暁降
あかときくだち:
夜が更けいって、明け方近くになること。

2002年11月16日(土) 贅沢と我が儘を言えば。


 癒しという。
 その言葉。
 睡眠という。
 その行為。
 睡蓮という。
 その花草。

 緩やかに密やかに。
 たゆたう時空のその象徴。





●『チェンジングレーン』
毎回の如く水曜日に行ってまいりました。
キリスト教社会(だけじゃないけれど)、性善説を信じて行動すべきならばきっと自分にも返ってくるモノだよ、と云う教訓的お話でした。

●実は。
本当はかなりドロドロした後味が悪い内容を想像していたのですが、とんでもない!
とってもすっきりした後味良いのお話でした。
この感想、実は父も同じで(笑)観賞後、お互い「思った思った」と、言い合ってました(テヘ)まったく親子でなに同じこと考えてるんだか…とか思ったけれど、親子だからこそなのか?もしや?!


●性善説。
『チェンジングレーン』は性善説を根底に敷いて描いている物語です。
些細な日常も、神様はどこでだってあなたのしている事を見ているよ。
だから、ではないけれど。自分を信じて、正しいと思った行動を常にしていればいいのだよ。
どんなにクサクサしても、どんなに腹が立っても、人を陥れたりしてはいけないのだよ。
みたいなモノでした。

人間は本来善きものである。
悪に走るのはそれはほんの少し、道が逸れてしまったから。
だからどんな人間も、決して悪人などはいない。


●ただアタシは。
性悪説を採る人間なので、ちょっとだけ違和感を感じます。
自分を戒めて、生きていく。そんな感じだと思うのです、人間は。

悪感情というモノは、誰でも生まれつき持っていて、それをどうやって戒めていくか。
他人の痛みに対する感情を解ってあげられて、それを優しさに変えていくか。

同じ痛みを持っているからこそ解るココロ。


●ま、どっちにしろ。
どっちが間違っていて、どちらかが正解、なんて答えはない。
答えがない倫理観なモノが答え。
純粋に人を信じられるのならばそれはそれでとっても素晴らしい事だと思うし。
うん、アタシが人を信じるのが怖いだけって話し。




●あんまりにも年下な。
10も年下はやっぱりダメ?(笑)
いきなりだけれど。どうにもならないけれど。
しないけれど。
良いなぁと想っている人。
たまに喋って、楽しい人。
若い分だけ夢を見て、持っている人。ほんのちょっとだけ、現実を見て。
贅沢と我が儘を言えば、ほんの少し(いや、本音を言えばかなり)私を見てくれてたらいいな。

ま、無理だけどね!


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