前潟都窪の日記

2006年01月10日(火) クロアチアとスロベニアへの道中

2005.4.12〜4.21

 4月12日エールフランスの夜行便でパリのドゴール空港目指して飛び立った。パリで乗り換えベニスへ飛び陸路スロベニアの首都リブリャーナへ入る。成田からパリまでの実飛行時間は約12時間の長い空の旅である。夕食をサービスしてくれた客室乗務員は、制服が新調されたばかりだと誇らしげに語ったので請うて写真を撮影させて貰った。夕食には和食を選択した。サービス業だけあってにこやかな笑みを振りまいてくれた。




 パリの空港へ向かうエールフランスの飛行機の中で退屈した姉と弟がしきりに乗客達に愛嬌を振りまいていた。






4月13日、パリのドゴール空港に午前3時55分に到着した。まだ暗い空港内で約3時間を過ごした後、やっとベニスへ向けて飛び立った。飛行機はアルプス山脈を超えるとベニスへ向けて山脈の南側を西から東へと飛んだ。この間窓の外に俯瞰できるアルプス山脈の山々の景観を堪能することができた。山の名前は全然判らないが刻々と容貌を変えていく窓外の風景に時の流れを忘れて見惚れていた。




 長い飛行時間の後、パリのドゴール空港へは未明の4時15分に到着した。ベニス行きの出発時間までGゲートで3時間の待機である。隣のHゲートでは先日天井の屋根が崩落するという事故があった。同じ形の天井はアルミの骨材が剥き出しになっていてそれなりの機能美を示している。



 ドゴール空港で約3時間の待機時間を過ごしてからベニス行きのエールフランス航空機に搭乗し、次第に明けていくパリの空を眺めていた。写真上は搭乗を開始したベニス行きの航空機、下はベニス行き航空機の窓から。空の色が随分違う。




 午前9時過ぎにベニス空港に到着した。ただちにクロケットという海上タクシーの乗り場へと急ぐ。ベニスは水の上の都なので自動車では行くことができない。従ってベニスへ行く人は、皆このクロケットを必ず通ることになる。いわば関所のようなところである。
 舟の中から眺めたベニスの光景を撮影しておいた。高い塔の右側に僅かばかり半円形の屋根が見えているのが有名なサン・マルコ寺院である。この寺院は冠水することが多い。ベニスの街全体がやがて水没する運命にあるようだ。地下水の汲み上げ過ぎが原因だろうと言われている。



 水上タクシーから対岸のベニスの街を眺めていると次々に、ルネッサンス時代に反映した商都の街並みが観察できて面白い。ベニス空港近くで飛行機が着陸体制に入ったとき、窓下に観察したベニス近郊はあたかも洪水のあとではないかと思われるほど平地には水面が光っていた。水上タクシーの中でそんなことを思い出しているとやがて、ベニスの港に到着した。そこに待ち受けていたのは色彩鮮やかな衣装を並べた屋台の店であった。一挙に旅情は高まる。





 ベニスのドゥカーレ宮殿を見学した。ここには「ため息橋」というのがある。宮殿内の裁判所で判決を受けた罪人が監獄へ送られる時に渡る橋である。もうこれ以降は浮世を見ることもあるまいとため息をつくことから名付けられたという。

 写真上はドゥカーレ宮殿入り口。多くの外国の若者が見学にきていた。
 写真下の奥の橋が【ため息橋】で運河には多数のゴンドラが観光客を乗せてひっきりなしに運行している。さすが水の都ベニスを象徴する写真である。




  ドゥカーレ宮殿に続いてサンマルコ寺院を見学した。ベニスへは前にも平成13年11月に「ルネッサンスの美術鑑賞の旅」で訪問しているから二回目である。
その時はサンマルコ広場は洪水直後でまだ水浸しであった。寺院の中は床の上まで冠水していて通路には架台の上に板を渡してあったのが記憶に残っている。

今回再びサンマルコ寺院へ参詣のため入場した。水こそたまっていなかったが、不等沈下が続いていることを証明するように大聖堂の床が波うっていた。水の都ベニスは遠くない将来水没してなくなる運命にあるようだ。地下水の汲み上げ過ぎが原因だとも言われている。前回訪問の時撮影した写真と対比して掲載してみた。上の写真は前回のもので広場に水が溜まっているのがわかる。サンマルコ寺院の解説はここをクリック




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