「それが必ずしも御機嫌麗しいとは言い兼ねる状況なのです」 「どうしてだね」 「平城上皇との仲がどうもしっくりいかないからのようです」 「何故なのだ」 「平城天皇は、もっと天皇として治世にあたりたいと考えておられたようですが、病のために弟の賀美能皇太子にやむなく譲位されたのです。ところが天皇就任を固辞されていた賀美能皇太子は皇位を譲ずられて、嵯峨天皇として即位されるや七日後には法令をだして観察使の特典である食封を停止し、代償として国司を兼任させ公解稲の配分に与からしめる措置を素早くとってしまわれたのです。観察使の制度は平城天皇が創設されたものですから、上皇の感情をいたく傷つけることになってしまったらしいのです。もともと病が治れば重祚したいとの意向を持ったうえでの譲位でしたから、今上天皇が上皇の意図を無視して勝手なことをおやりになるという感情をお持ちになったようです」 「それは困ったことだ。由々しい問題に発展しなければよいが」 「上皇の病も大分軽快されたようですが、本復とまではいえないようです。そもそも平城上皇が今上天皇へ譲位されたのは病気が治らないのは早良親王や伊予親王の怨霊に祟られているからであり、皇位さえ退けば怨霊の禍から逃れることが出来、命を永らえることができると考えられたからなのですが、一進一退を繰り返しており本復する気配がないのです。そのために住まいを変えれば怨霊の禍がすくなくなるという陰陽師の勧めで既に五回も遷宮されましたが効果がありません」 「それは難儀だね。今度は平城京へ遷宮するという噂が流れているが、本当かね」 「そうなんですよ。そのため天皇も上皇に気を使われて藤原仲成を平城宮へ遣わして上皇のための新宮を造営しようと力を入れられているのです」 「ところで、今度の大嘗祭には小野氏からも五節の舞姫を進上してお上の内寵を戴くよう考えることが小野氏の繁栄にとって大切なことだと思う。そこで大町姫を進上しようと思っているがどうだろう」と氷見は岑守に言った。 「そうですね。大切なことですね。少し運動してみましょう」
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