暁降
あかときくだち:
夜が更けいって、明け方近くになること。

2002年09月06日(金) 「あの頃」と云う時代にはもう戻れない。誰もが知っている喪失の記憶。

■私はいつまで生きられるだろう。
誰かに愛された記憶を持って逝けるだろうか。■



●宇多田ヒカル嬢が結婚をした。
バイト先にいて、ちょうどディナー帯から入る男の子が来たときに教えてくれた。

で、羽鳥嬢の日記を読んでみたらやっぱり書いてあって。
で、「1999年の日記を読み返してみた」と云う記述があって(ヒッキーの公式HP日記)それについての羽鳥の感想があった。

羽鳥の、日記を書くときのその時の状況。

読んで、あぁ、そうなんだよなぁと、思った。

●日記って、真実を書くこともあるけれど、それが全部じゃない。
その時の感情を隠して、実は見栄張ってたりすることもある。
彼女の日記を読んで、宇多田ヒカルの結婚話題よりも(もちろんそれには吃驚したけど)羽鳥の感性に感じ入ることがあった。


●例えば。
わたしは詩を書いたり、物語を書いたりする。
それは日記もだけれどその時の状況が如実に反映されているから面白い。
そのままの自分の理想やら憧れが出るときもあるし、反骨精神的なモノが出てるときもある。

●自分のすべてをさらけ出す。
実際は声に出して伝えることは出来ないけれど、文章にすると割合と出来たりする。もちろん100%と云うわけにはいかないけれど。

私の手紙は相当面白いらしい。
友人関連に書く手紙は、兎も角長い。
最近は2〜3枚以内で収まっているが、以前は当たり前のように4、5枚は書いていた。時には十枚近くなったこともあって、80円じゃぁ送付出来ないなんて事も多々あった。

本当は伝えたい内容なんて最初の数行で、そのあと延々となんか書いていたらしい。送ってしまった手紙は手元にないから良くは覚えてないんだけれど。
兎も角、受けとった人すべてが、面白いよね、と云うから多分、面白いんだと思うのだ。
取り敢えず、下書きして清書して送ってるんだけれどね(下書き段階のモノはもっと長いし脱線しまくってたりする)

で、何が言いたいかというと、私は話し下手だ。
伝えたいことになかなか到達出来ないのだ、会話になると。
言いたいことからはどんどん脱線していって、かなり遠回りになってから言うことが出来る(……多分、出来てる、と思う)

●私の日記も文章も、長い。
多分…会話そのモノのコトバ感覚で書いている部分があるからだと思う。
再校、してるんだけれどね。日記も。

それでも全てをさらけ出せるわけではないし、特に日記なんかはその一日の中の出来事のほんの一部にしかすぎなかったりするのだから。

●今書いている日記も、一週間もその時の状況と感情が懐かしく感じることになるだろう。

ちょうどこの日記を書き始めたのは去年の9月だった。

もう一度、たまには読み返してみるのも良いかもしれない。

自分だけが解る、その時の自分の感情と状況をリアルに再現しながら、懐かしく思うのだ。

そして、小学6年生の時に付けていた日記(なぜか高校生頃まで同じ日記帳を使えていた……/笑。ようはたまにしか書いてなかった日記帳だったりする。ちなみにまだ終わってない)を、読み返すのも良いかもしれない。

長い年月がかかってるから、その時々をちょっと笑いながら思い出してみるのも。


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